預言カフェ パート1

今朝、大切な友人が亡くなった。ホスピスでの突然の死だった。彼女についてブログに書く気にはまだなれない。フェイスブックではなるべくポジティブな投稿を心がけてきたが、ブログでは素のままリアルに思うことを書くと決めている。だからこんな時こそ私が心の拠り所にしている預言について書こうと思う。

 

高田馬場にある「預言カフェ」をご存知の方は少なくないだろう。テレビ番組でも取材され、今月には赤坂店もオープン。私もこれまで多くの方をお連れしてきたし、これからもお連れするだろう。なぜなら預言によって人生がどんどん明るい方向に向かっていくのを実感している人が身の周りに増え出したからだ。

 

「預言」とは何か。よく「予言」と間違われる方も多いが「預けられる言葉」と書いて「預言」である。グーグル検索すると「キリスト教などで、神の霊感を受けて、神託として述べること。その神託。」とある。幼稚園の頃からキリスト教に馴染みがあり小中高大学までミッション系に通い、今となっては洗礼を受けてクリスチャンである私にとって預言を頂くようになったのは自然な流れだ。

 

預言カフェに行くと予約表に自分の名前を書く。そして順番待ちをする。自分の番が来るとテーブルに座ってコーヒーを飲む。何を隠そう預言カフェはコーヒー専門店なのだ。美味しいコーヒーを飲みながらしばらく待っているとスタッフが来られる。録音用のアイフォンを渡すと預言を吹き込んで下さるのだった。通常、預言は数分間くらい続く。

 

この録音して持って帰った預言を文字に書き起こす。書き起こすためには何度も繰り返し聞く必要がある。その過程でしっかり消化され、自分のものになっていくのだ。

 

初めて預言カフェを訪れたのは2011年。しかし一番最初に行った時の預言は残念ながら記録に残っていない。ただ驚いたことにその時の心境をズバリ言い当てられたことはよく覚えている。

 

「あなたは下りのエスカレーターを逆走して登ろうとしているので、人生は辛いものだと感じていますが、これからは上りのエスカレーターに登るようにもっと人生が楽になります」といった内容だった。まさに人生は出口の見えない辛く苦しいものと感じていた私にぴったりの比喩であった。

 

それをきっかけに定期的に預言カフェに行くようになった。貴重な初めての預言を紛失したので、それ以来、大切に記録、保管し、度々見直している。これから私がどんな預言を受け取り、その度にどんな人生の変化が起きたのかをみなさんにシェアしていきたい。まず初めに2011年10月5日の預言の一部を紹介しよう。

 

「主が言われます。我が愛する娘よ、私はあなたを愛していると主が言われます。

 

あなたの素直な心、まっすぐな心を喜んでいると主が言われます。

 

周りにふりまわされないで自分らしくいられる強さ、それがあなたにあると主が言われます。

 

自分のことをなんかこう疑うというか、心配しないでと、ちゃんと自分の色というか、自分のやるべきことを達成していく強さがあなたにあると主が言われます。

 

周りの人達のことをいろいろ考えて、こうした方が喜ぶかなとかああしたことがいいのかなと想像がつくでしょうが、だからといって心の中はいろいろ思い巡っているというか、考えていたとしても、選択としてはちゃんと自分の道を貫くことができる。そのなんか根底にある強さというか最終的にはぶれないと、その強さがあなたにあると主が言われます。

 

だから今の自分、今の状況を見て、なんかしっかりしていないように自分のことを疑ったりしないで、その周りに取られていくものでも、ひきまわされるものでもなくちゃんとこう信念を持って自分のやるべきことをやっていくべきものであると主が言われます。」

 

なんという温かさだろうか。メッセージの随所から春の日差しのように柔らかく染み入るような愛を感じざるを得ない。私は預言を繰り返し読んでは泣いた。何度も泣いた。流した涙の分だけ浄化されていくようだった。自分が根本的に癒されていくのを感じた。頑なだった私の心が少しずつ開いていく。

 

なんでも自分でやらなければいけないと思っていた。そうでなければ自立とは呼べない、と闘志むき出しだった私。でももっと「見えない力」に頼ってもいいのかもしれないと少しずつ「心の眼」が開きだした。

 

続く