人生において最も避けなければいけない態度について

やっと風邪が治った。今回のはやたらしぶとかった。鼻水やのどの痛みはさほどでもなく、咳もクシャミもチラッとしか出なかった。

 


にも関わらず、時折、後頭部に脈を打つかのように激しい痛みが走った。健康診断でも問題無く、半年後に行った念には念を入れた再検査も問題無かった。

 


でも、よく聴く突発的な脳内出血だったらどうしようと恐れていた。やっと思い出したかのように熱を測ったら37.8度というこれまた微妙な感じの結果が出た。

 


胃も痛くなる時があった。お誕生日週間だったので楽しいことで満載になるはずだったのにことごとくキャンセルをせざるを得なかった。

 


結果、私は薬を飲んでは汗をかきまくり、ベッドの上でのたうちまわり、薬を飲むためだけに胃に食べ物を入れるのを繰り返すうちに一週間が過ぎた。

 


最初と最後の方は合間にお仕事もしたり、チラッと観光案内もしたけれど、大半はベッドの上にいた。

 


なんとか市販の風邪用パナドールで乗り切ったが、今思うとこれはシンガポールでよく聴く「ストマックフルー」ではないかと感じた。覚えていたら今度お友達に訊いてみようと思う。

 


病気になったのは集団でお仕事をしている中で菌をもらい、私の免疫が下がっていたから発症したというのはわかっている。

 


ただ私は滅多なことでは病気にならない。複数の病院で通訳のお仕事をすることもあるので、患者として行ってしまうと皆んなが混乱すると思うとますます行けない。

 


だから私は自分に対して「決して病気にかかってはいけない」と常日頃言い聞かせているし、病気になっても薬局の薬を飲むに止める。

 


それではなぜ、私はこの微妙な感じの不思議な風邪とおぼしき病気になったのか。

 


実は心当たりがあったのだ。私は最近、朝目覚めて、夜寝る前、ものすごく幸せを感じていた。

 


「至福感」というのはこういうことだろう、と気が付いた。太陽と共に静かに目覚めて眠りにつく。

 


ミャンマーで10日間の瞑想がしたくてしたくてたまらない私に、瞑想仲間が教えてくれた。瞑想道場に行けなくても家で瞑想をしたら良いよと。

 


それ以来、シンガポールの家にいる時には常に瞑想をしているかのような心持ちで過ごす事にした。結果、良い心の状態を保つことができるようになったのだ。

 


でも人間、そう簡単にはできていない。心の平安が訪れたのも束の間、次に私に押し寄せたのは、またもや厄介な心の持ちようだった。

 


それこそが「飽きる」という気持ちだった。

 


これは本当に達が悪い。私はこれこそが「人生で最も避けなければいけない態度」だと感じる。

 


人間は感じたい感情を得るために生きている。何年もかけて「至福感」を手に入れた私を襲ったのは、その平穏な日々に「飽きる」というオチ。文字通り「なんでやねん」である。関西人にだけ起きる現象なのか。

 


人は生きている実感を味わいたくて「快楽」を追求し、心に刺激を求めるのだそうだ。

 


ただそちら方面も、例えばスキューバダイビング、バンジージャンプ、スカイダイビングなどなどもう十分すぎるほどやってきた。

 


他にも相当数の行動量でありとあらゆることに取り組んできたし、もっというと、私は完全成果報酬で生きているので、日々がチャレンジングそのものである。

 


「飽きる」ことは「怠惰」つまり「死」を意味する。私は途端に降ってわいた焦りの中「飽きる」ことに対する対処法を見出さなければとの思いで必死だった。

 


諸々考えた結果、ふと「飽きない=商い」からの斎藤一人さんを思い出した。

 


かなり久しぶりに斎藤一人さんの音声をひたすら聴く。以前はよくわからなかったことでも腑に落ちることが増えてきて驚いた。

 


特に商人として学ばせて頂けるとところはたくさんあった。中でも「愛、光、忍耐」という言葉には目からウロコだった。

 


「飽きる」の逆は「忍耐」ではないか。「自由」を生き過ぎていた私は「忍耐」について瞑想を始めた。

 


「忍耐」かなり嫌いな言葉だった。「忍耐」という盾を借りて、行動を起こす代わりに自分が向き合いたく無い「恐れ」から逃げているだけなのでは無いか。

 


マーライオンになりそうな胸○○悪い感じを思いっきり味わった結果、物の見事に病気になった。わかりやす過ぎて笑えてしまった。

 


ただ、このタイミングでこれに気が付けたことは良かったことだ。これからますます思い通りに動かなくなるこの体に付き合いながらなんとか生きながらえるには相当な「忍耐」が必要だ。

 


お陰で体重は3キロ落ち「忍耐」という言葉を見ても吐き気もしなくなってきた。少しは「忍耐」を克服できた気がする。

 


それからふと気が付くとこれまで許しがたく感じていた人達のことを思い起こしてみたら、いつのまにか「許せる」に変わっていることに気が付いた。

 


「忍耐」というチャンネルには、思いの外、暖かい「慈愛」に包まれた光景が広がっていた。これからもどんどんチャンネルを増やし、許容範囲を広げていきたい。