なぜブログは毎日書く方が良いのか。
「ゆみさん、最近あまりブログ書いていませんね。」
一般社団法人ウェブ解析士協会会長、江尻俊章氏が笑顔で言った。
確かに最近、諸々の理由でブログ更新頻度が落ちていた。
江尻氏曰く、なぜ毎日ブログを書くのが良いのかというと、文章は毎日書いていないと、いざ本を書くとなった時に書けないからだそうだ。
確かにブログを書き始めたのは、いつか本を書きたいという思いがあったからだ。
書きたいこと、それはもうたくさんある。
世間を賑わすあんなこと、こんなことを私なりに内観し、消化した結果思うことを共有したい。
数え上げればキリがない。
でも、最近は「熟女」について書いたブログへの反応が嬉しかったので、「せっかく書くならウケることを書かなくっちゃ」と一人で気負っていた部分はある。
江尻氏にはそこも「透えて(みえて)」いたようだ。先生にはバレている。
「立場上、書いてはいけないと思われること」も取っ払って書きたいことをひたすら書く、これが良いらしい。
「ウケたい、どうしても笑ってほしい」
この願望が非常に強い私は、オチが思いつかない話は書きたくなかった。
先にオチが思いついてからそこに繋がる文章を書くようにしていた。
それは遡ると大昔、大阪の人と話をしている時に
「で、オチは何なん?」
とツッコまれたことに起因する。
関西ではオチがない話をすると「イラッ」とされるのだ。
あの何とも言えない空気感は耐えがたい。
だから「オチ=エチケット・最低限のたしなみ」という理解が今も根本にあり脳裏に刻み込まれている。
でも大昔というのは20世紀の頃の話。
今は21世紀、しかもかなり経っているではないか。
私はもっと自由にこれから自分が真におもしろいと思うことについて、どんどん書いていくことにする。
なんでも書く。もはや女性、ヒトという枠を超え、人格崩壊と思われても書く。
私は誰に対して何の宣言をしているのか、もはやわからないが、とにかく書こう。
ただ、結果的に、私のブログがおもしろいか、おもしろくないかについては、読者の感性によるだろう。
だから、そこに対して「私は一切の責任を持つことができません」という「免責事項」もこの際だから明記する。
読者の感性は私のコントロールできる範囲に及ばない。
人は自分がコントロールできるところだけにフォーカスするのが良い。
私もどんどん書く、ひたすら書く、それに専念したい。
江尻さん、背中を押して頂き、本当にありがとうございます!
そしていつも読んで頂いている皆さん、読んで頂いて心から感謝しております。
読むだけで皆さんに凄まじく良いことがたくさん起きますよう願ってやみません♡