女性の「強さ」と「弱さ」について

東大入学式の祝辞が大変大きな話題となったのは記憶に新しい。

 


私もこれを読んで同じ女性としてうなづける部分も多くあった。

 


それと同時に、どうしても違和感を感じずにはいられない文章があって全体として納得がいかない内容となってしまった。

 


「違和感」を生み出したのは以下の部分である。

 


「女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。

フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。」

 


(えっ?女性って弱者だったの?!)

 


私はとても驚いた。私は正直に言って、女性が弱者だと感じたことが無かったからだ。

 


いや、冷静に考えて一度とは言わず何度かはあったに違いない、でももう覚えていないということは、それくらい些細なことだったのではないかということだ。

 


私が女性を弱者と思わない理由の1つとして、小学1年生から大学卒業まで女子校育ちだったからということは考え得る。

 


競技大会の種目もサッカーだったので、観るというよりプレイするものという意識もあった。

 


ただ、それはどちらかというと表面的なところで、もっと私の奥深いところで、絶対的な信念のようなものが根付いていることに気が付いた。

 


「女性は強い、絶対的に」

 


なんなんだ、この揺るがない、根拠のない自信は。

 


私は自問自答し、自分史を思い起こし「きっかけ」を探した。

 


すると!あるメロディーとともに歌詞が浮かび上がってきた。

 


それは明石家さんま氏が軽快に歌う「真っ赤なウソ」という歌の歌詞である。

 


それはまさに昭和のバブルを象徴する歌で、作詞作曲は、あの、高見沢俊彦氏によるものだった。

 


サビに当たる部分を引用すると以下の通り。

 


「真赤なウソを重ねながら

純愛・不倫をくり返す

男と女はそんなもの所詮ひとりじゃいられない

どんなに男が偉くても

女の乳房にゃかなわない

…真赤なウソ!」

 


高見沢俊彦氏の大ファンである私はこの歌詞にかなりの衝撃を受けた。

 


まだ初恋も知らない、うら若き少女だった私だったが、このシンプルでどストレートな歌詞から事情を読み取った。

 


「どんなに男が偉くても

女の乳房にゃかなわない」

 


特にこの部分は脳裏にしっかり焼きついて潜在意識に刷り込まれたようで、私はそれ以来「どんな時も胸を張って生きていける」と確信を得たのである。

 


そんな強気の私だが、最近になって思わぬ弱点があることに気付いた。

 


それは米国の大学による歯科睡眠医療における講義の同時通訳をするため、関連用語の予習をしていた時だった。

 


日本のとある歯科医院が口内について説明する動画を観ていた時だった。

 


女性のナレーターは落ち着き払った様子でこう言った。

 


「『口蓋垂』、これは『のどち○こ」と呼ばれているものです。」

 


(なんと!)

 


私は目を丸くした。私もCMの声優やミュージアムの日本語ガイドとしてナレーターを務めたこともある。

 


なので、台本があったらその通りに読まなければいけない、これが職業人としていかに大切なことか、重々承知だ。

 


きちんと台本に従って「のどち○こ」と動揺する素振りを声に乗せず、淡々と朗読したナレーターさんに対して敬意の念がわいた。

 


でも、しかしである。「のどち○こ」とは、この日本語はいったいぜんたいどういうことだろうか。

 


「の・どち○こ」でもなく「のどち○・こ」でもなく、分解すると「のど」と「ち○こ」ではないか。

 


(あ、あ、ありえない。。。)

 


万が一私が、同時通訳の最中、とっさに「口蓋垂」という単語を忘れ、うっかり「のどち○こ」と言ってしまった時のことを考えると。。。

 


(ギャァ~。。。)

 


想像するだけで恥ずかしくて震えが止まらない。私が万が一そんな言葉を口にするやいなや、かつて流行ったアニメ「おぼっちゃまくん」認定されるのではないか。

 


私が発したその言葉のせいで、同時通訳を聴いている方の集中力は途切れてしまい、受講の妨げになってしまうことは大いにあり得る。

 


(これを命名した人は、セクハラをしていることに気がつかなかったのか。)

 


私は未だかつてないほどに落胆し、悲しみに暮れ、その後怒りで身体中が赤くなった。

 


(私は弱者ではない)

 


怒っても仕方が無いので、冷静に対処方を考える。

 


そういえば、英語で「Oh My God!」は、神様に敬意を示すことから「Oh My Gosh!」と言い換えられる。

 


であれば、あの方の力を借りるのはどうか。

 


そう、それは、チンアナゴ。

 


「のどち○こ」の代わりに、「のどチンアナゴ」と言ってみるのはどうだろう。

 


「『口蓋垂』、これは『のどチンアナゴ』と呼ばれているものです。」

 


なかなか、かわいらしいではないか。我ながら名案、フンフンする。

 


この応用として「おぼっちゃまくん」の「ともだち○こ」も「ともだチンアナゴ」にしてはどうだろう。

 


チンアナゴがペアーでベロベロしている様子を思い浮かべる。

 


(うふ、ステキ♡)

 


急にチンアナゴが愛おしくなった私は、画像を検索する。

 


(うわっ!チンアナゴって、思ったより長い。。。)

 


「のどチンアナゴ」。。。こんな長いものが喉にあったら、10秒以下の無呼吸が続く睡眠時無呼吸症候群どころか、それがそこにあった時点で窒息するだろう。

 


(う~ん、のどチンアナゴは実用性に欠ける。。。)

 


これに代わる名前を考えなければいけない。

 


改めてウィキペディアで「のどち○こ」について調べると、海外では「ぶどう」に例えられているとのこと。

 


なるほど!確かにぶらさがるぶどうっぽい。さすが、ワインのぶどう園を連想させてなんかオシャレ。

 


我々日本人もこれを踏襲して「のどち○こ」改め「のどぶどう」に変えてはいかがだろうか。

 

 

皆様におかれましてはこの改名を緊急かつ重要な課題として真摯に受け止めて頂きたい。

 


「平成」が終わり「令和」を迎えた私達。「ヴ」も消え、お札も新しくなろうとしている今、そろそろ日本語にも国際基準を当てはめる時が来ているのではないだろうか。