一刻も早く「怒り」を片付ける方法
新年明けましておめでとうございます。旧年中も大変お世話になりました。今年もよろしくお願い致します。
新年早々、なぜお題が「怒り」なのか。それは私が尊敬してやまないコピーライターであり、ブロガーの熊谷真士氏がそれについて書いていたのを読んだからである。
彼らしい文章で今回もオチがおもしろかったので皆さんもぜひ読んで頂きたい。
それに触発されて私が最近、珍しく最も怒り心頭したが、消化して、今となっては笑いのネタにしていることについて書くことにする。
それは、昨年、親戚の結婚式に出席するため弾丸帰国をした時のことだ。
成田空港で日本人向けの列に並んで入国審査を待ち、いよいよ自分の番が来た。
すると!思いがけず、こんな質問が投げかけられた。
「再入国ですか?」
深夜便で着いたばかりの、寝不足で普段以上にぼやっとしている私に、入国審査官はゆっくりとこう言った。
「中国からですか?、再入国はあちらですよ。」
寝ぼけている私にも何が起きているか、ようやくわかった。
その時、私は瞬間湯沸かし器のように自らの内側に燃え上がる「怒り」を感じた。
「日本人です。」
絞り出した声は生まれて以来、自分史上もっとも低かったに違いない。
「すみません、目までおかしくなったみたいで。」
ますます驚いた私は即座にその場を後にした。
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湧き上がった「怒り」、私は何に対して怒ったのか。
「日本人であるにも関わらず外国人に間違われた。」
「怒り」を引き出したトリガーとなったのは、確かにそこに違いない、ただ本質的にはどうなのか。
私が外国人に間違われるのは日常茶飯事だ。初対面で、外国人も日本人も私がなに人なのか、もはやわからないと言って一様に唸る。
今となっては食べるものも着る服も持ち物も多国籍化しているので当然だと認識している。
だから、私が「怒り」を覚えたのはそこではなかった。
「怒り」の構成要素、それは
「日本人の列に並んでいる私は、正しいことをしているにも関わらず、間違っていることをしていると疑われた。」
ひとことでいうと「冤罪への行き場のない憤り」
そして
「関空みたいに自動化ゲートだったらこんな想いをしなくて済んだのに。」
という「非効率性への苛立ち」
加えて
「ベテランの入国審査官のお声掛けが、善意からとはいえ、私によって『事実とは異なる認識による失言』ととらえられた」
いわゆる「『弘法にも筆の誤り』に対する驚き」
もっというと
「まずはパスポートを確認して欲しかった」
という「業務プロセスへのツッコミ」
「自分の後ろに長蛇の列があるので一刻も早くこの場を立ち去らないといけない」
という「無言のプレッシャーへの焦り」
さらに
「意に反して恐縮してしまった入国審査官の気持ちを慮って、気の利いたジョークのひとつも返せなかった」
いわゆる「自責の念」
OH NO!こんなにもある「怒り」の理由!
たったひとつのボタンのかけ違いがこれほどまでに複雑な「感情のドラマ」を引き起こすなんて。
正直、諸々「後付け」な感じを否めなくもない。ただこれだけのことが頭を駆け巡っていたのも事実だ。
これだけ列挙した時点でかなり「感情」を「思考」で客観視できているので「消化できた」と言えるだろう。
そして、この場合の「怒り」を抑えるポイントはまさに「怒り」を生み出したと思われる相手が「本当にしたかったこと」、つまり「意図」を「思い出す」ことだった。
入国審査官が長年のキャリアを積んでいることは彼の容姿から一目でわかる。
私を中国人だと思ったからこそ、丁寧にゆっくりと話しかけて下さった。
そこには「思いやり」しか存在しないのだ。
私も次回からは、そんな彼の「思いやり」に応えられるべく、先にパスポートを見せてからマスクを外そうと思う。
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日本への外国人訪問客数は年々増加の一途を辿る。
2011年の約500万人から2016年にはなんと約2400万人まで増えたというのだ。
私は日本人の「思いやり」、もっというと「おもてなし」が外国人にきちんと伝わることを願ってやまない。