人はなぜ生きるのかについて
ビール部で30、40代の集まりがあって参加した。40代も残り少なくなったので参加できる時に参加しないとと思ったからだ。
地ビールを多数取り揃えるお店SG TAPSに行くためにチャイナタウン駅から歩く。コロナ前のような活気がよみがえっているのを横目に安堵感を感じた。
チャイナタウンはコロナ前に戻っていた。でも日本語ガイドの吹き替えをさせていただいたチャイニーズヘリテージセンターはまだ再開されていなかったのが残念だ。
風の時代が到来して時があっという間に過ぎてゆく。前回ブログをあげたのが昨年の7月だったことに今、気付かされたぐらい、文字通り光陰矢のごとしだ。
ブログを書く上で、私はいつもオチが浮かんだら書くのだが、前回から今まで書けなかったのは、それだけ迷っていたからだと思う。
でも今日書きたくなったのは、偶然横に座られた方と私には共通の友人がいたからだった。この方はちょうど1年前ぐらいに地球を卒業された。
実は彼は私の元同僚。大変モテる方だった。でもぶっきらぼうで、つい女性が求めていないのにアドバイスをしてしまうタイプだったよね、と故人を偲んだ。
今思うと彼ほどまっすぐに生きていた人はいない。だからこそ今でもこんなふうに彼について語る人が後を絶たないんだと思う。
何のために生きるのか。コロナ禍で制限が増すにつれ、できることは限られる。コロナ前、あんなに自由に世界を飛び回っていたのが嘘のようだ。
かくゆう私も、直撃されて、日本人のお客様がパッタリと途絶えてしまった。コンサル契約もことごとく止まった。
でも生き延びなければいけない。受け取りそびれていたお金をいただき、政府の補助金も受け取り、なんとか生き残れた。
さらに一向に先が見えない中、今までお尻が痛くなるという理由でお断りしていた翻訳を請け負った。
特に動画の字幕翻訳を大量にこなした。場合によってはボイスオーバーもしてほしいと言われ朗読をがんばった。
お陰で翻訳ならではの、自分の判断で決め切るという醍醐味を味わえたので、今となっては血となり肉となったと実感する。
とはいえ、優柔不断な私にはやはり時間で区切られ「現場感」を最大限に活かす通訳が恋しかった。猛烈に営業した結果、意外にもインバウンドのお客様が増えた。
私が困っているので、リモートの利点を使って私を選んでくださったのだ。お仕事をくださったのは日本在住の日本のお客様や、アメリカ人。今、思い出しても泣けそうなほど感動する。
人と人とのつながりの大切さを痛感した。いつでも塞翁が馬、出逢った当初はわからなくてもあとで謎が解けつつあるのだ。
一時はどうなるかと思いきや、むしろ世界中にお客様が増えたことは良かったと思う。それもシンガポールの良さなのかもしれない。
今こうして振り返りながら、生きる意味について実感できることがある。それは、人は生きるために生きるのではないかと。
これは単なる言葉遊びでは無い。なんの憂いもなくただ美しく咲く野の花のように、我々はありのままに生かされていると思う。
生かされている以上、生きること、そのものが目的になっても良いのではないか。今日、今。ここを生きている、この瞬間を大切にしている、これこそが尊いのだと。
今ほど、生きることそのものが重要に感じられる時はない。そんなことを実感するために、いろいろな出来事が起きているのではないか、という気すらするのだ。
私のような命にでさえ、心をかけてくださる大いなる存在に感謝してもしきれない。朝、目覚める度に今日も命を継続していただきありがとうという気持ちになる。
これを目にした方、どうか一緒に生き延びてほしい。そして一緒に乾杯したい。そんな日が来るのを待ち望んでやまない。
どうしたら自死を防げるのか
人の死を体験して、それをブログに書くことが不謹慎だと思われるかもしれない。それでも書かざるを得ない。
数年前にフェイスブックで知り合った方がお亡くなりになられた。訃報を知ったのもフェイスブックの投稿だった。
急なことで言葉を失った。「共通の友人」がいたので、実際にシンガポールで、日本でお会いしましょうという機会も果たせなかったのを思い出す。
急な旅立ちだったのでモヤモヤが止まらない。「共通の友人」にも連絡を取り、死の真相を知る。
嫌な予感は当たった。自死だった。プライバシー保護の関係で詳細を書くことは控える。
その方の死因が自死と知ってから、心にさす影がますます重くなった。弟の自死を経験してから、誰にも死に急いで欲しくないと強く思ってきた。
あれから15年も経った。いろんなスキルも身に付けたのに、結局、活かせなかった、という悲しみに覆われた。
自死した家族や親友を持つ方々とも話し合った。口に出さなくとも「なぜ救えなかったのか」という無念さを共有する。
そんな時、私は自分が見聞きしたことをシェアするようにしている。今までは口頭でしかお伝えしてこなかったことも、少しでもその方々の役に立てばと思うので、ここにも記したい。
自死した魂はどうなるのか。この世を去った方とこの世を生きる方との間で、かなりのやりとりをされている方にも数多く会いに行った。
1人目はベストセラー作家で、彼と対面する機会を得るには、コンサートチケットに当たるような確率で貴重だった。
予約が許可された日時、電話する前に祈った。「神様、私にチャンスを下さるならば、そこで得たアドバイスを独り占めすることなく5倍以上にしますので当ててください。」と。
私の祈りは無事に聞き届けられ、1本目の電話で即座に予約ができた。当日、作家さんが「よく当たりましたね、どうやって当てたんですか?」と不思議がられたので、祈りについて述べた。
作家さんいわく、実は自死した人は、この世に生まれる前に、既に自死すると決めてから生まれてきたのだそうだ。
ただ、作家さんの立場からしてもそれはわかるけれど、さすがにそんなことを本に書けないのだそうだ。でも、私はそれを聞いて、ある意味救われた。
2人目は、長年、実績を重ねたおつなぎ役の方だった。リーディングを受けた時、亡き弟を呼び出してくれた。亡き祖母がひっぱり出してくれたらしく、やっと出てきてくれたのが3年前だ。
おつなぎ役は、亡き人物の死に際が「うつってしまう」らしく、弟が乗り越えた苦しさを体感していた。その後、生前通り、元気な弟が出てきてくれた。
私がお伝えするまでもなく、生前大好きだったシュークリームを食べていた。いつも勉強している私のイメージを送ってくれたそうだ。
弟と過ごした懐かしい思い出に胸がいっぱいになった。その後、おつなぎ役が教えてくれたことは、亡き弟は、自死した時に「自分が自分でなくなった」そうだ。
自分が自分でなくなる。では、冒頭の方は、自分が自分でなくなったから自死したのだろうか。遺書もなく、理由がわからない。
弟が旅立った時「自分の意志で亡くなったから良かったんだよ」となぐさめられたのを思い出す。その方は哲学を学ばれていたので、ありがたくお言葉を受け止めた。
自死をした方々にオマージュを捧げるとしたら、ご本人が自死すると決めた決断を尊重することなのかもしれないと思えた。
もちろん、私は自死そのものは納得できないし、肯定はできない。ただ、それを選んだ故人に対して、せめて一切の批判をせずに送ってあげたいと思うのだ。
自死をタブー視せず、現実を直視して、自分と周りの方々の感情も受け止める。
そんな風にオープンに語れる機会を持てた時にはじめて、どうしたら防げるのかを議論できるのかもしれない。
日本人女性の貧困について、語らざるを得ない
この度は、澁谷でお亡くなりになった大林三佐子さんについて、心よりご冥福をお祈り致します。実質フリーランスの私は、彼女の死が他人事とは思えず、しばらくモヤモヤが止まらない。
彼女はなぜ、あのような死を迎えなければならなかったのか。若かりし頃の美しく輝ける日々が取り沙汰にされればされるほど、私の心のうちにある「理不尽さ」は増幅されるばかりだ。
私が知りうる情報というのは、あくまでネットで拾い集めた「伝聞」に基づくものである。それをもとに、私は想像を膨らませる。
まず、間違いなく言えること。それは青春時代を謳歌する彼女は、自分の人生を精一杯生きて輝きを放っていたということだ。
最も印象に残ったのは、「NHK事件記者/取材ノート」の「追跡 記者のノートからひとり、都会のバス停で~彼女の死が問いかけるもの」という記事だった。
興味がある方は以下のリンクから、ぜひともアクセスして、彼女にオマージュを捧げて頂きたい。
https://www3.nhk.or.jp/news/special/jiken_kisha/kishanote/kishanote15/
まず、私は、彼女のモノクロ写真から目が離せなかった。西村知美氏を彷彿とさせる、眩しく輝かしき日々の写真だった。
彼女は地元の短大を卒業後、アナウンサーを目指し、教室に通いながら、結婚式場で3年ほど司会を務めていた。劇団にも所属していたそうだ。
「自分で会社を作りたい」とも話していたそうで、アメリカに住む叔父のもとを訪ねたこともあるそうだ。
詳細について、ぜひとも上記のNHKの取材陣が取材して記したリンクを熟読して頂きたく、ここでは敢えて詳細に触れるのは控えるが、この記事を読んで、私が思うことについてシェアしたい。
私が、日本人女性の皆さんにお伝えしたいのは、「最後まで夢と希望を棄てずに生き抜いて欲しい」ということだ。
私たちは生まれてから今まで、数えきれない愛に囲まれて生きてきた。全ては奇跡で、「当たり前」の反対の「有難い」しか無かったのだ。
どうか、最後の最後まで、諦めずに踏ん張って欲しい。なぜなら、世の中、助けを求めれば、助けてくれる人はたくさんいるからだ。
アドラーの心理学によると「自分が好き、他人を信頼できる、貢献できる」という3つの原則があり、誰しも貢献したくてたまらないらしい。
厚かましいのを重々承知の上、私は天国の三佐子さんに伝えたい。それは、生前、どうかもう少し、周りに助けを求めて欲しかったということだ。
彼女が反論できないにも関わらず、このようなことを提言するのも、ちょっと申し訳なく思う気持ちもあると同時に、でも今生きている方々に届くことを願いつつあえてお伝えしたい。
あなたは生きている限り、お返しができる。それはどのような形かは、あなたにも私にもわからない。ひょっとしたらお金以外の情報や人脈かもしれない。
だからこそ、私もなんとかして生き延びようと思っている。生きている限り、必ず恩返しができると信じているからだ。
私は今でもまだ自分の生活を支えるのが精一杯で、自分が他者をサポートできる分量は、微々たるものだけれど、なんとか踏ん張って、歯を食いしばって生き抜くなかで、なんらかのバトンを繋いでコロナ禍を乗り越えていきたい。
「人生塞翁が馬」とか「振り返って点と点を線で繋ぐ」という表現もあるが、後になってみて初めてわかることも多い。
1人でも多くの方が、どうにかして夢と希望を思い起こし、それを胸に抱え、前だけを向いて、「今、ここ」に集中しながら日々を生きて欲しいと祈るばかりである。
女性が多いと会議の時間は長くなるのか
今、巷で話題の発言について、私も女性のはしくれとしてコメントせずにはいられない。皆さんはどのようにお感じになられただろうか。
正直、発言者に対しては、(失言、再び)といった感じで、すでに長年の間に免疫ができていたようで、驚きを通り越して静観するような心持ちですらいた。ご高齢だし、という思いもありフラットであった。
ただ「女性が多いと会議の時間が長くなる」という発言内容には、とても引っかかった。私が女子校出身だからかもしれない。そんなことを比較するという概念がそもそもないことにも気付かされた。
ある時、会議室に美しい絵が掲げられており「とても綺麗な絵ですね」とお伝えすると「女性らしい感性ですね」とおっしゃって頂き、とっさにキョトンとしてしまった。
どうやら私の表情が意外だったらしく、女性という言葉を使われたことを申し訳なく思われたようだった。それに対して私も申し訳無くなってしまった。
普段、女子トイレに行く時以外は、あまり女性を意識していないのだが、なるほど、私は自分が思っている以上に男性に女性として認識されているんだなぁ、と感心してしまう。
確かに海外ではレディーファーストの概念があるため、男性も女性を意識しないわけにはいかないのであろう。
一方で、私自身は海外で生き抜く上で、最も大切なことの1つは、出会ってすぐに相手の魂の本質を知るということだと直感的に感じている。
具体的には、お相手の性別、年齢、国籍、人種に関わらず、その方のエネルギーや波動を感じて、できる限りその方について理解するということだ。
ソーシャルメディアの投稿でもそれは訓練ができ、だんだん詐欺師かどうかも直ぐに判別できるようになり、初対面の方にも「全てを見透かされている気がする」と言われることもよくある。
あっ、気が付けば、早速、話が遠回りしているので、「ユミさんの話が一番長いわ、女性らしいね」とツッコミが入りそうなので、本題に戻す。
何が言いたいかというと、私はなるべく人の本質を見抜く上では、その方の魂にアクセスするよう心がけ、社会的な行動様式に合わせる上では、必要に応じて性別を意識するようにしている。
では「会議の長さ」に関してはどうだろう。個人的に私が思うのは、これはスキルレベルの話であって、ファシリテーションのノウハウを学べば済むだけの話ではないかと思ってしまった。
先日、シンガポール和僑会で会員の方のご厚意で、素晴らしい講師をお招きしてポータブルスキルとしてのファシリテーションスキルを教えて頂いた。
講師の柴田励司氏は2007年、経営コンサルティング事業と人材育成事業を柱とする株式会社Indigo Blueを創業。現在は同社の代表取締役会長を務めるかたわら、講演活動などを通じて人材育成に携わっておられる。
たった2時間という短い時間にも関わらず、長年にわたるご経験に基づいた知見をこれでもかというほど、惜しみ無くシェアしてくださった。
「優秀なプレーヤーは、なぜ優秀なマネージャーになれないのか?」という著作も購入したが、大変役に立つ内容であった。
このようなスキルレベルで解決できる枝葉の話を、わざわざ性別の話まで持ち込んでしなくても良い時代が来ることを願って止まず、これを機に研修の重要性を声高に叫ばずにはいられない。
流行りのクラブハウスを使ってみた
今流行りのソーシャルメディア「クラブハウス」を早速使ってみたので、感想を述べたい。
実は数ヶ月前、西海岸にお住まいの人気講師であるキンバリー・ウィーフリング氏にご招待されていたにも関わらず、ちょっとよくわからず、登録半ばにして完了しないままだった。
当時は招待制ということも知らなかったので、ウッカリ先延ばしにしてしまったけれど、今思うと大変もったいないことをしたと悔やまれる。
今回は、この数日、フェイスブックでクラブハウスについての投稿を目にするようになったのと、幸いiPhone ユーザーなので、今回はタイミングを逸してはいけないと、そそくさと登録を急いだ。
よくわからず登録してから、そういえば、今回、誰からも招待されていないことに気が付いた時、シンガポール人のお知り合いがサクッと承認してくださった。
夜中に「追加したよ〜!」とワッツアップで連絡が来た時は感動に震えた。「フォローしたよ〜、フォローバックしてね〜!」というやりとりをした。
早速クラブハウスにアクセスすると、勝手がわからないので、そのまま放置。翌朝、スマホを開くと通知がどんどん来た。
そのグループは著名なビジネスコーチによるもので「心に火を点けて!」と言ったことを熱く語っておられる。
やはり声だけ、しかも生放送ってすごいなぁと圧倒され、少し聞き入ってしまう。ライブの臨場感が伝わってきて、あっという間に目が覚めた。
せっかく招待枠が2枠あるので、フェイスブックに投稿し、興味のある方々をお誘いした。喜んで頂けたので大きな人助けをした感覚がわいてきた。
それと同時に、携帯電話の連絡先に登録している方々が招待を待っていると「追加してあげませんか?」という通知が続々と届くようになったので次から次へと追加した。
この「いつ入れるかどうかわからなくてドキドキする感覚」でみんな登録してしまうんだろうなぁと思った。ワクワクする。
しかも!メンタリストDaiGo氏や、与沢翼氏もリスナーの質問に回答しているではないですか!その真摯な受け答えぶりに感動した。しかも結構な長時間である。
クラブハウスの特徴として音声だけなので、当然耳からしか聴こえないのだけれど、これが地味にすごい。声ってこんなに人柄を表すものだったっけと改めて感じた。
しかも、ラジオと違って、生ライブでアーカイブも無く、旬の「今、ここ」の肉声しか聴こえないのである。
編集されたり、ジングルの音楽が添えられているわけでもなく、むしろ生活音が入るので身近に感じる。
さらにコメント欄も無いので、目にしたくなかった誹謗中傷が目に入ってくることもないのだ。
バックグラウンド再生ができるのもありがたい。メッセージが入ってきたらそちらに移動して返信をしても、会話が聴こえるのだ。
このアプリは今、かなり着目され、今後どうなるのか、皆さんも気になるところだと思う。忙しいビジネスマンに向かないといった意見もある。
私自身はというと、率直に言って、今のところまだワクワクしていて、可能性を感じている。ますます世界と繋がれる感じがしている。
というのも、自らの写真の加工にもはや限界を感じていたし、そもそもコロナ禍でずっと家にいるので、加工できる写真がほとんど無い。
諸々考えた結果、顔を出さずに静止画でYouTube動画を発信して、どこまで着目ならぬ「着耳」が可能かどうかを思案しているところだったのである。
そんな私のポジティブな声が届いたのか、招待枠が3枠追加された。この追加して差し上げると喜ばれるというのも、貢献度が満たされる仕組みで感心する。
次のステップとしては、私も自分のこれまでの経験をもとに、声で貢献すべく、ぜひ質問をお寄せくださいませ。一緒にお話ししてくださる方も募集しています!
劇的に在宅勤務の効率化を図る方法
2021年を迎えたが、今日も絶賛、在宅勤務中で、日中夜問わず、ずっとお仕事をし続けている。
かつて私は、IT企業で勤務していた頃、月末になると朝から夜中までラップトップに向かっていた。
シンガポールのオフィスはエアコンがよく効いていて寒い。ランチにはスパイシーなおいしいローカル食を頂く。加えてずっと座りっぱなし。
これほど「お尻の病い」に適した環境はないではないか。というわけで、私も例に漏れず、それを患った。
これまでごく限られたわずかな人数の方にしかお伝えしていなかったが、パソコンにかぶりつくお仕事から、対人支援職にシフトするようになったきっかけに、実はこの「痛い経験」も含まれる。
シフトした結果、対人支援職につくにつれて、私は一刻も早く目の前の方の問題を解決したい思いで必死で働いた。
働けば働く程、潜在的にもとからあったと思われるADHDが顔を出し始めた。私は飛び回りまくりたかったんだと、水を得た魚のごとく海外出張があるお仕事を率先して受けるようになった。
そして盛り上がっていた頃に途端訪れたコロナ禍で、在宅勤務を強いられた。以前と違う良い点は、オフィスに行く必要が無いという点である。
おかげさまでエアコンの温度は自由自在に調整でき、ランチは軽い自炊で済ませ、体調に合わせて寝溜め、作業溜めができるという点である。
ただ、唯一変わらないのは「座りっぱなし」という点である。自宅で独り必死で座りっぱなしでお仕事をしていたら、久しぶりに「痛い経験」がよみがえってしまった。
なんとも言えない敗北感。まるですごろくの振り出しに戻されたような気持ちになった。当時の思い出が走馬灯のように思い出される。
部署内で唯一私だけが日本人。本当に大変だった毎日。泣きそうになりながらも、お陰でビジネス英語力がかなり上達したのはありがたかったなと思い出す。当時を振り返りつつ感傷的になった。
過去を遠い目で思い出しながら、痛みに向き合い、徹底的にケアをしたお陰で痛みは消え去ったが、やはり独りで在宅勤務をすると境界線が消えていき「だらだら」と「うだうだ」の極みに陥った。
そこで思い出したのが「立って仕事をする」ということだった。これは実践し、習慣化しておられる方々からも、かなり良いと聞いていた。
実際、オンラインミーティングでも、立ってお話されている方からは、生き生きと生命力あふれるエネルギーが伝わってくる。
やはり人は床に足を付けてこそ力が湧いてくるに違いない。私もいつかやろうと思いつつも、なんだかんだ先延ばしにしていたが、新年も明けてしまったので、気合いで実行に移した。
とはいえ、諸々新たに買い揃えるのも大変なので、本来は横にして使うものを縦にして使ってみたら少し高過ぎた。よって家にあるミニチェアを踏み台にした。
さらに健康志向の強い自分のモチベーションを上げるため、スリッパに入れて使うツボを刺激するためボコボコと凹凸が激しい「足型の中敷き」を踏み台に乗せてみた。
早速、立ってお仕事を始めた。すると想像以上に集中力が増し、時間がかかっていたパソコン作業がみるみるうちに片付いた。
シンガポールでは「○○・オブ・エクセレンス」という表現がよく見受けられる。「卓越した○○」という意味だ。
私もそれを真似て「ステーション・オブ・エクセレンス」と名付けてお気に入り感を増幅させてみた。
ただし、そもそも踏み台はミニチェアなので、足全体を乗せるスペースは無いし、健康中敷きもツボを刺激してくるので長時間耐えられるものではない。
そこで「ステーション・オブ・エクセレンス」に「登壇」する前に、パソコン作業を効率良く行う手順も綿密に考えるようになった。
これにより、最速最短で鬼のように集中して作業を行うことに成功した。なんと自分比で半分以下の時間で終えられるようになったではないか。
お正月早々、我ながら自分の可能性に感動した。やはり優秀な方々がお勧めすることは実行してこそ意味があるのだなぁとしみじみ思った。
というわけで、皆さまもぜひお試し頂き、コロナ禍で辛く孤独な在宅勤務を盛り上げて頂ければ幸いです。
ビル・ゲイツ氏の思い出 私が出逢った著名人シリーズ①
新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願い致します。
コロナ禍で迎えるカウントダウン。お仕事が山積みの中、束の間の休息としてスタンドアップコメディアンのぜんじろうさんのライブ動画を楽しく拝見させて頂いた。
コロナ禍で得た大きな産物というのは、やはりオンライン化が進んだことにより、双方向型のやりとりが日常化した点であろう。
一晩に3件も4件もイベントをはしごするのが普通だった私にとって、オフラインを懐かしく思う気持ちを抱く一方で、オンラインの気楽さに居心地が良くなりつつある。
ぜんじろうさんのオンラインライブにありがたみを感じつつ、終わるや否や、そのまま寝てしまった。
ぜんじろうさんからのアドバイスとして、開運のために重要なのは「健康」というキーワードがしっかりインプットされた。
元旦にぐったりと目を覚まし、気が付けば何気に初夢を思い出した。なんとビルゲイツ氏が登場なさったのである。
私は以前、シンガポールのマイクロソフトに勤めていた。退職してから10年以上経つが、そこでの出逢いや経験など、未だに多くの恩恵を得ている。
当時、今は亡き母を安心させるためには、誰もが知っている大手企業で働かなければならないというプレッシャーが強かった。海外で独りで仕事をする身として、素晴らしい機会を頂いたと心底思う。
入社後、一度で良いからビルゲイツ氏にお会いしたい、と強く願うようになった。5年後、念願叶ってシンガポールオフィスにいらした際に、お目にかかったことがある。
当時、勤務していた社員は一堂に会し、会場でビルゲイツ氏の登場を待った。会場に現れた彼は、大変長身で、スラッとしておられた。
立ったままお話を始められたけれど、目の前にビル・ゲイツ氏がおられるという事実にただただ圧倒され、何をおっしゃったかまでは、正直、全く覚えていない。
ビル・ゲイツ氏のオーラは、とてつもなく壮大で、同じ空間をご一緒するだけで、宇宙の銀河系に引き込まれるような感覚を覚えて、今でもその瞬間をありありと思い出す。
社員は皆、一様にワクワク・ドキドキが止まらず、中には携帯電話を彼の顔に近づけて一所懸命、お写真を撮っている方々もおられた。
そんなことをしたら、気分を害され、その場でクビを通告されないか、と私の方がヒヤヒヤした。
そんな時もビル・ゲイツ氏は、変わらず紳士な対応で、にこやかに余裕の表情をしておられ、いついかなる時も、佇まいが美しいと感銘を受けた。
別の機会に、彼の右腕だったスティーブ・バルマー氏にお会いする機会にも恵まれた。彼も太陽神アポロのような佇まいで、会場自体があたたかいエネルギーで包み込まれたのを思い出した。
なんというか、世界規模で人々の生活を変容させるためにお仕事をなさっておられる方々のオーラは、地球全体を包み込むような大きなオーラをお持ちなんだなぁとしみじみ思った。
さて、初夢に話を戻そう。夢の場所はシンガポールのオフィス。広めのミーティングルームでなんらかの会議に出席していた。
出席者は少なく、私はビルゲイツ氏と同じ並びに座っていた。オンライン会議のようで、少人数しか参加していなかった。
プロジェクターによって映し出されたスクリーンでは、日系の化学メーカーが真摯に実績を残しており、今後も順調と映し出されていた。
ビル・ゲイツ氏とはほんの一言だけ会話をし、その後、その場にいらしたアメリカ人女性とシンガポール人スタッフと共に、ホーカーセンターに出かけた。
そこでシンガポールのデザート、アイスカチャンを食べた。(やっぱりゆで小豆は最高)というオチだった。
目が覚めて、私は早速ぜんざいを頂きながら、初夢に想いを馳せた。これはいったい何を意味するのだろうか。
昨年、私は「ある発言」に突き動かされ、ブログを一度しか更新できなかった。ゼロより1の方がマシだけれど、いろんな意味で、我ながら寂しかった。
今までは色々な場所を飛び回っていたけれど、コロナ禍でソーシャルメディアに投稿できる内容も減っていった。
でも、先に挙げたビル・ゲイツ氏との思い出のように、まだ皆さまにシェアできていない、たくさんのきらめくメモリーがあるというのを思い起こした。
だから、忘れてしまわないうちに、まだ生きているうちに、自分が感動したストーリーをどんどんシェアしようと思った。
最近、私が心の拠り所にしてやまない並木良和氏いわく、私たちは地球に成功するために生まれてきたのではなく、体験するために生まれてきたのだそうだ。
生きている限り、どんな体験も素晴らしい。今、大半を家で過ごし、内省を繰り返しがちな日々を過ごしつつも、いつか振り返って、あんなこともこんなこともあったね、とネタにできると良いなと思う。