今年最大の断捨離をして感じたこと

今年も大変お世話になりました。来年もよろしくお願い申し上げます。

 


本来この手の挨拶は日本人であれば最後に持ってくるのが一般的かもしれない。

 


でも今の私の心境から、英語圏に住んでいることもあって、大事なことは真っ先に言う習慣を持ち続けたいと思っているので、それを実践したい。

 


年の瀬になるとゆく年来る年を思いいろんな思いが込み上げてくる。ブログを更新しよう、しようと思いながらあっという間に12月になってしまった。

 


特に通訳のお仕事というのはどちらかがお休みになると、もう片方もお休みになる性質のものであるからして、日本の年末年始から旧正月まで若干ヒマを持て余してしまう。

 


だから自ずと振り返りがちな中、本当に様々なことがあって何から書いて良いかわからないのだけれど、まずは直近に起きた出来事から書いてみたい。

 


私は毎年同じことも少しずつ違う角度から見よう、新たなことに取り組もうという姿勢を持ち続けるようにしている。

 


それはつまり単に自分が飽き性だということもあるが、生きている以上進化し続けなければいけないという熱苦しい思いが強いからだ。

 


それと同時に少しでも違和感を感じたことはどんどん切り捨てるようにしているのだが、今年、一番収穫のあった断捨離は「お誕生日」を捨てたことだった。

 


実は毎年お誕生日になるとメッセンジャーがパンクしていた。ありがたいことに200-300通ほどのメッセージを頂いていたからだ。

 


にも関わらず、私はお返事を書きます、書きますと言いながら書くことがままならないまま年を越え、気が付くと「お誕生日」イコール「不義理な人になる日」みたいになってしまった。

 


すると毎年どんどん罪悪感が増していく。今年私は戦々恐々としながら自分がどれほどの不義理を行なっているか、こっそりメッセンジャーを遡った。

 


なんと!最も古い未読のお誕生日メッセージは、元同僚から送られた2007年のものではないか。私がフェイスブックを開設した当初の時代まで辿ってしまったのである。

 


時が去ること12年、こ、これは人としてヤバイのではないか、これ以外の言葉で表現できるのであれば、誰か教えて欲しい。

 


そんなわけで私は考えた。どうするのが良いのか。そこでふと名案が浮かんだのは「フェイスブックのお誕生日を非公開にする」というものだった。

 


非公開にした理由はもう1つある。もういい歳なので歳はとりたくない、お祝いも自粛したいという思いがあるからだ。

 


いつも「フォーエバー21だから」とベタな表現をしてうっすら笑いをとりにいっていたら、この会社は破産したらしくもうこのネタも使えないとなると充分追い詰められた気がした。

 


となれば私のお誕生日をお祝いする方が少なければ少ないほど、マイナスされて若返るのではないか、という思い込みを信じることにしたい。

 


もうこの際、いっそのこと、世界的にメジャーなイベントであるクリスマスと統合して紛れてしまうのが得策な気がしてくる。

 


直感に従ったのが功を成し、ありがたいことに今年はお返事できる数のメッセージを頂くに留まった。

 

ただ当日オフラインでお会いした方にはわざわざ自分から「言いにくいんですけど、私、実は今日お誕生日なんです。」とお伝えし、暖かいお言葉やお歌を頂戴した。

 


ここから得た教訓は何事も自分の手に負える範囲で取り組まないといけないということだった。

 


オンラインを活用するのはとても良い事だしステキだけれど、うっかりキャパ越えしがちだ。来年こそは地に足をつけながらも、仲間の力を借りてできることを増やし、活動の場を地球全体に広げていきたいと切に願う。

 


改めまして、今年出会って下さった皆々様方、引き続きお世話になった方々、本当にありがとうございました。出会った方々皆様のご多幸、ご成功、ご活躍を祈って止みません。

 


特にお誕生日メッセージを送って下さった方々には神様からのご加護並びに宇宙全体からの祝福がこれからも降り注ぎ続けますよう全力でお祈りします。