「安楽死」は「自殺」なのかと言う問いについて
「テルマ&ルイーズ」「今を生きる」「愛を読むひと」この映画に共通するのは、登場人物が自ら死を選ぶと言う点だ。
ネタバレになるので詳細には触れないが「自殺」というのが自分にとっては強烈に心に残っている。
もっと言うと2004年に自分の弟が自殺してしまったからは余計にずっと自殺について考え続けている。
基本的に日々考えることはといえば、どうしたら自殺を防げるだろうかということだ。
にもかかわらず最近自分が認知症になったら安楽死を選びたいと思うようになった。
「安楽死」は「自殺」なのか。はっきりいって同じなのか違うのかわからない。でもそれを選ぶ動機が何なのかという点に重きをおかれるのは重要だと思う。
橋田寿賀子氏が91才の時に認知症になったらスイスで安楽死をしたいと話された記事を読んだ。「渡る世間は鬼ばかり」で有名な脚本家だ。
スイスで唯一外国人の安楽死を受け入れている施設があり700,000円で願いを叶えてくれるので、認知症の気配が見えたら早急に飛ぶそうだ。
なぜ終活について考えるようになったかと言うときっかけは2つある。
最近50代の方とお話しするとご両親の介護の話について語ってくださる機会が多い。
友人宅を訪れるとおいしい手料理を振る舞ってくださっていたお母様が、最近では認知症になりオムツを履かせた途端に手を入れて排泄物を顔に塗ってしまうんだという。
もう一つは孤独死の場合。ご自宅でなくなると発見が遅れ、腐敗臭に近所の方が気づいて発見されるそうだ。
腐敗臭が進んだご遺体は寝袋のようなファスナーのついた黒い袋に入れられる。ご対面するのが難しいからだ。
なるほど、色々と考えさせられる。それぞれにいろんな事情がある。
ただ、自分ごととして考えた時に、1つ言えるのは誰にも迷惑をかけたくない、この願いだけは絶対に叶えたい、ということだった。
そう考えると自分で自分のことをコントロールできるうちに自分の死に方を決めると言うのは非常に前向きなことだと感じられるようになった。
もちろん、だからこそ独身の私の場合、婚活をして老後仲良く暮らせるパートナーを見つけましょう、という発想もよくわかる。
ただし、橋田寿賀子氏の場合はご主人に先立たれお子様がいないのでお一人になった。
では婚活の次は妊活を、となるかもしれないけれどお子さんがいても将来的に実家に1人きりになるということ事は容易に考えられる。
シンガポールでは身寄りがなく身元がわからないお年寄りの場合、介護施設から葬儀場に連絡があり、その日、または翌日に火葬される。
火葬費用は葬儀場が負担する。そういう葬儀場を支援する意味でお金持ちの方が積極的にそのような葬儀場を利用すると言う循環が生まれているそうだ。
生まれてくる時は自分の意思と関係ないのだから亡くなる時も人に迷惑をかけてもいいという意見も耳にする。
ただ、これほどまでに人間の意思で長生きできるようになったのであれば、同じように人間の、自らの意思で安楽死することがそんなに責め立てられることではないのではないかと感じるのは私だけでは無いはずだ。
課題先進国の日本がスイスのように安楽死の場を提供できないとすれば、安楽死がスイスに行ける金銭的に余裕のある人達だけの選択肢になってしまうのではないかと危惧してしまった。
犬も死期が近づくと死に場所を求めて姿を消すと言う。死に場所を決めること、これはひょっとするとそれは本能的に動物に備わっている能力なのかもしれない。