「引き寄せの女王」と呼ばれて パート3

前回のパート2では5000シンガポールドル(日本円で40万円相当)のF1レースのチケットを引き寄せたエピソードに触れた。今回は就職先、転職先について書いてみたい。

 

「海外留学したい」と父に話すと「会社が赴任させてくれるんだったらいいよ」と言われたことを本気にした結果、ちょうどいい具合にそういう会社を見つけてきた。新聞広告を見て応募したのだが、この会社とのご縁も今、思うと本当に引き寄せだった。

 

最初の面接の時から社長に「将来は海外で働きたいです!」とはっきり主張していた。今思えばそれしか興味がないような口ぶりだったと思う。社長のお嬢様と偶然同じ大学の英文学科出身だったご縁もあったかもしれない、無事に入社させて頂いた。その後、新入社員としてうっかりミスも多かったが、積年の想いを成果に反映させ、頑張りが認められておかげで、シンガポールに研修生として赴任した。

 

シンガポールには文字どおりスーツケース1つで旅立った。最初の頃は毎日同じ服を着ていて不審がられた。言いにくそうに「着替えはあるの?」と訊かれた時には「脱いだらすぐにちゃんと洗っているから大丈夫です」と答えた。今、思うと相変わらず極めて天然な発言ではあるが、その時には真面目にそう答えた。そんな私を相当、気の毒に思われたのか、すぐにショッピングセンターに連れて行ってもらって着替えを買い揃えたのを思い出す。

 

最初に住んだ家はバンガローと言われる一戸建てだった。いわゆるホームステイみたいな感じで、私以外にはお父さん、お母さん、息子二人、彼女、犬が住んでいた。私には一部屋が与えられ、外には私専用のトイレとシャワーがある。高級住宅街の中にあり校庭の横にある住居に住むことができてとても嬉しかった。

 

シンガポールの生活にも慣れてきた頃、あっという間に半年が経った。帰任命令が出たのだが、小さい頃からの念願が叶ってやっと来られた海外だったので帰るイメージなど全く湧くはずもない。友人に相談すると現地で転職先を探すことができるらしい。思い切って退職することにした。

 

とはいえ、初めての転職活動をまだ半年しか住んでいないシンガポールで行うというのはなかなか勇気のいることだった。ドキドキヒヤヒヤしながら、落ち着かない気持ちの方が高まった。ただあるのは「海外でもっと活躍したい!」という一途な思いだけだったのだ。

 

退職した翌日、転職を斡旋する人材紹介会社に相談に行く。即座に面接がアレンジされ、その翌日には転職先が決まった。日系の商社で現地法人の社長秘書として通訳兼事務を担当すると同時に、帰任される副社長の経営管理レポート作成を引き継ぐという内容だった。以前に担当していた経理財務のお仕事と英語力を評価された結果だった。

 

シンガポールでは就職先にひもづく就労ビザが発行されるため、退職すると同時に就労ビザは失効となる。2日後に転職先が見つかった私は再び就労ビザの申請を進めることができた。振り返るとこんなにラッキーなことはない。

 

日系商社ではシンガポールでの滞在歴が長い日本人女性が先輩として多くのアドバイスをして下さった。彼女に私の住環境についても喜んで話した。ただ聞けば聞くほど彼女の表情に不信感が募る。なぜだろうと不思議に思っていると「ゆみさんが住んでいるお部屋って、普通メイドが住む部屋だと思うんだけど」「えっ、そうなんですか?」

 

確かに部屋の外に屋根のない通路を隔てて別途トイレの横にシャワー室がある。トイレも中華系の方が使うにしては珍しく和式スタイルだ。シャワーもほとんど水しか出ない。家族が住んでいる戸建てからは若干とはいえ距離があるため「離れ」といった様相を呈する。どうやら彼女の発言に嘘や他意はなさそうだった。

 

続く