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心と体に効く瞑想 <第二回> 〜きっかけ〜

ミャンマーからシンガポールに戻って3日目。社会復帰できるかどうか、若干の不安がよぎっていたが、今のところすこぶる順調である。

 

ご縁というのは不思議なものだ。ひょんなことからミャンマー人の方と出会い、この森の瞑想センターについて教えてもらったのは2014年の9月だった。

 

いろいろな事があり過ぎて、もうどうしようもなく現実逃避をしたくなった私は、同年末、瞑想をしにミャンマーのヤンゴンに向かった。

 

行くと決めたら話は早い。森の瞑想センターの予約もし、白いシャツと長いスカートのような瞑想用のロンジーも購入、あっという間に準備万端だった。

 

にも関わらず、100ページにもわたる契約書の翻訳が終わらず、結局、10日程、ホテルに缶詰めになった私は結局、瞑想センター瞑想できずじまいで無念の帰国をしたのだった。

 

滞在中、「せっかくヤンゴンまで来たんだから瞑想センターを見学して行ったら?」とミャンマー人の友人に提案してもらったおかげで、瞑想センターをひと通り見学する機会を得た。

 

空港からはだいたい1時間くらいの場所に位置する瞑想センターの敷地は結構広い。眺めの良い蓮池もあり、ゆっくり歩いて見学などしていたらあっという間に1時間くらいかかりそうな広さだ。

 

「この瞑想センターのマスターを紹介しますね」と紹介されたのはウ・パンディタ・サヤドウ氏。アウンサンスーチー氏も師事していたのが目撃されている。

 

当時、同氏はまさかの93才。とても若々しく元気なそのご様子からは到底信じがたかった。やはりこれも瞑想効果に違いないと至極感心したのを思い出す。

 

面会してありがたいお言葉を頂いたのだけれど、今となっては残念ながら何一つ覚えていない。でも彼の穏やかなまなざしや謙虚な佇まいは印象的で今も忘れられない。

 

森の瞑想センターは創立者である彼の名にちなんでパンディタラマセンターと呼ばれている。彼は7才で出家しヴィパッサナー瞑想を学んでからは多くの生徒達に教えてきたそうだ。

 

ヤンゴンまで行って結局、瞑想できなかった無念さを払拭すべく、近いうちに必ずまた来ることを心に誓った。

 

日常生活と仕事に追われながら、ミャンマー行きを先延ばしにしていると、昨年4月、同氏が他界したことを知らされた。

 

(なんとか時間を作らなくては)という想いを強くする中、偶然にも不思議とヴィパッサナー瞑想について語る日本人が3名現れた。そのうちの1人は体験者でもある。

 

「3回言われたら行動に移さなければならない」というマイルールを設けている私にとって、これは一大事だった。もう何が何でも行かなくちゃという気になった私は即座にミャンマー行きを決めたのだ。

 

何事もやると決めたら道は開ける。10日間もメールや電話のやりとりは一切無し。緊急事態以外は音信不通になるのだけれど、周りの方々からも応援して頂いてスムーズに事は運んだ。

 

良い時はトントン拍子で物事は進む。言い出すのにはかなりの勇気がいったし、決めてからも、中にはもちろん「10日間も瞑想?!」とネガティヴな反応が全く無かった訳ではない。でもそんな現実をしっかり受け取るのも今、振り返ると必然だったとよくわかる。

 

とりあえず都合の良いタイミングでフライトを予約、ギリギリまで仕事をし、引き継ぎを終えて何とかミャンマーに向かった。

 

ヤンゴン国際空港に着くと迎えに来てくれたミャンマーの友人が教えてくれた。私が瞑想を始めるその日は、なんと偶然にも故ウ・パンディタ・サヤドウ氏が遺灰となって約1年ぶりにパンディタラマセンターに戻って来る日でもあったのだ。

 

おかげさまで彼の魂に温かく向かい入れられているのを感じながら私の瞑想生活は始まった。ご縁とはつくづく不思議なものである。