心と体に効く瞑想 <第四回> 〜体感〜

私の知る限りミャンマーでヴィパッサナー瞑想を学べるセンターは、ヤンゴン市内と森の中の2ヶ所にある。私が体験した森の瞑想センターの施設内は宿泊所や食堂なども含め、きちんと整備されている。

 

ただデング熱の感染予防目的で随時消毒剤がスプレーされているシンガポールと比べると、やはり自然の手付かず感は否めない。「殺生を控える」という仏教の教えにもとづいていることも関係しているのだろう。

 

部屋にはすぐに蚊もアリも堂々と入ってくる。そのサイズは揃って大き目。それどころか、鳥や犬に至っては態度まで大きい。人間が自然や動物と共存できている証拠に違いない。

 

本来、瞑想者は目も見えず耳の聞こえず話せない病人か死人のように振る舞わなければならない。が、最初の数日間は美しい自然に魅せられるうちにそんなこともうっかり忘れ、すっかり「ハイジモード全開」で心がはしゃいでいた。

 

「歩いて瞑想」をする1時間では、施設内を散策できる。本来、スローモーションで歩くべきところが、ついいつものクセでせっかちさによるスピード感丸出しだ。ビーチサンダルのカカト部分も地面を跳ね返す時にペタッペタッと音を立ててしまう。

 

初日からこれはいけない。いっそのことビーチサンダルを脱ぎ捨てた方が早いとキッパリと裸足になった。五感を研ぎ澄ませる上でも役に立つはず。もうそれだけでちょっとたくましくなれた気がした。

 

今、振り返るとその発想こそが「瞑想センター体験から早急に結果を得たい」というせっかちさの象徴みたいで自分でも笑えるが、その時は真剣だった。

 

但し、敷地内だったら裸足になっても大丈夫だろうという憶測は見事に外れた。セメント敷の通路や木でできた橋を歩くだけなのに裸足で歩くことに慣れないせいか、思いの外結構痛い。

 

よく見るとセメントの表面がスムーズでないのだ。セメントが固まらないうちに歩いた鳥や犬の足跡がしっかり残っていたり、枯葉がたくさん落ちていたりする。昼間は直射日光で照らされて熱いところもある。

 

痛いので自然とスローモーションになれたのは良かった。しかし、裸足で歩いていると「スリッパ忘れたの?」とベテランの尼さんに心配され「アリに噛まれるよ〜」と警告を受ける。

 

さらにミャンマーでは朝昼晩の温暖差が結構ある。昼間歩いて汗をかいたままでいると夕方から冷え込んできた時に急に寒気がしてクシャミが止まらなくなるのだ。

 

10日間の長丁場を乗り越えるのに健康管理は最優先事項だ。早急に裸足で過ごすことは諦め、むしろ入念に靴下を履いてからビーチサンダルを履いた。

 

普通の靴下しかなかったので履きながら勝手に足袋化させる。洗って昼間、外に干せば数時間ですぐに乾くとはいえ予備がもう一足あって良かったとホッと胸を撫で下ろす。

 

汚れが目立たないという目的だけで購入されたなんの変哲も無い黒い靴下と、引っ越したばかりだったので室内向けに何となく近所のコンビニで買った安価なビーチサンダル。1日だけでも裸足で外を歩く体験をした後には、足の裏にソフトな温もりとクッションの柔らかさを感じ、物のありがたみを痛感した。

 

後で知ったのだが、ミャンマーの僧侶は托鉢に出る時に裸足でなければいけないそうだ。結構ゴミも多い街中をずっと裸足で歩き続けるのは相当大変なはずである。

 

人生、経験に勝るものは無い。短い時間であれ何事も体験すればするほど共感力が高められていくのを身を持って体感できた。