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ソーシャルメディアのメリットとは

「フェイスブックばっかりやっているみたいだけど時間の無駄だよ」と言われたことがある。確かに私はフェイスブックをよく見ているし、投稿も頻繁にしている。基本的に家にテレビを置かずテレビを見る習慣のない私にとって、フェイスブックが代わりのメディアになって久しい。フェイスブックに時間を割くことは果たして本当に無駄なのか。確かに惰性的にダラダラと眺めているとしたら無駄なのだろう。だが、私は個人的に「無駄では無い」と考える。

 

正直、フェイスブックを始める前は、それに代表されるソーシャルメディアが怖かった。自分が発信することによってどんな反応が来るのか。本当に「いいね」ボタンを押してもらえるのか。もらえたらもらえたで、一体いくつもらえるのか。「いいね」の数が意味するものは何か、うっかり炎上などしたらどうしよう。考えればキリがない。

 

そもそも私は極度の怖がりだ。4人兄弟の1番上に生まれた私は父母の「心配」を一身に受けて育った。確かに昔の私は物静かでおっとりとしていた。その上、今でもそうだがおっちょこちょいで鈍臭いので致し方ない。「危ない」「やめなさい」「気を付けて」としょっちゅう感情を込めて言われたことを思い出す。だから無意識レベルで「世の中は怖いところ」なのだ。

 

ゆえに基本的に何をするにも、まずはごちゃごちゃとありもしないことを考える。取り越し苦労とはまさにこのことだ。いつも緊張していてお腹が痛くなったので小学校の頃はよく保健室にお世話になった。その頃から常に「癒し」を必要としていたようだ。

 

そう、長年の私のテーマは「癒し」だった。こういうことを言っている本人ほど「癒し」を必要としている人はいない。ありとあらゆる「癒し」を求めていろんなことに手を出した。もうそれは時間もお金も相当つぎ込むほどの徹底ぶりだ。

 

今、振り返ると「癒し」が「もっと癒されたい」に変わり、「もっと癒されたい」ためには「癒される」ネタが必要になるので、そんなネタを無理やり生み出していたのではないかというほどの熱中ぶり。同じテーマに対して違う角度から何度もアプローチした暁には心理カウンセラーから「やり過ぎですね」と言われるほどだった。そろそろ「癒し」に変化を加える時が来た。

 

そこでフェイスブックで「癒し」をテーマに投稿を始めた。自分を癒してくれる景色の写真を投稿した。お花、食事、猫などの日常の一コマを投稿し続けた。いつの間にかフェイスブックの友達やフォロアーが増えていった。

 

そしていつからか「いつも投稿に励まされています」と言ったフィードバックをもらうようになった。中にはリアルではお会いしたことがない方も多かった。ほんの少しでも自分が人の役に立てていると思える瞬間だった。

 

もちろんネガティブなコメントが全くなかったわけではない。でも割合で言うと数パーセントなので無視できるレベルだ。途中から投稿を「全体公開」にした。結構勇気のいることではあった。おかげで想いを同じくする世界中の仲間達とつながりだした。昨日まで他人だった人がフェイスブック友達になって、投稿をシェアしてくれるようになった。少しずつ思ったことをそのまま伝えても大丈夫なんだと安心できるようになった。

 

ありのままの自分でいられることほど幸せなことはない。フェイスブックが「世の中はそんなに怖いところではない」と教えてくれた。