続・セクシャルハラスメントへの見解
東幹久氏のセクハラ防止啓発ポスターが思わぬ反響を呼んでいるのだという。
困り顔の彼の写真を見て懐かしい気持ちになった。学生時代、私の大学祭にお越し下さったからだ。
当時抱いていた羨望の眼差しも重なって、どちらかというと同情の面持ちで記事を読んだ。
このポスターの説明は会話調になっている。
「今日の服かわいいね。俺、好みだな。」「痩せてきれいになったんじゃない?」
という東氏演じる「上司(?!)」の発言に対して受け手の女性はこう答える。
「関係ないでしょ!」「そういうことだけ見てるんですね…」
そこに「これもセクハラ?」の文字とともに、困った表情のアップ。
そしてメッセージはこちら。
「セクハラを決めるのは、あなたではない!」「相手や周囲に配慮した言動を!」
(おぉぉぉ!!!!!なんということか。)
私は目を向いて驚いた。私がいつも言っている発言そのままではないか。
この文脈に従うと、私は前述の「セクハラの加害者」のような発言を日々繰り返している。
なんと偶然にも、私は自己に対する「セクハラの加害者疑惑」についてブログを書いたところであった。
(やっぱり、私はセクハラの加害者だったのね。。。)とはからずしもコンファームされたことに気が付いた。
「セクハラ発言」というのはお国柄によって異なる。
先日、世界中で大活躍するスタンドアップコメディアンであるぜんじろうさんのステージを観た。
文字通りの抱腹絶倒を体験、何度でも行きたくなった。
ぜんじろうさんいわく、海外のジョークの基本は「皮肉」
確かに私は数年ぶりにテレビ制作現場で再会した仕事仲間に開口一番こう言われた。
「めっちゃ痩せたね!」
彼は、前回より7キロくらい太った私に敢えて真逆のことを言って笑いを取ったのだ。
もう皮肉過ぎる。さらに万が一でもここで目くじらを立てたら私の器の小ささが露呈する。
「一緒に笑う」という選択肢しかない、のである。
そういう観点も含めて(そういえばセクハラ被害にあったっけ?)と振り返ると、あった、思い出した。
これはもう、今世紀最大、いや人生最大、もっと言うと前前前前世最大のメガトラウマ級のセクハラ体験を思い出した。
それはある時、シンガポールの地下鉄に乗っていた時に不意に起きた。
何気なく優先座席の前に立つと、若い男性は私のお腹を見るや否や、迅速に席を譲るために立ち上がったのだ。
生まれて初めての出来事だった。状況を把握するのに時間がかかった。
わけのわからないままボーッとして反射的にオファーをお断りした。
その後、鈍い私はやっとハッと気が付いた。
(ガーン、妊婦さんに間違われた!!!)
とにかくショックだった。そのショックはじわじわとボディーブローのように効いてくる。
「異性によって心的トラウマを受けた」という事実だけを取り上げると立派にこれも立派なセクハラとして認定されるのではないか?!
でも、こんな時に大切なのは、その行為が行われた背景にある「可能な限り最高な意図が何なのか」に想いを馳せることである。
私にとっさに席を譲ろうとした若い男性の心は、天使のそれそのもの。
(次回から優先座席に座りたくなったら、お腹の脂肪をアピールするときっと座れるに違いない)ということも彼から学んだ。
それは詐欺行為に該当しそうなので実際にはしないけれど、お陰でそれ以来「胸」ではなく「下っ腹」に手を当てて考えるのが習慣となった。
インスタ映えするスイーツばかり毎日食べ続け、気が付けば体重が7キロ増。
久し振りに受けた健康診断ではしっかりと「若干の肥満」と診断されるに至った。
体脂肪が3割を占めると言われても(ヒトって8ー9割水でできていなかったっけ?)と即座には納得がいかなかった。
あれほど好きだったスイーツは今では毒物に見える。お陰で口に入れるものには細心の注意を払うようになった。
(セクハラってもしかして人生を変えるほどの大いなる警告なのでは)、そんな気さえしてくる。
どんな言葉も自分の解釈次第でいろんな意味を持つに違いない。