日本人女性の貧困について、語らざるを得ない

この度は、澁谷でお亡くなりになった大林三佐子さんについて、心よりご冥福をお祈り致します。実質フリーランスの私は、彼女の死が他人事とは思えず、しばらくモヤモヤが止まらない。

 

彼女はなぜ、あのような死を迎えなければならなかったのか。若かりし頃の美しく輝ける日々が取り沙汰にされればされるほど、私の心のうちにある「理不尽さ」は増幅されるばかりだ。

 

私が知りうる情報というのは、あくまでネットで拾い集めた「伝聞」に基づくものである。それをもとに、私は想像を膨らませる。

 

まず、間違いなく言えること。それは青春時代を謳歌する彼女は、自分の人生を精一杯生きて輝きを放っていたということだ。

 

最も印象に残ったのは、「NHK事件記者/取材ノート」の「追跡 記者のノートからひとり、都会のバス停で~彼女の死が問いかけるもの」という記事だった。

 

興味がある方は以下のリンクから、ぜひともアクセスして、彼女にオマージュを捧げて頂きたい。

 

https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote15/

 

まず、私は、彼女のモノクロ写真から目が離せなかった。西村知美氏を彷彿とさせる、眩しく輝かしき日々の写真だった。

 

彼女は地元の短大を卒業後、アナウンサーを目指し、教室に通いながら、結婚式場で3年ほど司会を務めていた。劇団にも所属していたそうだ。

 

「自分で会社を作りたい」とも話していたそうで、アメリカに住む叔父のもとを訪ねたこともあるそうだ。

 

詳細について、ぜひとも上記のNHKの取材陣が取材して記したリンクを熟読して頂きたく、ここでは敢えて詳細に触れるのは控えるが、この記事を読んで、私が思うことについてシェアしたい。

 

私が、日本人女性の皆さんにお伝えしたいのは、「最後まで夢と希望を棄てずに生き抜いて欲しい」ということだ。

 

私たちは生まれてから今まで、数えきれない愛に囲まれて生きてきた。全ては奇跡で、「当たり前」の反対の「有難い」しか無かったのだ。

 

どうか、最後の最後まで、諦めずに踏ん張って欲しい。なぜなら、世の中、助けを求めれば、助けてくれる人はたくさんいるからだ。

 

アドラーの心理学によると「自分が好き、他人を信頼できる、貢献できる」という3つの原則があり、誰しも貢献したくてたまらないらしい。

 

厚かましいのを重々承知の上、私は天国の三佐子さんに伝えたい。それは、生前、どうかもう少し、周りに助けを求めて欲しかったということだ。

 

彼女が反論できないにも関わらず、このようなことを提言するのも、ちょっと申し訳なく思う気持ちもあると同時に、でも今生きている方々に届くことを願いつつあえてお伝えしたい。

 

あなたは生きている限り、お返しができる。それはどのような形かは、あなたにも私にもわからない。ひょっとしたらお金以外の情報や人脈かもしれない。

 

だからこそ、私もなんとかして生き延びようと思っている。生きている限り、必ず恩返しができると信じているからだ。

 

私は今でもまだ自分の生活を支えるのが精一杯で、自分が他者をサポートできる分量は、微々たるものだけれど、なんとか踏ん張って、歯を食いしばって生き抜くなかで、なんらかのバトンを繋いでコロナ禍を乗り越えていきたい。

 

「人生塞翁が馬」とか「振り返って点と点を線で繋ぐ」という表現もあるが、後になってみて初めてわかることも多い。

 

1人でも多くの方が、どうにかして夢と希望を思い起こし、それを胸に抱え、前だけを向いて、「今、ここ」に集中しながら日々を生きて欲しいと祈るばかりである。