人はなぜ生きるのかについて

ビール部で30、40代の集まりがあって参加した。40代も残り少なくなったので参加できる時に参加しないとと思ったからだ。

 

地ビールを多数取り揃えるお店SG TAPSに行くためにチャイナタウン駅から歩く。コロナ前のような活気がよみがえっているのを横目に安堵感を感じた。

 

チャイナタウンはコロナ前に戻っていた。でも日本語ガイドの吹き替えをさせていただいたチャイニーズヘリテージセンターはまだ再開されていなかったのが残念だ。

 

風の時代が到来して時があっという間に過ぎてゆく。前回ブログをあげたのが昨年の7月だったことに今、気付かされたぐらい、文字通り光陰矢のごとしだ。

 

ブログを書く上で、私はいつもオチが浮かんだら書くのだが、前回から今まで書けなかったのは、それだけ迷っていたからだと思う。

 

でも今日書きたくなったのは、偶然横に座られた方と私には共通の友人がいたからだった。この方はちょうど1年前ぐらいに地球を卒業された。

 

実は彼は私の元同僚。大変モテる方だった。でもぶっきらぼうで、つい女性が求めていないのにアドバイスをしてしまうタイプだったよね、と故人を偲んだ。

 

今思うと彼ほどまっすぐに生きていた人はいない。だからこそ今でもこんなふうに彼について語る人が後を絶たないんだと思う。

 

何のために生きるのか。コロナ禍で制限が増すにつれ、できることは限られる。コロナ前、あんなに自由に世界を飛び回っていたのが嘘のようだ。

 

かくゆう私も、直撃されて、日本人のお客様がパッタリと途絶えてしまった。コンサル契約もことごとく止まった。

 

でも生き延びなければいけない。受け取りそびれていたお金をいただき、政府の補助金も受け取り、なんとか生き残れた。

 

さらに一向に先が見えない中、今までお尻が痛くなるという理由でお断りしていた翻訳を請け負った。

 

特に動画の字幕翻訳を大量にこなした。場合によってはボイスオーバーもしてほしいと言われ朗読をがんばった。

 

お陰で翻訳ならではの、自分の判断で決め切るという醍醐味を味わえたので、今となっては血となり肉となったと実感する。

 

とはいえ、優柔不断な私にはやはり時間で区切られ「現場感」を最大限に活かす通訳が恋しかった。猛烈に営業した結果、意外にもインバウンドのお客様が増えた。

 

私が困っているので、リモートの利点を使って私を選んでくださったのだ。お仕事をくださったのは日本在住の日本のお客様や、アメリカ人。今、思い出しても泣けそうなほど感動する。

 

人と人とのつながりの大切さを痛感した。いつでも塞翁が馬、出逢った当初はわからなくてもあとで謎が解けつつあるのだ。

 

一時はどうなるかと思いきや、むしろ世界中にお客様が増えたことは良かったと思う。それもシンガポールの良さなのかもしれない。

 

今こうして振り返りながら、生きる意味について実感できることがある。それは、人は生きるために生きるのではないかと。

 

これは単なる言葉遊びでは無い。なんの憂いもなくただ美しく咲く野の花のように、我々はありのままに生かされていると思う。

 

生かされている以上、生きること、そのものが目的になっても良いのではないか。今日、今。ここを生きている、この瞬間を大切にしている、これこそが尊いのだと。

 

今ほど、生きることそのものが重要に感じられる時はない。そんなことを実感するために、いろいろな出来事が起きているのではないか、という気すらするのだ。

 

私のような命にでさえ、心をかけてくださる大いなる存在に感謝してもしきれない。朝、目覚める度に今日も命を継続していただきありがとうという気持ちになる。

 

これを目にした方、どうか一緒に生き延びてほしい。そして一緒に乾杯したい。そんな日が来るのを待ち望んでやまない。