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祈り

友人の死から一夜明けた。遺族の方から私達と一緒に写っているフェイスブックの写真が気に入ったので解像度の高い写真を送るよう頼まれる。その写真が入っているはずの電池切れの古いアイフォンは充電に時間がかかりなかなか起動しない。

 

代わりに写真を保存しているドロップボックスのファイルを覗く。懐かしい写真の数々。想い出が胸にこみ上げる。涙と共にいろんな気持ちが吹き出した。

 

彼女と初めて出会ったのはシンガポールで開催されたセミナーに参加した時。彼女は卒業生として受講生のお世話をするボランティアスタッフだった。最初の出会いを今でもはっきりと覚えている。当時、コンタクトレンズをしていた私は生理食塩水の使い捨ての目薬をちょうど切らしていた。もたもたしていた私に声をかけてくれたのが彼女だった。

 

「どうしましたか?」「ちょっと目にゴミが入って使い捨ての目薬で流そうと思ったらなかったので」「ちょっと待っていて下さいね」と言って彼女は他の受講生のところへ行った。次から次へと話しかけている。戻ってくると彼女は「はい、これを使ってください!」とまさに私が必要としていた使い捨ての目薬を手渡してくれたのだ。

 

なんというおもてなし精神だろう、というより、セミナーの言葉を借りて言えば「目標達成にコミットしている」。彼女が先輩として「背中を見せる」という気概が垣間見られた瞬間だった。私もこの人みたいになりたい、素直にそう思って私もボランティアスタッフになった。

 

これまで彼女とたくさんの楽しい時間と空間を共にした。飽くなき向上心を持つ人生の先輩だった彼女から教わることも多かった。その後も私はたくさんのコーチングやヒーリング、セラピーを学んだが、新しい手法を身に付けたら真っ先に彼女に体験してもらっていた。いっぱい笑って冗談を言い合った。コピと呼ばれるローカルのコーヒーに少しだけお砂糖を入れて飲むのがお気に入りだった彼女と何度となくお茶しながらたくさん喋った。

 

にも関わらず、最初に浮かんだのは後悔だった。彼女が亡くなる2日前の夜、偶然にもフェイスブックのタイムラインに流れる集合写真の中の彼女を目にした。なぜかいつも以上にクローズアップされるかのように目に飛び込んできた。

 

ふと彼女と最後に会話した時のことが脳裏によぎる。心にひっかかっていた言葉が思い出された。なんとも苦い思いが心に広がる。途方に暮れつつも気を取り直して目の前のことに取り組んだ。その翌日、コーチ仲間から彼女がホスピスに入院したことを知らされた。いてもたってもいられず、仲間に連絡を入れながらも即座に会いに行こうと計画しているうちに訃報を耳にした。

 

間に合わなかった。生前の彼女にはもう会えない。いたたまれず共通の友人とチャットした。2日前に起きた出来事を共有したら友人も同じような体験をしていたようだ。お互いに「今、ここ」の想いを共有しつつも、気持ちの整理がつかない私に彼女は自分が捧げた祈りを教えてくれた。

 

私達を許してください

お互いに許し合いましょう

あなたがもう許された事について聞いてください

今、あなたは自由になりました

私達はあなたを愛しています、永遠に。

 

正直、驚いた。これほど私の想いを的確に言い表している祈りを聞いたことがない。心にぴったりと寄り添うとはこのことだ。何度も心の中で暗唱した。繰り返せば繰り返すほど心がラクになった。やっと救われたと安堵した。

 

体全体で感じていた疲労感も次第に消えていくようだった。戦いは終わった。彼女は精一杯生き抜いた。今頃、天国で笑い転げながらいつものお気に入りのコーヒーを飲んでいるに違いない。