「癒し」の真実  (1)

私のブログ「長女の生き方」で「奪う、奪われるを手放す」という主旨の話を書いた。そして昨日、驚愕の事実に気が付いた。「癒す、癒される」もまた「奪う、奪われる」と同義語なのだ、ということに。

 

これまで自分の中の大きなテーマは「癒し」であった。それを色濃く意識し始めたのは29歳の時。既にアラフォーの私は、先日、美しい20代の日本人女性のモデルさんに「癒し系ですか?」と言われて嬉しくなった。男性から言われることはよくあった。でもそれは私に限ったことではなく、女性全般に言えることなのでそんなに特別なことではないと思っていた。やはり発信していることはきちんと受信されるようだ。

 

幼い頃から私の29歳には死のイメージを伴った。ひょっとして私は自分の死を29歳で迎えるのだろうか。29歳から先の人生は全く見えない感覚に包まれるのだ。万が一に備えて私は今世でやりたいことは心おきなく全部やろうと決めていた。

 

高校生の頃からキャンプリーダーのボランティア活動を始めた。普段学校で出会わない他校の学生達と交流しながら子供達と共に体験学習をする。

 

関西人の私達はお笑い芸人並みのことにチャレンジするのが好きだ。変わったところでいうと、山の中のキャンプ場でボットン便所の汲み取りもした。それだけではない、あえてその現場で自炊のカレーライスを食べたりしたことでメンタルも鍛えられた。

 

大学時代には豪華客船でグアム、サイパンに行き子供達と共に国際交流を体験する機会も得た。コンビニ店員、家庭教師、配膳、展示場の通訳、自然学校の引率、着ぐるみを着て子供をあやすなどありとあらゆるバイトをした。

 

スクーバダイビングをしに沖縄の慶良間諸島や宮古島にも行った。社会人になってからもバックパッカー旅行、海外転職、クラブ通い、モデル、テレビCM出演、声優などなど思いつく限り手当たり次第チャレンジした。

 

29歳の誕生日を迎えて間もなく私は夢を見た。2番目の弟と一緒にエレベーターに乗って一直線に山頂に向かっていた。エレベーターの外は白く光っている。降りると若干空気が薄く感じられるようなそんな場所には猿が神様のように祀ってあった。不思議な感覚を覚えた。

 

それから2週間後、仕事を終えてオフィスを出てシンガポールのバスに乗っていたある日、いとこから電話があった。弟が亡くなったというのだ。それも自ら命を絶ったという。にわかには信じ難い。こないだまでメールで連絡をくれていた弟が。狐につままれたようだった。

 

一体全体、自分に何が起きているのか、全くわけがわからない。取り急ぎ会社の方にお伝えした。正直、その時は弟が自死だったとは伝えられなかった。まだ自分の目で確かめていないから事実かどうかもわからないではないか。涙が止まらないながらも、飛行機を予約して一時帰国の準備をした。

 

弟の遺体に向き合った。母は冷たくなった弟に触れて泣き崩れた。その場面は今でも忘れられない。私も自分の無力感に呆然となった。ただ、葬儀に集まって下さった方には弟の死を無駄にしたくない一心で何かを必死で訴えた。

 

もう何を言ったのかさえ詳細はあまり思い出せない。弟をシンガポールに連れてきて案内したかったけどできなかったから、どうか後悔の無い人生を生きて欲しい、そんなようなことを伝えた気がする。

 

突然の弟の死。29歳で死ぬのは私だとばかり思っていた。弟からはメールで連絡ももらっていたのにどうしてもっとかまってあげられなかったのか。もしかしたら救えたのではないのか。いろんな思いが噴き出してきた。悲しみと同時に行き場の無い憤りで物に八つ当たりをしてすべてを壊してしまいたい気持ちにもなった。

 

同時に目の前で悲しんでいる母を何とか癒さなければという思いが強くなった。導かれるようにいろんなヒーリングやセラピーなどを学んだ。母にも学んだことを早速体験してもらった。シンガポールに来てくれた母は私の思いに気長に付き合ってくれた。

 

でも今ならわかる。人は人をそんなに簡単には癒せないのだということを。それは、癒したい本人が一番癒されたいのだから。

 

続く