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人生を良くするために必要なたった1つの真実

「心」というのは目に見えない。それゆえこれまでいろいろな定義がなされてきた。古今東西、活発な議論も行われ様々な分野で取り扱われている。

 

それは精神科の領域から心理学にまで至る。さらにIQに対して感情の知能指数と呼ばれるEQも生み出された。もう少し範囲を広げればはたまた宗教、哲学などまで多岐にわたる。

 

それだけにとどまらずスピリチュアルブームも起きて「魂」の話に及んだかと思うと「霊」まで出てきていつの間にかオカルトの話になっていたりする。

 

やはり「目に見えない」話を突き詰めていくうちに、いつの間にか、イコール「怪しい」という印象が生まれるのは否めない。

 

とはいえとても重要な課題なのでどうしたらもっとわかりやすく説明できるかを日々考えているとやっとしっくりくる例えが浮かんだ。

 

正直、以前の私だったら決して口にできないメタファーだが、あえて声を大にして伝えたい。

 

ただ、我ながら決してお上品な表現ではないどころか、お下品極まり無いことに気付いている。よって予めここで免責されるよう以下の文章を付け加える。

 

ここから先を読まれる方は、仮に今、お食事中だとしたら、一旦、読むのを止めて下さい。そして、お食事が終わってから入念に読み終えることを推奨します。

 


ポーズ

 


では心の準備ができた方は進んで下さい。

 


その昔、私はあまりにもお腹が痛くなって、我慢ができずとうとう病院に駆け込んだ。原因がわからずにX線まで取らされ、ドクターはお腹のレントゲン写真を見せてくれた。

 

白黒の写真を目の当たりにして「胸部の脂肪というのは一部映り込むから不思議〜」と思いつつ、痛みが激しい下部に目をやると、なんとそこには白い影があるではないか。

 

(うわぁ、もう一貫の終わり)と内心震えながら私は恐る恐るドクターに聴いてみた。「これは何ですか?」

 

するとドクターは淡々と「ガスですね」と教えてくれたのだ。

 

なんと!私の辛い痛みの原因はオナラだったのか。マジか、マジなのか。すぐには信じがたい事実を突き付けられた。

 

たかがオナラ、されどオナラ、決して侮れない。溜まったオナラは下腹部に大きな痛みをもたらしていたのだ。

 

そして最近やっと気が付いたのだけれど、実は心にも全く同じ事が起きる。たまにというより結構頻繁に起きている。

 

我慢に我慢を重ねて積み重なった行き場を失った憤り、悲しみ、憎しみ、嫉妬、悔しさなどなど挙げればキリがないが、こういった感情はしっかりと「心のオナラ」になっていく。

 

無意識下にいろいろなネガティヴな感情を溜め込んでいると、そのうち本当に具合が悪くなってくる。それはまさにオナラが大腸に溜まって下腹部が痛くなるのと同じことではないか。

 

最近「オーラが良くない人」というのは、つくづく「心にオナラが溜まった人」に違いないと感じる。

 

そして誤解を恐れずに言うと「憤り、悲しみ、憎しみ、嫉妬、悔しさに任せて口頭で人を叱り飛ばす人」と言うのは、まさに「長い間、苦しい便秘に悩まされた挙句、一挙にウンコをまき散らしている人」と同義語だと感じるようになった。

 

更にこの際だから言うと、なぜかそういう状態が普通になってしまって、気が付けばそういった「心のオナラやウンコ」を大切に保管し、何度でも観察しにいく習慣を意識的にも無意識的にも生み出してしまうというマニアックな事態まで起きていることもある。

 

これは非常に恐ろしい。目に見えるオナラやウンコだったらきちんとおトイレで始末できるのに、目に見えない心のオナラやウンコだと突然どうして良いかわからなくなる人が多いのだ。

 

だから心に何か引っかかるものを持つ人には、今一度、自分の心にしっかりと向き合う時を持つことをオススメしたい。

 

きっといろんな感情が浮かんでくるけれど、目を背けずに感情に向き合うことを自分に許可して欲しい。まずはそうするだけでもどんどん手放しが加速する。

 

旧正月の大晦日の今日、私は皆さんに「長い間心に溜まったものをデトックスしてスッキリと新年を迎えましょう♫」とお伝えしたい。