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心と体に効く瞑想 <第六回> 〜純粋な慈愛〜

初めてミャンマーへ行ったのはもう10数年以上も前。中国人女性の友人と一緒にバックパッカーの旅に出た。仏教三大遺跡の一つ、バガンにある寺院を見て廻る為だ。

 

今でも忘れられないのはミャンマー人のふとした思いやりに満ちた行動だ。ランチでホーカーに立ち寄って私が暑さのあまり自分を手で扇ぐとスタッフがサッとうちわを手渡してくれる。蚊にかまれてかゆそうな仕草をすると即座に蚊取り線香を足元に置いてくれるのだ。

 

街中でバスに乗ろうとしていた時には流暢な日本語で話しかけられた。日系企業に勤めるという若いミャンマー人男性は、私達の行き先を確認するとバスの運転手に行き先を説明してくれた。その後笑顔で爽やかにその場を立ち去った。

 

そんなことからミャンマーの第一印象はすこぶる良い。加えて、ヴィパッサナー瞑想を学べるセンターも世界各地にあるけれど、ミャンマー人に紹介され発祥の地でもあるミャンマーで体験することにした。

 

この瞑想を通じて私達は何を得ようとしているのか。目的を端的に述べると、自分の心を見つめ、コントロールすることを学び、ネガティヴな感情といった不純物を取り除いて浄化するということだ。

 

座って瞑想をする時、廊下を挟んで真横にある貯水池では200羽を超える水鳥達が賑やかに鳴き声をあげている。本来なら瞑想に集中できればそんな音さえも集中力を増すのを助けるのだろう。たださすがに多過ぎた。

 

私はとうとうトイレットペーパーを丸めて細長くし、真ん中で2つにカットしたものを左右の耳に詰めた。髪の毛を束ねていたので歩道に映った自分の影を見ると一瞬髪留めのように見える。でも実際は耳から出ていると思うと我ながらウケた。

 

簡易の耳栓だったが、無いよりはずっとマシだった。座って瞑想する時だけでなく歩く時も食事中も耳栓をつけた状態でどんな変化が見受けられるか実験した。

 

やはり格段に集中力があがったし味や匂いにも繊細になった。10年前、五感を鍛えていっとき繊細になり過ぎた時があって、つい反応してしまって面倒なので鈍感でいる方がラクに感じていた時もあったが、今回は繊細になっても大丈夫という安心感があった。やはり「何のためにやっているのか」という理由は重要だ。

 

一緒に瞑想しているヨギ達は北米、欧州、アジア各国と世界中から集まっている。食事の時には担当の尼さんになんとなく席を指定される。新しいメンバーは空いているところに適当に座るからなんとなくという表現をしたのだが、レギュラーメンバーとはだいたい同じテーブルに座る。

 

いつも私の眼の前に座る女性は韓国の方だった。ひと言も言葉を交わさないのになぜわかるかというと、ウェットティッシューにハングル語が記載されていたからである。

 

中島美嘉によく似ている彼女はいつも目を閉じながら食事をする。一挙手一投足においてすっかりスローモーションが板についていて、しなやかで繊細な動きがとても美しい。

 

瞑想センターではカラダの線が現れるピタッとした洋服を着てはいけない。胸元も開いていてはいけないので鎖骨をカバーして、袖口も肘より下にくる白いシャツを着るのが原則だ。持参した緩めのTシャツはヨギ的にはNGだったので瞑想センターのオフィスでふさわしいブラウスを1枚4000ミャンマーチャット(約333円)で2枚購入した。

 

彼女の場合、華奢な二の腕の間には豊かな山脈が並んでいた。大きめのシャツを着ていても女性らしいラインがくっきりしていて女性の私もドキドキするほどだった。改めて自分のを確認すると豊か過ぎる二の腕の間にひっそりと丘が並んでいた。

 

思わず遠い目になりながら、かつて小学生の頃の私はゆっくりとお食事をしてとてもお上品だと褒められたのを思い出した。今となってはどうだろう。シンガポールの兵役訓練を受けている10代後半の男性と同じくらいの早食いスピードが認定されている。

 

今からでも遅くはない。これを機に彼女をロールモデルにしようと思った。彼女の動きをイメージしながら動いてみよう。そう思いながら食事を終えてテーブルを離れ食堂を立ち去ろうとした時、彼女はスッとオレンジ色の耳栓を私に差し出したのだ。

 

その後、彼女は何事も無かったかのように目を閉じて食事を続けた。私はその時ウルっときた。ヨギ達は五感と思考を鍛えて、いつでも周りの人に役立つ人間になろうとしているのだ。

 

言葉も交わしたことがなくお互いに名前だって知らない。でも困っている人がいたらそれに気付き、スッと手を差し伸べられる。そんな純粋な慈愛に満ちたヨギ達に囲まれて自分の「ありたいあり方」を日々問うきっかけを与えられた。