ビル・ゲイツ氏の思い出 私が出逢った著名人シリーズ①

新年明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願い致します。

 

コロナ禍で迎えるカウントダウン。お仕事が山積みの中、束の間の休息としてスタンドアップコメディアンのぜんじろうさんのライブ動画を楽しく拝見させて頂いた。

 

コロナ禍で得た大きな産物というのは、やはりオンライン化が進んだことにより、双方向型のやりとりが日常化した点であろう。

 

一晩に3件も4件もイベントをはしごするのが普通だった私にとって、オフラインを懐かしく思う気持ちを抱く一方で、オンラインの気楽さに居心地が良くなりつつある。

 

ぜんじろうさんのオンラインライブにありがたみを感じつつ、終わるや否や、そのまま寝てしまった。

 

ぜんじろうさんからのアドバイスとして、開運のために重要なのは「健康」というキーワードがしっかりインプットされた。

 

元旦にぐったりと目を覚まし、気が付けば何気に初夢を思い出した。なんとビルゲイツ氏が登場なさったのである。

 

私は以前、シンガポールのマイクロソフトに勤めていた。退職してから10年以上経つが、そこでの出逢いや経験など、未だに多くの恩恵を得ている。

 

当時、今は亡き母を安心させるためには、誰もが知っている大手企業で働かなければならないというプレッシャーが強かった。海外で独りで仕事をする身として、素晴らしい機会を頂いたと心底思う。

 

入社後、一度で良いからビルゲイツ氏にお会いしたい、と強く願うようになった。5年後、念願叶ってシンガポールオフィスにいらした際に、お目にかかったことがある。

 

当時、勤務していた社員は一堂に会し、会場でビルゲイツ氏の登場を待った。会場に現れた彼は、大変長身で、スラッとしておられた。

 

立ったままお話を始められたけれど、目の前にビル・ゲイツ氏がおられるという事実にただただ圧倒され、何をおっしゃったかまでは、正直、全く覚えていない。

 

ビル・ゲイツ氏のオーラは、とてつもなく壮大で、同じ空間をご一緒するだけで、宇宙の銀河系に引き込まれるような感覚を覚えて、今でもその瞬間をありありと思い出す。

 

社員は皆、一様にワクワク・ドキドキが止まらず、中には携帯電話を彼の顔に近づけて一所懸命、お写真を撮っている方々もおられた。

 

そんなことをしたら、気分を害され、その場でクビを通告されないか、と私の方がヒヤヒヤした。

 

そんな時もビル・ゲイツ氏は、変わらず紳士な対応で、にこやかに余裕の表情をしておられ、いついかなる時も、佇まいが美しいと感銘を受けた。

 

別の機会に、彼の右腕だったスティーブ・バルマー氏にお会いする機会にも恵まれた。彼も太陽神アポロのような佇まいで、会場自体があたたかいエネルギーで包み込まれたのを思い出した。

 

なんというか、世界規模で人々の生活を変容させるためにお仕事をなさっておられる方々のオーラは、地球全体を包み込むような大きなオーラをお持ちなんだなぁとしみじみ思った。

 

さて、初夢に話を戻そう。夢の場所はシンガポールのオフィス。広めのミーティングルームでなんらかの会議に出席していた。

 

出席者は少なく、私はビルゲイツ氏と同じ並びに座っていた。オンライン会議のようで、少人数しか参加していなかった。

 

プロジェクターによって映し出されたスクリーンでは、日系の化学メーカーが真摯に実績を残しており、今後も順調と映し出されていた。

 

ビル・ゲイツ氏とはほんの一言だけ会話をし、その後、その場にいらしたアメリカ人女性とシンガポール人スタッフと共に、ホーカーセンターに出かけた。

 

そこでシンガポールのデザート、アイスカチャンを食べた。(やっぱりゆで小豆は最高)というオチだった。

 

目が覚めて、私は早速ぜんざいを頂きながら、初夢に想いを馳せた。これはいったい何を意味するのだろうか。

 

昨年、私は「ある発言」に突き動かされ、ブログを一度しか更新できなかった。ゼロより1の方がマシだけれど、いろんな意味で、我ながら寂しかった。

 

今までは色々な場所を飛び回っていたけれど、コロナ禍でソーシャルメディアに投稿できる内容も減っていった。

 

でも、先に挙げたビル・ゲイツ氏との思い出のように、まだ皆さまにシェアできていない、たくさんのきらめくメモリーがあるというのを思い起こした。

 

だから、忘れてしまわないうちに、まだ生きているうちに、自分が感動したストーリーをどんどんシェアしようと思った。

 

最近、私が心の拠り所にしてやまない並木良和氏いわく、私たちは地球に成功するために生まれてきたのではなく、体験するために生まれてきたのだそうだ。

 

生きている限り、どんな体験も素晴らしい。今、大半を家で過ごし、内省を繰り返しがちな日々を過ごしつつも、いつか振り返って、あんなこともこんなこともあったね、とネタにできると良いなと思う。