「なぜ人は結婚をするのか」という問いについて
ここ最近、私は「婚活」そのものより「結婚とは」という問いかけに対する答えを哲学的に追い求めることにすっかりハマっている。
実はリアルに周りでは既に結婚からエグジットあるいはエグジットしかけの方がかなり多いのである。
そのため私は結婚をかなり冷静な目で見ている上、正直かなりの恐怖心も抱いている。
それでもなぜ人は結婚するのか。知恵の限りを尽くして客観的に想像してみた。
仮に今「アラフォーの女性が結婚した」というニュースが飛び込んできたらどんな気持ちになるだろうか。
例えば中谷美紀氏が結婚したら。他人事とは思えずさぞかし嬉しいに違いない。
とつい先日思っていた矢先、なんと本当にご結婚されたというニュースが飛び込んできた。
いつも恋バナで盛り上がるコーチ仲間が教えてくれたというのもあって余計に盛り上がった。
なんというかホッとした。本当に良かったなぁと安堵の気持ちに包まれた。
そう、やっぱりこれ。結婚は周りの人をこういう気持ちにさせるためにするのではないか、と思った。
中谷美紀氏のお相手はウィーンのビオラ奏者。絵に描いたような美男美女が並ぶ。
おかげでビオラの認知度があがり「大きなバイオリン」と言われなくなる、というネット民の反応にもウケた。
私も学生時代から渡部篤郎氏と共に彼女のファンだったので、二人のドラマの結末がわかったような嬉しさもある。
こんなに嬉しいと思えるという事は、私のどこかでまだ結婚したいという願望があるのだろうか。
世界共通して言えることだが、どこにいても初対面の方には家族がいるかどうか聞かれる。
正直に「独身です」と答えるとものすごく驚かれる。そして理由もきかれるのだが、都度リアクションを変えてきた。
最近は「私は自分と結婚したから」と答えるようにしている。
すると結構な割合でウケてもらえる。相手に余計な気を遣わせずに済むのでしばらくはこれでいこうと思う。
そんな中、友人が私に紹介したい人がいるという。その方はイベント会社を営んでいるそうだ。
酔いながらも長い英語の長文を読む。そのイベントはなんとウィーンに関するものだと言うではないか。
(おぉぉ~!私にもチャンス到来?!)
と心を躍らせたのもつかの間、翌朝、よくよく読んでみると、「ウィーン少年合唱団」だった。
写真を見ると、なんとまあかわいらしい、ピュアな笑顔にすっかり心が浄化された。
そこにはニッポン男児も参加される予定らしい。
引き寄せた事柄を見れば自分が潜在意識下で何を考えているのかすぐにわかる。
私のモードは「恋愛」から「人類愛」へと着々とシフトしているらしい。
それも世のため人のためになっているのなら良いのかなぁと鷹揚に構えられるようになった。
来年こそは久々にウィーン少年合唱団のコンサートに行って清らかな歌声でさらなる浄化を目指したい。
続・セクシャルハラスメントへの見解
東幹久氏のセクハラ防止啓発ポスターが思わぬ反響を呼んでいるのだという。
困り顔の彼の写真を見て懐かしい気持ちになった。学生時代、私の大学祭にお越し下さったからだ。
当時抱いていた羨望の眼差しも重なって、どちらかというと同情の面持ちで記事を読んだ。
このポスターの説明は会話調になっている。
「今日の服かわいいね。俺、好みだな。」「痩せてきれいになったんじゃない?」
という東氏演じる「上司(?!)」の発言に対して受け手の女性はこう答える。
「関係ないでしょ!」「そういうことだけ見てるんですね…」
そこに「これもセクハラ?」の文字とともに、困った表情のアップ。
そしてメッセージはこちら。
「セクハラを決めるのは、あなたではない!」「相手や周囲に配慮した言動を!」
(おぉぉぉ!!!!!なんということか。)
私は目を向いて驚いた。私がいつも言っている発言そのままではないか。
この文脈に従うと、私は前述の「セクハラの加害者」のような発言を日々繰り返している。
なんと偶然にも、私は自己に対する「セクハラの加害者疑惑」についてブログを書いたところであった。
(やっぱり、私はセクハラの加害者だったのね。。。)とはからずしもコンファームされたことに気が付いた。
「セクハラ発言」というのはお国柄によって異なる。
先日、世界中で大活躍するスタンドアップコメディアンであるぜんじろうさんのステージを観た。
文字通りの抱腹絶倒を体験、何度でも行きたくなった。
ぜんじろうさんいわく、海外のジョークの基本は「皮肉」
確かに私は数年ぶりにテレビ制作現場で再会した仕事仲間に開口一番こう言われた。
「めっちゃ痩せたね!」
彼は、前回より7キロくらい太った私に敢えて真逆のことを言って笑いを取ったのだ。
もう皮肉過ぎる。さらに万が一でもここで目くじらを立てたら私の器の小ささが露呈する。
「一緒に笑う」という選択肢しかない、のである。
そういう観点も含めて(そういえばセクハラ被害にあったっけ?)と振り返ると、あった、思い出した。
これはもう、今世紀最大、いや人生最大、もっと言うと前前前前世最大のメガトラウマ級のセクハラ体験を思い出した。
それはある時、シンガポールの地下鉄に乗っていた時に不意に起きた。
何気なく優先座席の前に立つと、若い男性は私のお腹を見るや否や、迅速に席を譲るために立ち上がったのだ。
生まれて初めての出来事だった。状況を把握するのに時間がかかった。
わけのわからないままボーッとして反射的にオファーをお断りした。
その後、鈍い私はやっとハッと気が付いた。
(ガーン、妊婦さんに間違われた!!!)
とにかくショックだった。そのショックはじわじわとボディーブローのように効いてくる。
「異性によって心的トラウマを受けた」という事実だけを取り上げると立派にこれも立派なセクハラとして認定されるのではないか?!
でも、こんな時に大切なのは、その行為が行われた背景にある「可能な限り最高な意図が何なのか」に想いを馳せることである。
私にとっさに席を譲ろうとした若い男性の心は、天使のそれそのもの。
(次回から優先座席に座りたくなったら、お腹の脂肪をアピールするときっと座れるに違いない)ということも彼から学んだ。
それは詐欺行為に該当しそうなので実際にはしないけれど、お陰でそれ以来「胸」ではなく「下っ腹」に手を当てて考えるのが習慣となった。
インスタ映えするスイーツばかり毎日食べ続け、気が付けば体重が7キロ増。
久し振りに受けた健康診断ではしっかりと「若干の肥満」と診断されるに至った。
体脂肪が3割を占めると言われても(ヒトって8ー9割水でできていなかったっけ?)と即座には納得がいかなかった。
あれほど好きだったスイーツは今では毒物に見える。お陰で口に入れるものには細心の注意を払うようになった。
(セクハラってもしかして人生を変えるほどの大いなる警告なのでは)、そんな気さえしてくる。
どんな言葉も自分の解釈次第でいろんな意味を持つに違いない。
セクシャルハラスメントへの見解
シンガポールで日本人駐在員が痴漢をして捕まったらしい。馴染みのある場所で事件は起きた。
夜中だったので恐らく酔っていたのではないか。当然、酔っていたからといって許されるものではない。
反面、酔って衝動をコントロールできなかったに違いないと同情したい気持ちも湧いてくる。
こちらのメディアらしく実名、肩書き、顔写真がしっかり掲載されていた。
まだお若く見える彼を見て(なんてもったいないことをしたのだろう)と残念で仕方がない。
セクシャルハラスメントを受けた被害者が訴える#MeToo運動を受けて多くの女性が立ち上がった。
一言でセクシャルハラスメントと言っても程度には差がある。ハリウッドで叫ばれている内容を知るにつれて事の深刻さに触れて言葉を失う。
では自分に置き換えて考えるとどうだろう。私にとってセクハラとは何か。
私は出張がある時、なるべくお客様が宿泊するホテルとは別の場所に泊まる。
夜、お食事に行ってお酒に酔ってしまう可能性があるからだ。
では、そんな風に酔ってしまった後、どうなるのか。
正直なところ、私はまつげの長い男性に弱い。斜め横から見る感じが好き。
二重まぶたの根元でまつげが「バサッ、バサッ」と音がなりそうな感じにうっとりする。
他にはシュッとしたお鼻も好き。つい横からジッと眺めてしまう。
あと厚めのくちびるがぷるっとなっているのも好き。なんで乾燥しないのかなっと思って観察する。
さらに(意外と肩がしっかりしている!)というのを発見するのが好き。
それから筋肉質の腕も、引き締まったお腹も。。。という感じで続いていく。
ある時、ハッと気が付いてしまった。私はいつのまにかセクハラの被害者というより自分が加害者なのではないかと。
特に酔っ払うとあからさまに、近づいたり触れてしまう危険性が高まる。
よって、別のホテルに泊まり予め予防線を張ることでセクハラの加害者にならないように心がけているのである。
何をカミングアウトしているのか、という気もするが、こういうことは予め語りあってスッキリする方が健康的ではないか。
#MeTooという被害者が出る前に#AmI?と自問自答して自己完結をすることでセクハラ防止に努めたい。
来年こそは海外で活躍したいあなたに伝えたい緊急メッセージ
今年も余すところ後2ヶ月。1年があっという間に過ぎようとしている。
おかげさまで日々通訳をさせて頂いており感謝の気持ちが絶えない。
シンガポールというお国柄だろうか。ありとあらゆる分野、業界、職種のクライアントとご一緒させて頂いている。
最近では各界の要人である政治家、上場企業の社長、取締役、幹部社員、起業家、医師、弁護士、公認会計士、コンサルタント、教授、作家、アーティスト、芸人の方々などどんどん幅が広がっていく。
国籍も日本人に限っておらず、人種も性別も年齢も様々で、世界中から集まられた方々に囲まれた環境に身を置いている。
通訳をさせて頂くことで学ばせて頂いていることは計り知れない。ご依頼頂いてから当日までは、さながらクラッシュコースのように資料を頭に叩き込む。
緊張しながら当日を迎え、通訳をする瞬間は、彼らの想いに心を寄せて呼吸を合わせる。
それと同時に「人としてのあり方」といった「エッセンス」をたくさん吸収させて頂く機会に恵まれた。
多くの学びを自分一人で留めるのはもったいない。第一線で活躍する方々の背中から学ばせて頂いたことを次世代になんとかお伝えできないかとずっと考えてきた。
当然ながら彼らが話す「コンテンツ」は守秘義務があるので共有することはできない。
では私が培った経験を通して次世代にできることは何か。それはこれから海外で活躍したい人達に向けてトレーニングを行うことだ。
海外に出た途端、周りの人の目には日本人代表として映る。その時に英語で何を伝えたいのか。目の前の人達とどう関わりたいのか。
正直、そのための英語学習メソッドは山というほどある。にも関わらずなかなか英語が身に付かない。それは結局そのメソッドが自分にしっくりきていないからである。
私自身、NLPやコーチングを学びわかったことがある。それは「もっとも重要なのは、自分にあったやり方で自分のコンテンツを伝えることにフォーカスする」ということだった。
とはいえ、NLPのモデリングやコーチングだけでは、まだ未経験のことに取り組むのにあたって充分ではない。「答えは自分の中にある」と質問責めにあっても、引き出しが無いから余計に辛くなるだけだ。
そこで私自身、海外生活でぶち当たる数多くの難関を乗り越えサバイバルしてきた経験に裏打ちされたノウハウを惜しみなくシェアすることで全力でサポートしたいと思う。
少子高齢化の日本。インバウンドを待っているだけでは足りないが、ビジネス公用語である英語を身に付けた瞬間、自ら世界中で商談ができるようになり、可能性が一気に広がる。
行動に移せば移すほど目標に近付ける。新しい年がさらに大きな飛躍の年になるよう応援したい。
もっとラクに生きるために念頭に置いておきたい3つのキーワード
ラップトップが「空き領域足りていませんけど大丈夫ですか?」と何度もきいてくる。
忙しいのでかなり無視をしていたけれど、そろそろ向き合って上げないと自分が困ると思って、とうとう断捨離を始めた。
たまった書類を削除していくうちに懐かしい写真が出てきた。特に目をひいたのは新卒で入社した時の写真である。
新しい制服に身を包み、受付で嬉々とした表情でカメラに向かう自分。我ながら初々しいというのはこういうことなんだなぁと納得する。
そこに写っているかつての私を見て、本当に私なのだろうか、と疑わずにはいられなかった。
まず最初に、当時の私は痩せていた。太いと思っていたけれど今よりは細い。私にも普通に首があったのね!と驚く。
超氷河期だったにも関わらず、卒業一月前に応募した3社目で無事就職できたことは奇跡に近い。
オーナーのお嬢様と同じ大学出身ということで気に入って頂いたことも入社させて頂いた理由の一つだと思う。
面接の時に「海外で働くのが夢です」と率直に伝えたことも功を為したのか、総合職で採用された。
人事の女性の先輩に「いつの日か社長になりたい」という夢も語っていたため、経理を任された。
今思うと、さながら子リスのハートを持ちながら、一生懸命口にどんぐりをたくさん詰めて大きく見えるフリをしていた感がハンパない。
「背伸びをすれば背は伸びる」という言葉を真に受け、ハイヒールを履いては「自分でない自分」になろうとしていた自分に教えてあげたいことがたくさん出てきた。
もっとラクに生きるために念頭に置いておきたい3つのキーワードとはズバリ「同調圧力」「承認欲求」「マウンティング」だ。
人々の中に見受けられるこうした共通項に対する折り合いの付け方がわかっていれば、大抵のことは乗り越えられると思う。
現代社会において往々にして「皆、同じ価値観を持たないといけない」という「同調圧力」の中、自分の価値観とは異なるところで目標を持たらされる。
しかも人間の根底から湧き上がる「承認されたい想い」が渦巻く中、認められたい一心で、やりたくないこともやらなければいけない状況に陥る。
だけどせっかく達成しても思いのほか誰からも誉めてもらえないので自ら「私の方がすごいでしょ」とマウンティングせざるを得ないのだ。
この流れの中で生きていく上で、昔の私は人と違う自分を目の当たりにする度にちょっとしたことにえらく繊細で、過敏に反応していた。些細な一言が心に響き、長い間ひきづることも多々あった。
それは小さい頃から本質的に自分が最も欲している価値観が「自由であること」だからである。
でも今はどうだろう。そういうのがぐるぐる渦巻いて、異なる価値観の人同士、絶え間なく小さな紛争をしているのが社会なのではないか、と俯瞰で観られるようになった。
チームとして共通の価値観も持ちつつ、みんなそれぞれ異なる価値観を持ちながら生きているからこそ彩り豊かな人生を送ることができておもしろいのだと思う。
人間が画一的になり過ぎて、ロボットのようになってしまったら、彼らに仕事を奪われるではないか。
今日はインドのお正月「ディワリ」である。調べてみると人口が多くなんとなくふわっと折り合いを付けて「お正月という位置付け」になったらしい。
シンガポールでは何回も新年を祝うので年に何回も生まれ変わった気分になれる。
「最近、婚活はどうしているの?」という問いについて
先日東京で再会したコーチ仲間に「モーニングページが一番良いよ~!」と言われたのをふと思い出した。朝起きたら心の中にあることを洗いざらい全部書くというアレである。
ただ私はなんでも自分流にアレンジするのが好きなのだ。今は夜なので「ナイトページ」だし「自分のためだけに書くモーニングページ」とは対照的ではあるが、せっかくアウトプットするならブログにしようと思い立った。
先週土曜日は疲れがたまっていたので寝だめをした。ぐったりしていたけれど、夕方頃慌てて起きだし、同窓会へ行く準備をした。
廊下に出ると、なんと同じフロアのご年配の女性が床に座り込んでいる。
彼女は以前朗らかに中国の方言で話しかけて下さったことがある。でも私は方言を理解できないので、なんとなくニコッと挨拶をしてその時は終わっていた。
その彼女が驚きの表情で床に座っている。状況から察するに、ゴミを出しにドアを開け、一歩足を踏み出した瞬間、雨で濡れた床で転んだようだ。
非常にショックを受け、呆然としておられたため、私は手を差し伸べた。雨で濡れている床は一部分だけなので、少しだけそこから離れてもらった。
なんとか踏ん張って起き上がってもらったところ、気を取り直され、小声で「サンキュー」と言ってお部屋に戻られた。
彼女も私と同じで一人で住んでいるのだろう。私が通りがからなかったら彼女はずっとあのまま座り込んでいたのだろうか。
ほんの数分のできごとに、なぜか私もショックを受けつつ、興奮冷めやらずの状態で同窓会に向かった。
土曜日の夜、行きつけのPIXYでディナーを頂く。中高大の同窓会で先輩、後輩の皆様とお話していると懐かしさがこみ上げる。
ご結婚なさっておられる方もいらっしゃればそうでない方もおられる。ご家族の話、近況などで盛り上がる。
日本の有名フランス料理店のシェフによるおススメメニューが美味しくて時間があっという間に過ぎてしまった。
色々なことを思いながら気が付けば、プロセッコ、白ワイン、赤ワイン2杯も飲んでいた。
「お酒強いですね」と言われ、ふと20代の後半の頃を思い出した。シンガポールに来てまだ間もない頃だった。
私だけ女子という状況が多かったのでどうしてもお酒に強いふりがしたかった。なめられたくなかった。
一通り食べた後に自ら指を喉に突っ込んで全部吐くことを覚えた私は、その後もまたひたすら飲んでいたことを思い出した。
今思うと本当に若かったなぁと感心する。今はどうだろう。一度食べたものは勿体無さ過ぎて絶対に吐かないと決めている。
人は年齢を重ねるにつれて自立を強いられ、どんどん強くなっていく。そして大抵のことは一人でできるようになる。
いつの間にか段々と肉体的にも精神的にも何とかちょうど良いところで手をうてる器用さも身に付けていくのだ。
「最近、婚活はどうしているの?」と問われた結果、私はこう答えた。
「一通り婚活について考え精神世界を駆け巡った後、突き詰めて考えると私にとって重要な価値観は『人に迷惑をかけないこと』だとわかったんですけど、そのために大抵のことはお金で解決できるので、猛烈にお金を稼ぐことにしました。」
こう話すとみんな爆笑する。一見矛盾しているかのようで滑稽な話だが、これが独身女性のリアルな実情なのだ。
諸先輩から「結婚はしなくて良いけどパートナーはいた方が良いよ」とアドバイスを受けたこともある。
確かに転んだ時や病気をした時にひとりぼっちだと人恋しくなりそうだし、心の拠り所があるだけでも人生は豊かになりそうな気はする。
「お付き合いはするけれどお財布は別の方が良いよ」という意見もある。確かに女性の方が稼ぎがある場合、離婚すると持っていかれるらしい。
そしてそういった諸々を総合的にまとめると、一人でいる時が普通に楽しいので、結局好きな人と好きな時に好きな場所で適宜会えれば良いという結論に至った。
一生涯を共にすることを誓う結婚は私には荷が重すぎる。毎日お互いが想いを交わすことを確認し「今日もなんか続いたね」と更新できたことを祝えれば、それで十分な気がする。
スピリチュアルについてのお話 その1
最近、ますます心の底からあふれ出て止まらないことがあるので、ここに書いてスッキリしたい。
それは自身のスピリチュアリティーに関してだが、今からそれをもっとオープンにしていく方が良いらしい。
昔から節目ふしめにスピリチュアルカウンセラーと出遇わされる。最近出逢った方からも多くのメッセージを受け取った。
そして最初からズバリ見透かされたように言われた。
「あなたは霊媒ですよね」
最初からこんな感じだったので面喰らった。同業者の方はお見通しのようだ。
今思うと、小さい頃から霊感が強かったのだろうか、暗いところが怖くてしょうがなかった。
なぜか自分を守るためにたくさんのぬいぐるみに囲まれていないと眠れなかったのだ。
この「霊」についてのお話はなかなかセンシティブだ。「霊」は目に見えない。
目に見えないものは「想像の産物」と分類されるのだから仕方がない。
でも江原啓之氏のお陰で随分市民権を得たようにも感じる。
私も彼の本を読んだ時にはとても救われた。
彼の後を追うように、スピリチュアルに詳しい先生のもとで勉強したり訓練をして色々なことができるようになった。
誤解を恐れずに言うと、ありとあらゆる方法で治そうと思っても治らなかった時に、スピリチュアルカウンセリングが有効な事も多い。
私自身「魂を癒す」為に学んで活用しているメソッドは数多くある。改めて列挙すると以下の通り。
✴︎ オーラリーディング
✴︎ エネルギーヒーリング
✴︎ チャクラクリアリング
✴︎ 光の言葉セラピー
✴︎ 過去世療法
✴︎ インナーチャイルドセラピー
✴︎ 未来療法
✴︎ ヒプノセラピー
✴︎ タッピングセラピー
✴︎ グリーフケア
✴︎ スピリットとの対話
✴︎ コーチング
✴︎ アートセラピー
これだけを読むと(「オーラ」とか「過去世」って何だろう)と思われるのも不思議ではないだろう。
私もこういうことを語ると「怪しい」と思われるので(言わないでおこう)というためらいがあった。
でも、最近感じるのは、そんなためらいよりも、より多くの魂を癒すお手伝いをする方が大切に思えるようになってきた。
その想いは日に日に強くなってきたので、自分の立ち位置を明確にしつつ、できることをもっとしていかなければと思ったのだ。
「オーラ」や「過去世」とは何か。私はそれを「魂を癒す過程において見えるツール」だと捉えている。
結果にコミットする上で「魂が抱えたキズ」はあらゆる形で発見される。
表現の仕方は人それぞれ。「正しいか正しくないか」は横に置いたとしても、大切なのは「癒されるか否か」なのだ。
先に挙げた手段で心身共に癒されたと言って下さった方は多い。
だからこの際、私は「オーラ」や「過去世」の真偽の程は問わないことにした。
究極的には「信じるか信じないか」の世界ではないかと言われるかもしれない、確かにそれもある。
いずれにせよ、私が目指しているのは、魂を癒した後、「人生が良くなるかどうか」という一点のみが大事なのである。
スピリチュアル談義でひとしきり盛り上がった後、ある方がおっしゃった言葉が今も忘れられない。
「つまるところ、ひき算なのか、かけ算なのかという計算式が違うだけで、たどり着く答えは一緒なんだよね。」
本当にその通りだと思う。限りある人生、自分に合ってさえいればどんな計算式でも構わない。自分に必要な答えを導き出して欲しいと願ってやまない。