「癒しの本質」(3)

南国の照りつける太陽のもと、駅まで歩く途中、ふと「Heal your soul, Live your life」というフレーズが降りてきた。

 

「魂を癒して自分の人生を生きる」と和訳してみた。これこそまさに私が一貫して伝えようとしてきたことだ。

 

「魂のクセ」というのはずっとそこにあるらしい。それをどうにかするために自ら課題を与えて、それをクリアにするために生まれてきたという説もある。

 

「魂のクセ」は「取る」と決めて「自分で取る」ものなので他の人に取ってもらうとなると無理があるらしい。

 

だから「魂のクセ」を取り除くお手伝いというのはある意味「余計なお世話」なのだ。自分の意志で持ち運んでいるものを他人がそれに気付いたからと言って「取りましょうか」というのは本人から「せっかくの貴重な学びの機会を奪う」ことになる。

 

なので自然とそういう側面で助けを必要としている方がどうしてもお手伝いして欲しい場合、またはお手伝いして欲しい様子だけれど言い出せない場合には「本人の許可と同意を得た上でお手伝いをする」というのが好ましいスタンスとなる。

 

これがきちんとしたステップなのだけれど、そういうのは無意識レベルで行われているのか、最近は全く別件でお会いしたにも関わらずいつの間にかそういうお話をする機会に恵まれる。

 

そして最近顕著に見受けられるのは、そんな相手とお話する中で気が付けば結果として、本人が納得するカタチで「魂を癒して自分の人生を生きる状況に近付く過程」を引き寄せていることが多い。

 

「魂のクセ」を少し取り除いたからといって即座に劇的に人生が変わることもあるが稀である。古いクセと生きるのは居心地がいいからまた戻ってしまいがちだ。生きている以上、無限ループの中にいるのかもしれない。

 

だから「癒し」はあくまでも「過程」だから「魂のクセ」との付き合い方を見いだして、うまく折り合いをつけていくことが大切だ。

 

それはひょっとしたらアトピー性皮フ炎やじんましんに例えられるかもしれない。ずっと治ったり治らなかったりしてあり続ける。

 

でもそのおかげで普段から食を含む生活習慣に気を配るので大病をしなくて良いという利点が望める。