「今年こそ英語を話せるようになりたい」人たちへ パート1

「どうしたら英語がもっとうまく話せますか?」とよく訊かれる。そう訊かれる度に私は「どんな用途で話せるようになりたいのですか?」と訊くようにしている。

 

ひとくちに「英語を話す」と言っても、そもそも「英語」にはいろんな種類があるし場面もある。私は幼稚園の時から海外に憧れていた。小学生の頃から英語を学ぶ機会に恵まれ英文科を卒業したが、実際に「生きた英語」を学んだのは社会人となりシンガポールに赴任してからだ。

 

周りを見渡すと英語力が飛躍的に伸びているのはやはり恋人あるいは配偶者が英語を話す方々である。お互いをよく知るために自然と上達しているパターンが圧倒的に多い。まさに「愛の力」の為せる技である。

 

ではそれ以外のパターンについて見ていきたい。やはり必要に迫られているケースで言うとキャリアといった場面だろう。仕事で必要不可欠な場合、「必須科目」となり背水の陣で挑むうちに自ずと身に付いてくる。

 

ということは「今年こそは英語を話せるようになりたい」と考えている人はどういう人達なのだろうか。ズバリ「英語を身に付ける」ことそのものが特に「緊急性もなければそもそも必須ではない」方達なのだろう。

 

新年早々、早速突き放されたとショックを受けておられる方もいらっしゃるかもしれない。耳が痛いかもしれない。でもそれは紛れもない事実である。

 

かくいう私も「英語」という単語を「結婚」に置き換えれば「我がごと」である。なので「英語ができるからってエラそうに」と思わずに大目に見て最後まで読んで欲しい。

 

ここで着目して欲しいのは、事象を問わず「内容そのもの」である「コンテンツ」にとらわれるのではなく、抽象度を上げることによって視座を変えて「文脈」や「前後関係」と言った「コンテクスト」をどうとらえられるかといったことなのだ。

 

人は常々「我がごと」となると真剣に深刻に捉えがちである。そして冷静な判断を下せない。だからこそカレンダーが変わり、しばし浮き足立ったような気持ちで訳もわからずウキウキする今のうちにどれだけ「自分をネタに遊べるか」が重要なのである。

 

では「緊急性もなければそもそも必須ではない」場合にどうやったら「今年こそ英語を話せるようになる」のか。

 

やはり一番重要なのは「英語が話せるようになった時に何がしたいか」である。私の場合、英語が流暢に話せるようになった暁には「ディベートで相手を論破したい」というのが兼ねてからの目標だった。

 

負けん気が強いからいうのはもちろん否定できない。その上「英語が話せないと対等になれない」という気持ちが強かったからだ。当時「勝ち負けで物事を決める」世界に生きていた私らしい。

 

しかし、長年の海外生活を送った結果、目標が逆転してしまった。今となっては「関西流のお笑いで相手を抱腹絶倒させたい」というのが日常の課題である。「笑い」が「瞬間的に心をつなぐツール」だと知って楽しくてしょうがないのだ。

 

なので「今年こそ英語が話せるようになりたい」のであれば、ぜひとも「それを実現している場面」をより明確にして欲しい。

 

いつどこで誰と何をしている時なのか。それはどれくらい先のことなのか。クールジャパンプロジェクトのおかげで日本にいたって外国人と触れ合う機会は星の数ほどある。今すぐ外国人が集まる観光名所に行ってボランティアで日本文化を紹介してみよう。

 

私自身も高校生の時に京都で海外から来られた西洋人の老夫婦にパンフレットの場所を問われたことがある。緊張しながら少し離れた置き場所を指差し「Up there」と答えると「英語がとってもお上手ね」と褒めて頂いた。たった一言でこんなに喜んでもらえるなんてと感激したのを懐かしく思い出す。

 

とはいえ私もいつも褒められたわけではない。この何千倍も何万倍も「???」と不思議な表情を返されてきたことがある。日本人の私には日本語のアクセントがあり、英語であったとしても切り出し方が日本風なのでよく理解されなかったのだ。

 

その度に相手に対して心密かに「でもあなたは日本語できないでしょ?」と思っていたのは事実だ。負けず嫌いにもほどがあるが、好き好んでアウェイに乗り込んでいる以上やむを得ない。

 

誰だって最初から自信があるわけではない。小さなことを積み重ねた結果、自信は大きくなるのだ。誰も褒めてくれなくてもいい、自分が褒めてあげればそれで良しとしたい。