どうしたら自死を防げるのか
人の死を体験して、それをブログに書くことが不謹慎だと思われるかもしれない。それでも書かざるを得ない。
数年前にフェイスブックで知り合った方がお亡くなりになられた。訃報を知ったのもフェイスブックの投稿だった。
急なことで言葉を失った。「共通の友人」がいたので、実際にシンガポールで、日本でお会いしましょうという機会も果たせなかったのを思い出す。
急な旅立ちだったのでモヤモヤが止まらない。「共通の友人」にも連絡を取り、死の真相を知る。
嫌な予感は当たった。自死だった。プライバシー保護の関係で詳細を書くことは控える。
その方の死因が自死と知ってから、心にさす影がますます重くなった。弟の自死を経験してから、誰にも死に急いで欲しくないと強く思ってきた。
あれから15年も経った。いろんなスキルも身に付けたのに、結局、活かせなかった、という悲しみに覆われた。
自死した家族や親友を持つ方々とも話し合った。口に出さなくとも「なぜ救えなかったのか」という無念さを共有する。
そんな時、私は自分が見聞きしたことをシェアするようにしている。今までは口頭でしかお伝えしてこなかったことも、少しでもその方々の役に立てばと思うので、ここにも記したい。
自死した魂はどうなるのか。この世を去った方とこの世を生きる方との間で、かなりのやりとりをされている方にも数多く会いに行った。
1人目はベストセラー作家で、彼と対面する機会を得るには、コンサートチケットに当たるような確率で貴重だった。
予約が許可された日時、電話する前に祈った。「神様、私にチャンスを下さるならば、そこで得たアドバイスを独り占めすることなく5倍以上にしますので当ててください。」と。
私の祈りは無事に聞き届けられ、1本目の電話で即座に予約ができた。当日、作家さんが「よく当たりましたね、どうやって当てたんですか?」と不思議がられたので、祈りについて述べた。
作家さんいわく、実は自死した人は、この世に生まれる前に、既に自死すると決めてから生まれてきたのだそうだ。
ただ、作家さんの立場からしてもそれはわかるけれど、さすがにそんなことを本に書けないのだそうだ。でも、私はそれを聞いて、ある意味救われた。
2人目は、長年、実績を重ねたおつなぎ役の方だった。リーディングを受けた時、亡き弟を呼び出してくれた。亡き祖母がひっぱり出してくれたらしく、やっと出てきてくれたのが3年前だ。
おつなぎ役は、亡き人物の死に際が「うつってしまう」らしく、弟が乗り越えた苦しさを体感していた。その後、生前通り、元気な弟が出てきてくれた。
私がお伝えするまでもなく、生前大好きだったシュークリームを食べていた。いつも勉強している私のイメージを送ってくれたそうだ。
弟と過ごした懐かしい思い出に胸がいっぱいになった。その後、おつなぎ役が教えてくれたことは、亡き弟は、自死した時に「自分が自分でなくなった」そうだ。
自分が自分でなくなる。では、冒頭の方は、自分が自分でなくなったから自死したのだろうか。遺書もなく、理由がわからない。
弟が旅立った時「自分の意志で亡くなったから良かったんだよ」となぐさめられたのを思い出す。その方は哲学を学ばれていたので、ありがたくお言葉を受け止めた。
自死をした方々にオマージュを捧げるとしたら、ご本人が自死すると決めた決断を尊重することなのかもしれないと思えた。
もちろん、私は自死そのものは納得できないし、肯定はできない。ただ、それを選んだ故人に対して、せめて一切の批判をせずに送ってあげたいと思うのだ。
自死をタブー視せず、現実を直視して、自分と周りの方々の感情も受け止める。
そんな風にオープンに語れる機会を持てた時にはじめて、どうしたら防げるのかを議論できるのかもしれない。