預言カフェ パート3

前回は預言カフェという「心の拠り所」があるおかげでいかに私の人生の質が良くなったかについて言及した。今日は引き続き2011年10月5日の預言から学んだことについて書きたい。

 

私はもともと典型的な「Noと言えない日本人」だ。海外で暮らすようになったのが20代後半で、英語圏と言ってもアジアに来たせいだろうか、海外生活が長い割には今でも根深いところに日本人気質を保ったままだ。日本に戻ってきて1年が経った頃に頂いた預言でもそれははっきりと明示されていた。

 

「そして私はあなたの人間関係を良いものとしていきますと主が言われます。

 

イエスはイエス、ノーはノー、その何かこう断るべきことがちゃんと断れる、また申し込むこと、お願いすることを大胆にもできる、その人間関係にあって切るところがふりまわされないで良い関係を作っていくことができることをあなたが選択できるでしょう、と主が言われます。

 

言ってもどうせわからないだろうと思ったものがわかられたり、どうせ過去にあった経験からこの人はこうだと思っていた推測と違った答えが出る、そういう体験をするでしょうと主が言われます。」

 

預言でそんなことまで言い当てられるなんてと驚いた。もちろん「見た目がそんな感じだから預言を与えた方もそれを察してそう仰ったのではないか」と思われる方もいらっしゃるかもしれない。うがった見方をすればそれは大方の日本人に当てはまるではないかと。

 

私はそうは思わないが、仮にそうだとしても、私は自分へのメッセージとしてきちんと受け取った。そして改善できることは改善しようと何度も読み返した。すると人間関係においても自然と距離感が縮んだり遠のいたりしてスムーズになりだしたのだ。「離れたくないのになんで?」とだいたい物事をややこしくしているのは自分の執着であることも理解できた。流れに任せることの大切さが身にしみた。

 

預言は日常に密着している。極めつけはこれだ。預言はなんと健康についても示唆に富んだアドバイスを下さるのだ。

 

「自分自身の健康のことに対してある意味不安に感じるならば病院に行ってチェックする、長年の体質が今と以前と違っているのを確認するにも大きな助けとなると主が言われます。

 

もはや薬を必要としてどうにかメンテナンスしながら守るのではなく、あなたの内在する力がちゃんとこう自分を立てる、そのことに変えられていく、ますます体験しますよ、と主が言われます。」

 

この預言を頂いてから半年以上経った翌年の夏の出来事である。私は健康オタクなので喉をいたわるためエアコンもつけずに寝ることが多い。そんな調子で日本でも暑い中寝ていたら妹が「お姉ちゃん、こんな暑い中寝ていたら熱射病になるよ!」と起こしてくれた。

 

なんだろう、このだるさは。かなりぐったりしていた。確かにその年は猛暑で多くの方が具合を悪くされていた。私もそのまま病院で診てもらうことになった。なぜこんなに具合が悪いのかわからない。MRIで確認するも異常なし。とうとう胃カメラを飲むことになった。

 

噂には聞いていたが胃カメラを飲むのにこんなに気合いがいるとは思ってもみなかった。その胃カメラはオリンパス製。胃カメラが私の胃へ到達し再び体外へ出されるまでの往復は、なんと目の前の大画面で中継されるのだ。今、まさに私の体を張った技術革新が試される決定的瞬間は迫っていた。

 

部分麻酔のあと胃カメラは私の喉を通る。(う、うそでしょ、苦しい。。。)「おえ~おえ~」と嗚咽を漏らし吐き出したい一心にかられながら思わず看護婦さんの手を握る。画面を見るとそのカメラの先端は線香花火のごとくカラフルな光をパチパチと放つ。

 

「今、3分の一終わりました」と落ち着いた声でお医者さんは実況中継を続ける。彼の落ち着きは尊敬に値する。「これが胃ですね、色をつけてみましょう。」と紫色の色がつけられた私の胃には鶏肉のように表面につぶつぶが見える。なんと!これは鳥肌胃炎と呼ばれる病気だったのだ。

 

胃カメラは無事に体外へ取り出され、その鳥肌胃炎がピロリ菌によるものだということが判明した。これは抗生物質を飲めば1週間で消えるというのだ。きちんと消滅していれば、息を吐き出した時にピロリ菌が再び検出されることはない。おかげで私は無事にピロリ菌を退治するに至ったのだ。

 

このピロリ菌を駆除する前と後で私の人生は一変した。持病の胃の痛みがなくなったのだ。それまで私はずっと「胃が痛いのはメンタルのせい」だと信じて疑わなかった。だから胃が痛くても薬も飲まず、むしろコーチングや心理カウンセリング、セラピーなどを学ぶのに相当なお金をつぎ込んでいたのだ。

 

勘違いも甚だしい。これも「天然」の部類に入ってしまうエピソードなのか。いずれにせよ、こんな思い込みが激しい私にも、神様はそっと優しく手を差し伸べてくれるのだ。もちろん妹やお医者さん、看護師さんにも感謝してもしきれない。