「熟女」について語ってみた

「熟女」、それはアラフォーという極めてファジーでふわっとした単語よりパワフルな響きを持つ。

 

重鎮な存在、「熟女」

 

そもそも「熟女の定義」はなんなのか。

 

「熟した女性=熟女」

 

私はなぜかずっと「65歳以上の女性」を指すと思い込んでいた。

 

ところが、ある時、何を思ったのか定義を検索してみた。

 

すると!「熟女」とは「35歳以上の女性を指す」というではないか。

 

(えぇぇぇぇ!!!!)

 

かなり大きめのショックを受けた。

 

気が付いたら私はもう「熟女」

 

気づかないうちにいつのまにか仲間入りをしていたなんて。

 

自らの勘違いのせいで、いっきに65歳以上にタイムスリップしてしまった気持ちになった。

 

期せずして「熟女になった私」はこの先どうやって生きていけばいいのだろう。

 

そこから「熟女のアイデンティティー」について考える日々が始まった。

 

「熟女」が「熟女」として生きていく上で必要なこと、それは成熟した女性に相応しくさらに学びを深めることではないか。

 

資格試験マニアな私は、偶然にもウェブ解析士という資格に出会った。

 

仲間と共に学び進める中で、ウェブ解析に詳しい方から耳寄りな情報を教えて頂いた。

 

なんと!ある特定のニーズを満たすビデオの作品群の中で「熟女」はキーワード検索でトップを争うのだという。

 

WOW! 統計学的に証明された「熟女」のニーズ!

 

その瞬間、曇った心に「希望の光」が射し込んだ。

「よく検索されている」ということは「熟女なありのままの私」は「激しく求められている」ということに違いない。

 

アドラー心理学でいうところの「貢献感」が以前にも増してしっかりと満たされる気がした。

 

自分ではない誰かになる必要などない。今の自分でオッケー。

 

これはなんというすばらしい発見なのだろう!おかげで大きな充足感を得られた。

 

ウェブ解析を学ぶと人生が前向きに変わる。かなり飛躍している気はするが、事実である。

 

「熟女=大人気」という事実に満足し過ぎたせいだろうか、肝心のウェブ解析士の資格試験にはまだ合格していない。

 

一瞬でウツを治すたった1つの方法

気が付けば11月。しばらくブログを書いていなかった。もう今すぐにでも寝たいけれど取り急ぎ書いてみる。

 

25000人の会員数を誇るウェブ解析士協会会長の江尻さんもブログを毎日書くようにと助言を下さった。にも関わらずもう1ヶ月くらいは軽く先延ばしにした。

 

さらにホリエモンが近畿大学で卒業生に向けてのはなむけのメッセージの中でも、自分で発信しようというようなことを話されていたのも記憶に新しい。

 

ブログを書いていないわりにはこまめにアクセス解析だけはチェックしている。

 

誰がどうやって私のブログにたどり着くのだろう。とても謎めいている。毎日、少しずつ閲覧数が増えるのを見るとやっぱり嬉しい。

 

さらにブログの場合、フェイスブックの「いいね」と違って誰が読者なのかがわからないところがますますミステリアスでキュンとなる。

 

世界のどこかにいる誰かが読んでくれていると思うとワクワクする。

 

中には「しょーもな」という読後感を持つ人もいるだろう。もう二度と読んでもらえないかもしれない。

 

それでも私は読まれた数だけ貢献していると思い込んでいる。文字を通してご縁を持ったこと、それ自体が奇跡的な出逢いだからだ。

 

話はとびまくるが、前回のブログで私自身、長らくウツっぽかったことに気付いたと書いた。

 

その原因がわかって手放しが起きたせいだろうか。この数ヶ月の間本当に不思議なことがたっくさん起きた。

 

そしてこれからもどんどん加速して奇跡的なことがいっぱい起きまくる予感がしている。

 

その前にどうしても書いておかなければいけないこと、それはウツの治し方だ。

 

結論から言うと、それは「エゴを手放すこと」だった。それに尽きる。

 

エゴはやっかいだ。自立して自分で何でもやらなくちゃと思って頑張る。

 

でもそんな自分にできることというのはたかがしれている。それでもできること以上をやろうとして頑張る。

 

周りに迷惑をかけてはいけない、期待に応えなくてはいけないと頑張る。

 

何かしら発疹や皮膚炎や鼻炎や頭痛などカラダが悲鳴をあげているのに頑張る。

 

そしてできないことも認めたくないのでとりあえず頑張る。

 

さらに自分は今何に頑張っているのかすらわからないのだけれど頑張る。

 

これくらい頑張りまくっている頃には感覚がマヒしている。既に立派なウツになっている可能性は高い。

 

エゴとひとくちに言ってもいろんなタイプがあるだろう。

 

私の場合は「ツライことをツライ」と認めて口に出し書いてみたことから始まった。

 

一旦言語化できるとはやい。既に客観視できているので、自分に「できること」と「できないこと」にまずわけてみることにした。

 

自分の場合「できると思えばできる」と無理やり思い込もうとしていたエゴを手放して降参した結果、かなり楽になった。

 

あの著名なコーチ、アンソニー・ロビンズの話も思い出す。人はやろうと思えば何でもできるけれど、本当に自分に向いていることしか長期間は続けられないらしい。

 

やっぱり向いていないと思うことを無理してでもやるのは良くない。

 

「もうできません、無理です」と認めた途端、本来自分がやるべきことの「芽」がにょきにょきと生えてきたのだ。

 

このなんというか「芽」の「生え具合」がすごい、もうとどまるところをしらない。

 

エゴを手放すとウツが治るだけでなく本来の自分の場所に連れていかれてしまうことがようやくわかった。

 

完全マニュアル「ウツ病の作り方」

自分の人生には何度も危機が訪れているけれど自分史上最大のが来たので記録に残したい。

 

なんと!まさかの「ウツ病」らしきものにかかった。というかかかっていたことに気付いたのか、厳密にはよくわからない。

 

タイトルに「ウツ病の作り方」と書いたがいずれにせよウツ病など誰も作りたいと思って作っているわけではないだろう。

 

正しく伝えるとしたら「作られ方」なのかもしれない。それでもあえて「作り方」と書くことで客観性を持たせて手放しが加速するように努めたい。

 

自分の体験からわかったことを順序立てて書くと以下の通り。

 

(1) 強烈な心的トラウマの発生
(2) (1)を呼び起こすきっかけも生じる
(3) 上記(2)のトリガーとなる出来事が起きる
(4) 自覚症状が無いまま(1)-(3)が繰り返される
(5) ある時限界点を越え体調不良となる
(6) 苦しみのあまり消えてしまいたくなる

 

ここに書くとサラッとしているけれど、このサイクルがわかるのに実に約10年以上を要した。

 

私は今でも「請求書の発行」と「正社員」というのが恐ろしく苦手だ。

 

フリーランスになってお仕事を終えても一向に請求書を発行しない私は「ゆみさんはお金持ちに違いない、とみんな言ってますよ」と噂されるほどだった。

 

現状は全く逆で貧乏の極みに違いなく「キャッシュイズキング」「お金こそ全て」な状況であるにも関わらずである。

 

それが最近になって私は気付かないうちに自分が最も苦手とする「正社員」でかつ「請求書発行担当」になっていた。

 

自分では苦手意識を持ちつつも、他の人は難なくこなせることであるのは明白で、実際に請求書発行などものの10分で作成できる。

 

自分にだって充分乗り越えられると思っていたのだが、1年以上が過ぎた今、そこに体調不良も加わり、とうとうあまりの苦しさに根をあげてしまった。

 

これは自分でも尋常ではない気がする。なぜこんなにもカラダ全体で苦しみを感じるのか。

 

冷静に振り返ってみると、それはさかのぼること10年以上前になる。私が正社員として営業事務のお仕事をしていた時のことだった。

 

主な業務内容は請求書の発行で、日本からの業務移管プロジェクトで部署に日本人は私一人だったためとてつもない責任を感じていた。

 

新しい職場環境にも慣れてきた頃、母が末期ガンだと知らされた。青天の霹靂とはこの事をいうのかとショックを受けた。

 

試雇用期間を終えてなんとか有休をもらって入院中の母を訪ねたもののパソコンを持ち込みずっと仕事のことも気掛かりだった。

 

これだとどっちつかずになる。退社して日本に帰った方が良いのではないかなどと考えている間に母は亡くなった。

 

朝から夜中まで請求書発行に明け暮れ、母をどうしたら救えるだろうと考えながらパソコンに向かっていた毎日。

 

正社員として入社する前に少しブランクがあったのでその時に母の容態がわかっていれば、または今、正社員でなければ日本に帰りやすかったかもしれないなどと考えた。

 

何度も国際電話をして対策を論じた。でも結局何の役にも立てず死に目にも会えなかった。自分のことを親不孝だと責めた。

 

生前、母は明るい服を着てオシャレをするのが大好きだったので私も少しでもマネてせめて母と一緒にいる気持ちになりたかった。

 

すると「どうしてお母さんが亡くなったばかりなのにあんな明るい服ばかり着ているのか理解できない」と言っている日本人の同僚がいるというのを耳にしたりもした。

 

もう踏んだり蹴ったりとはこのことである。故人を偲ぶ方法は人それぞれなので、ディズニーランドへ行こうがハワイに行こうがソッとしておいてあげるべきなのだ。

 

それからありとあらゆる手段でグリーフケアーを試み心が癒されるよう努力してきたので、まさかここへきてこんな発見があるとは思わなかった。

 

自分にとって「正社員」や「請求書発行」がトリガーとなって都度「母の死」からくる苦しみを全身で感じていたとは。

 

こうしたサイクルに気が付けずに、いや気が付けたとしても、習慣化されたこのパターンから抜け出るのは難しいかもしれない。

 

でも客観性を持つだけでもう抜け出せたも同然であるということに気が付いて欲しい想いで、まだ少しある頭痛と戦いながら一気に書いてみた。

結局のところなぜヒトは地球にいるのか

最近、宇宙について目を向けた途端、いろんなことが腑に落ち出した。学習が加速している感じがする。

 

実際に出会った方とお話をしたり、ネットで拾い読みをしたりして、なんとなくわかった風に思えることが蓄積されてきた。

 

これはなかなか面白いのでまとめてみんなにシェアしたい。

 

ただ、詳細に触れてしまうと、それが正しいか正しくないかの議論になり、私がシェアたいことから逸れてしまうおそれがある。

 

どのみち私のブログである。抽象度をあげて「マイストーリー」として脚色しフィクションとして書きたいように書いてみることにする。

 

-----^o^-----^o^-----^o^-----^o^-----^o^-----^o^-----^o^-----

ある時、とある惑星の知的生命体は自分の惑星が消えてなくなってしまいかねないと焦った。

 

その後の調べで自分の惑星に足りないモノが地球にあることに気が付いたかかる宇宙知的生命体は地球に着目した。

 

宇宙知的生命体は永遠の命を持つ。そのため種の保存は不要であり両性具有である。

 

そんな彼らには無数に存在するかのように見える銀河の一部の調和を保つ役割が与えられている。

 

宇宙知的生命体はその使命を果たすべく自分達に必要なモノを地球からちょっと分けてもらおうと思った。

 

「地球にあるモノをなんとしても持って帰りたい。絶対に地球に行かなくっちゃ。」

 

意気揚々と地球に向かう準備を始めた宇宙知的生命体。ところが思ったより困難な気がしてきた。

 

地球で吸っている空気は自分達が吸っているそれとは異なるからだ。

 

色々と調べた結果、宇宙船に空気ボンベを乗せて一時的に滞在できるということはわかった。

 

ただその短い滞在期間で必要とするモノをたくさん収集するのは不可能だった。

 

そもそも仮に地球に長期滞在できたとしても宇宙知的生命体はもはや労働集約型の作業にはとても向いていなかった。

 

コミュニケーションはテレパシーで行うため脳が発達し頭がとんでもなく大きい。しかも瞬間移動に慣れてしまったため、手足は劣化して物を運ぶのにはとても適さない。

 

今ここにある危機を乗り越え、宇宙の平和を守るために必要なこと。それは自分達の指令通りに動く地球生命体を生み出すことだった。

 

地球にはたくさんの生命体が存在する。中でも比較的直立歩行型の自分達と体型の似ているサル型の地球生命体を選んで自分達の遺伝子を用いて交配種を生み出すことを思い付いた。

 

宇宙知的生命体はまず最初に「完全な遺伝子」を用意した。理想とするのは自分達には到底こなせない労働集約型の作業さえも効率良く、いとも簡単にこなし従順に勤勉に働く地球生命体である。

 

ただその交配種は生まれてから地球環境に随時適応できるよう自発的に変化する要素も加えられていた。

 

こんな風にして地球生命体と宇宙知的生命体の間に誕生したのがヒトである。

 

今まで永遠の命を持ち、両性具有で全て自己完結できていた宇宙知的生命体が初めて地球生命体のカラダを有した瞬間だった。

 

ひとつだった私はふたつに分かれて半分しかない。どうしようもない喪失感に終始襲われる。

 

下半身に今まで見たことのない突起物や穴を目の当たりにして強烈な羞恥心を感じざるを得ない。

 

それと同時に地球生命体が持つ食欲、睡眠欲、性欲、排泄欲などあらゆる肉欲に追いかけられ続ける恐れしかない毎日。

 

ヒトから聴こえる阿鼻叫喚に耳を塞ぎたくなりつつも宇宙の平和を守るため必要なモノを集め続ける宇宙知的生命体。

 

なんという生命体を生み出してしまったのだろうか。宇宙知的生命体は罪悪感のあまりいつしかヒトから距離を置いた。

 

ところが自分達が生み出した手前、責任感を感じるので一応遠隔的にモニターし続けることにした。

 

阿鼻叫喚の中にも笑顔がある。どうやらヒトとして生きることは悪いことばかりではないらしい。

 

無限を生きる宇宙知的生命体にとって有限の世界でイキイキと生き続けるヒトの学びこそとても新鮮に映った。

 

「今、ここ」という「時間」と「空間」という制約をもってして初めて深まる学びがあるのがわかったのだ。

 

「なんか羨ましいなぁ〜、ヒトが感じる喜怒哀楽を体験してみたい。」

 

宇宙知的生命体はこぞってヒトとして地球での人生を体験したくなった。

 

宇宙知的生命体のオフィスにはパソコンのモニターに女性の写真付きプロフィールとお相手となる男性の写真がセットでたくさん並べてある。

 

「ちょっと今回は女優になってみようかしら」と思う宇宙知的生命体は、その中から子供を女優にしたいお母さん候補を選んで生まれてくる。

 

お父さんも大事だけれど何より重要なのはお母さんの住んでいる場所なのだ。

 

そして自分達が生み出したヒトの人生を改善すべく宇宙知的生命体はこうして地球にしょっちゅう遊びにくるようになった。

 

日本を訪れるインバウンド客を狙った「クールジャパン」さながら宇宙知的生命体が地球を訪れる「クールアース」プロジェクトはこれまでにない人気を誇り人口増加の一途を辿っている。

 

おしまい

-----^o^-----^o^-----^o^-----^o^-----^o^-----^o^-----^o^-----

肉欲から意識を遠ざける瞑想をしている瞬間はまさに宇宙知的生命体に近づいているのでは無いかと感じることがある。

 

そしてその時こそまさに両性具有な意識で物事を見つめる視点を持っていると言えるだろう。

 

さらに(ゆみさんはとうとう宇宙知的生命体まで引き合いに出して自分が独身であることを正当化したいんだ)と思う人がいることも承知で書いたことも告白する。

「婚活」より「終活」にモチベーションがわく理由

最近、いつの間にか「婚活」をすっ飛ばして「終活」についておおいに熱く語っていたら家族に本気で心配された。

 

脳は「〜ない」を深く認識しないそうだ。だから「心配させてはいけない」と思うばかりにかえって「心配」を引き寄せた典型的な事例である。

 

なぜ「婚活」より「終活」なのか。それは単純に「人様に迷惑をかける」のがイヤだからだ。

 

「終活」のためには貯金をしたい。そしてその為には多少ときめくデザートやステキなお洋服を買うのもガマンできる。

 

それに対して「婚活」はどうだろう。正直なところ、全くもって貯金したいとは思えない。

 

そこで自分に自分でコーチングをした結果、恐るべき事実がわかった。

 

それは深層心理において無意識のうちに「結婚」はまさに「夫や子供に迷惑をかける行為」としてインプットされていたということだった。

 

具体的な事例としてふと思い浮かんだのは日常のこんな場面。

 

ご主人が「腹減った」と言ったとする。マイペースな私のことだ。きっと「私はまだお腹空いていない」と正直なコメントをするだろう。

 

これをうっかり子供に言ってしまったらどうなるだろう。餓死してしまう可能性が出てきた。

 

一事が万事、やはり考えれば考えるほどどこからどう考えても私は結婚に向いていない気がしてくる。

 

私の婚活推奨アドバイザーが「そんなに早く諦めたらあきませんヨー, Yumi-san !!!」とコメントをくれる。

 

なるほど、そう言って下さる気持ちはよくわかる。それにそんな気持ちにできる限り応えたいという気持ちもなくはない。

 

それと同時にどうしようもないほどの違和感が湧き上がってくるのを止められない。

 

そもそも私は「婚活」を諦めようとしているのだろうか。

 

「諦めようとしているもの」を見つめるうちに「どうしても諦められないもの」が浮き彫りになった。

 

そうなのだ、私が諦められないのは間違いなく「自由」なのだ。

 

「自由」に魂を売り飛ばし「自由」と結婚したのだ、と考えるとものすごく腑に落ちた。

 

だから「自由の真逆」にあると思える「婚活」を飛び越えて「終活」に熱くなってしまうのだ。

 

誰かと一緒になることで時間や空間に限らず、今以上にもっと「自由」になれるなら「婚活」もありなのだろうか。

 

もうこうなったら同じように「終活」に熱くなる男性と結婚するしかない。

 

アトピー性皮膚炎が治ったたった3つの方法

おかげさまでブログが10,000PVを達成した。そこで感謝の意を表して、最近起きたできごとを中心にたまには人様の役に立つことを書こうと思う。

 

私は小さい頃からアトピー性皮膚炎に悩まされていた。赤ちゃんの頃は本当に赤く皮膚がただれて耳もとれてしまうのではないかというほどで、母はそんな私を見るのがとても辛かったそうだ。

 

小学生の頃は肘の内側がかゆく、赤い発疹がいつも見受けられた。膝の内側も同じだった。

 

大人になってからもいろいろな場所に発疹ができた。主に衣服や靴などを皮膚と接触する頻度の高い場所に症状が現れることがわかった。

 

一度でもかいてしまうと、ますます痒みが増すように感じられる。すると無意識のうちにかくことが習慣化してしまうので悪循環が生まれる。

 

厄介なのは寝ている時にもかいてしまうということだ。

 

他にもアレルギーの原因となることがたくさんあった。 猫の毛やウサギの尿に含まれるタンパク質などだった。

 

ただその場合は猫やウサギから離れればいいと言う対策があるので防ぎやすい。それに反してアトピー性皮膚炎に関しては、ダニ、ほこりなど見えない敵との戦いのようでなかなか防ぎにくく感じていた。

 

ところが最近、ふとある理由が原因でアトピー性皮膚炎がなくなった。それは引っ越しを機に起こった。

 

引っ越し先は、直前まで住んでいた人がいたにも関わらず、エアコンをつけるとカビ臭かったためクリーニングサービスの予約を試みた。

 

ただなかなか都合が合わなかったため、待っている間、あえてエアコンを使わずに過ごした。

 

窓を開けて過ごす日々が続き、最初は外の音が気になっていたけれど徐々に慣れるようになった。

 

そして気がつけばいつの間にかアトピー性皮膚炎がなくなっていたのである。あれほど長く悩まされていたので、最初は半信半疑だった。

 

私が具体的にしていた行動と言うのは以下の通り。

 

1. かゆみのあるところに薬局で薬剤師さんに勧められたぬり薬を塗る

 

2. かゆみが出たときには薬局で購入した抗ヒスタミン薬の錠剤を飲む

 

3. エアコンの代わりに窓を開けたり扇風機を使う

 

1と2は比較的前から続けてきたが、3をするようにしてからと言うもの状況がガラッと変わった。

 

実は長い間アレルギーの原因はミルクではないかと疑っていたため、しばらくミルクティー断ちも行っていたのだ。

 

ところが、エアコンを止めてから大好きだったミルクティーを再び飲むようになっても、アトピー性皮膚炎は出なくなった。

 

そうこうしているうちにぬり薬も抗ヒスタミン薬ももうほとんど必要なくなってしまった。

 

もちろん、エアコンを使わなくなったので多少汗をかく機会も増え、以前にも増してシャワーを浴びる頻度が増えたということも関係してるかもしれない。

 

そして薬を使わないと言う状況を実現できるのは1人で部屋にいる時だけなので、普段外出先でエアコンの環境の中に身をおくことがほとんどだ。

 

これはあくまで私の想像なのだが、通常家に帰ってほっとした時に、かゆみが増すパターンを繰り返していたので、その時にエアコンがない状況が自分の体には合っているのかもしれないとふりかえる。

 

何気なく書いている事だけれども、何十年と生きてきてずっと悩まされてきたことだけに、自分にとっては非常に画期的なことだ。

 

海外で通用する日本語の1つに「カイゼン」という言葉がある。私も例にもれず改善マニアなのでやっとここに行き着いた感があり、この経験が誰かの役に立つことを願ってやまない。

「安楽死」は「自殺」なのかと言う問いについて

「テルマ&ルイーズ」「今を生きる」「愛を読むひと」この映画に共通するのは、登場人物が自ら死を選ぶと言う点だ。

 

ネタバレになるので詳細には触れないが「自殺」というのが自分にとっては強烈に心に残っている。

 

もっと言うと2004年に自分の弟が自殺してしまったからは余計にずっと自殺について考え続けている。

 

基本的に日々考えることはといえば、どうしたら自殺を防げるだろうかということだ。

 

にもかかわらず最近自分が認知症になったら安楽死を選びたいと思うようになった。

 

「安楽死」は「自殺」なのか。はっきりいって同じなのか違うのかわからない。でもそれを選ぶ動機が何なのかという点に重きをおかれるのは重要だと思う。

 

橋田寿賀子氏が91才の時に認知症になったらスイスで安楽死をしたいと話された記事を読んだ。「渡る世間は鬼ばかり」で有名な脚本家だ。

 

スイスで唯一外国人の安楽死を受け入れている施設があり700,000円で願いを叶えてくれるので、認知症の気配が見えたら早急に飛ぶそうだ。

 

なぜ終活について考えるようになったかと言うときっかけは2つある。

 

最近50代の方とお話しするとご両親の介護の話について語ってくださる機会が多い。

 

友人宅を訪れるとおいしい手料理を振る舞ってくださっていたお母様が、最近では認知症になりオムツを履かせた途端に手を入れて排泄物を顔に塗ってしまうんだという。

 

もう一つは孤独死の場合。ご自宅でなくなると発見が遅れ、腐敗臭に近所の方が気づいて発見されるそうだ。

 

腐敗臭が進んだご遺体は寝袋のようなファスナーのついた黒い袋に入れられる。ご対面するのが難しいからだ。

 

なるほど、色々と考えさせられる。それぞれにいろんな事情がある。

 

ただ、自分ごととして考えた時に、1つ言えるのは誰にも迷惑をかけたくない、この願いだけは絶対に叶えたい、ということだった。

 

そう考えると自分で自分のことをコントロールできるうちに自分の死に方を決めると言うのは非常に前向きなことだと感じられるようになった。

 

もちろん、だからこそ独身の私の場合、婚活をして老後仲良く暮らせるパートナーを見つけましょう、という発想もよくわかる。

 

ただし、橋田寿賀子氏の場合はご主人に先立たれお子様がいないのでお一人になった。

 

では婚活の次は妊活を、となるかもしれないけれどお子さんがいても将来的に実家に1人きりになるということ事は容易に考えられる。

 

シンガポールでは身寄りがなく身元がわからないお年寄りの場合、介護施設から葬儀場に連絡があり、その日、または翌日に火葬される。

 

火葬費用は葬儀場が負担する。そういう葬儀場を支援する意味でお金持ちの方が積極的にそのような葬儀場を利用すると言う循環が生まれているそうだ。

 

生まれてくる時は自分の意思と関係ないのだから亡くなる時も人に迷惑をかけてもいいという意見も耳にする。

 

ただ、これほどまでに人間の意思で長生きできるようになったのであれば、同じように人間の、自らの意思で安楽死することがそんなに責め立てられることではないのではないかと感じるのは私だけでは無いはずだ。

 

課題先進国の日本がスイスのように安楽死の場を提供できないとすれば、安楽死がスイスに行ける金銭的に余裕のある人達だけの選択肢になってしまうのではないかと危惧してしまった。

 

犬も死期が近づくと死に場所を求めて姿を消すと言う。死に場所を決めること、これはひょっとするとそれは本能的に動物に備わっている能力なのかもしれない。