一瞬でウツを治すたった1つの方法
気が付けば11月。しばらくブログを書いていなかった。もう今すぐにでも寝たいけれど取り急ぎ書いてみる。
25000人の会員数を誇るウェブ解析士協会会長の江尻さんもブログを毎日書くようにと助言を下さった。にも関わらずもう1ヶ月くらいは軽く先延ばしにした。
さらにホリエモンが近畿大学で卒業生に向けてのはなむけのメッセージの中でも、自分で発信しようというようなことを話されていたのも記憶に新しい。
ブログを書いていないわりにはこまめにアクセス解析だけはチェックしている。
誰がどうやって私のブログにたどり着くのだろう。とても謎めいている。毎日、少しずつ閲覧数が増えるのを見るとやっぱり嬉しい。
さらにブログの場合、フェイスブックの「いいね」と違って誰が読者なのかがわからないところがますますミステリアスでキュンとなる。
世界のどこかにいる誰かが読んでくれていると思うとワクワクする。
中には「しょーもな」という読後感を持つ人もいるだろう。もう二度と読んでもらえないかもしれない。
それでも私は読まれた数だけ貢献していると思い込んでいる。文字を通してご縁を持ったこと、それ自体が奇跡的な出逢いだからだ。
話はとびまくるが、前回のブログで私自身、長らくウツっぽかったことに気付いたと書いた。
その原因がわかって手放しが起きたせいだろうか。この数ヶ月の間本当に不思議なことがたっくさん起きた。
そしてこれからもどんどん加速して奇跡的なことがいっぱい起きまくる予感がしている。
その前にどうしても書いておかなければいけないこと、それはウツの治し方だ。
結論から言うと、それは「エゴを手放すこと」だった。それに尽きる。
エゴはやっかいだ。自立して自分で何でもやらなくちゃと思って頑張る。
でもそんな自分にできることというのはたかがしれている。それでもできること以上をやろうとして頑張る。
周りに迷惑をかけてはいけない、期待に応えなくてはいけないと頑張る。
何かしら発疹や皮膚炎や鼻炎や頭痛などカラダが悲鳴をあげているのに頑張る。
そしてできないことも認めたくないのでとりあえず頑張る。
さらに自分は今何に頑張っているのかすらわからないのだけれど頑張る。
これくらい頑張りまくっている頃には感覚がマヒしている。既に立派なウツになっている可能性は高い。
エゴとひとくちに言ってもいろんなタイプがあるだろう。
私の場合は「ツライことをツライ」と認めて口に出し書いてみたことから始まった。
一旦言語化できるとはやい。既に客観視できているので、自分に「できること」と「できないこと」にまずわけてみることにした。
自分の場合「できると思えばできる」と無理やり思い込もうとしていたエゴを手放して降参した結果、かなり楽になった。
あの著名なコーチ、アンソニー・ロビンズの話も思い出す。人はやろうと思えば何でもできるけれど、本当に自分に向いていることしか長期間は続けられないらしい。
やっぱり向いていないと思うことを無理してでもやるのは良くない。
「もうできません、無理です」と認めた途端、本来自分がやるべきことの「芽」がにょきにょきと生えてきたのだ。
このなんというか「芽」の「生え具合」がすごい、もうとどまるところをしらない。
エゴを手放すとウツが治るだけでなく本来の自分の場所に連れていかれてしまうことがようやくわかった。