もっとラクに生きるために念頭に置いておきたい3つのキーワード

ラップトップが「空き領域足りていませんけど大丈夫ですか?」と何度もきいてくる。

 


忙しいのでかなり無視をしていたけれど、そろそろ向き合って上げないと自分が困ると思って、とうとう断捨離を始めた。

 


たまった書類を削除していくうちに懐かしい写真が出てきた。特に目をひいたのは新卒で入社した時の写真である。

 


新しい制服に身を包み、受付で嬉々とした表情でカメラに向かう自分。我ながら初々しいというのはこういうことなんだなぁと納得する。

 


そこに写っているかつての私を見て、本当に私なのだろうか、と疑わずにはいられなかった。

 


まず最初に、当時の私は痩せていた。太いと思っていたけれど今よりは細い。私にも普通に首があったのね!と驚く。

 


超氷河期だったにも関わらず、卒業一月前に応募した3社目で無事就職できたことは奇跡に近い。

 


オーナーのお嬢様と同じ大学出身ということで気に入って頂いたことも入社させて頂いた理由の一つだと思う。

 


面接の時に「海外で働くのが夢です」と率直に伝えたことも功を為したのか、総合職で採用された。

 


人事の女性の先輩に「いつの日か社長になりたい」という夢も語っていたため、経理を任された。

 


今思うと、さながら子リスのハートを持ちながら、一生懸命口にどんぐりをたくさん詰めて大きく見えるフリをしていた感がハンパない。

 


「背伸びをすれば背は伸びる」という言葉を真に受け、ハイヒールを履いては「自分でない自分」になろうとしていた自分に教えてあげたいことがたくさん出てきた。

 


もっとラクに生きるために念頭に置いておきたい3つのキーワードとはズバリ「同調圧力」「承認欲求」「マウンティング」だ。

 


人々の中に見受けられるこうした共通項に対する折り合いの付け方がわかっていれば、大抵のことは乗り越えられると思う。

 


現代社会において往々にして「皆、同じ価値観を持たないといけない」という「同調圧力」の中、自分の価値観とは異なるところで目標を持たらされる。

 


しかも人間の根底から湧き上がる「承認されたい想い」が渦巻く中、認められたい一心で、やりたくないこともやらなければいけない状況に陥る。

 


だけどせっかく達成しても思いのほか誰からも誉めてもらえないので自ら「私の方がすごいでしょ」とマウンティングせざるを得ないのだ。

 


この流れの中で生きていく上で、昔の私は人と違う自分を目の当たりにする度にちょっとしたことにえらく繊細で、過敏に反応していた。些細な一言が心に響き、長い間ひきづることも多々あった。

 


それは小さい頃から本質的に自分が最も欲している価値観が「自由であること」だからである。

 


でも今はどうだろう。そういうのがぐるぐる渦巻いて、異なる価値観の人同士、絶え間なく小さな紛争をしているのが社会なのではないか、と俯瞰で観られるようになった。

 


チームとして共通の価値観も持ちつつ、みんなそれぞれ異なる価値観を持ちながら生きているからこそ彩り豊かな人生を送ることができておもしろいのだと思う。

 


人間が画一的になり過ぎて、ロボットのようになってしまったら、彼らに仕事を奪われるではないか。

 


今日はインドのお正月「ディワリ」である。調べてみると人口が多くなんとなくふわっと折り合いを付けて「お正月という位置付け」になったらしい。

 


シンガポールでは何回も新年を祝うので年に何回も生まれ変わった気分になれる。

 

 

 

 

 

 

 

「最近、婚活はどうしているの?」という問いについて

先日東京で再会したコーチ仲間に「モーニングページが一番良いよ~!」と言われたのをふと思い出した。朝起きたら心の中にあることを洗いざらい全部書くというアレである。

 


ただ私はなんでも自分流にアレンジするのが好きなのだ。今は夜なので「ナイトページ」だし「自分のためだけに書くモーニングページ」とは対照的ではあるが、せっかくアウトプットするならブログにしようと思い立った。


先週土曜日は疲れがたまっていたので寝だめをした。ぐったりしていたけれど、夕方頃慌てて起きだし、同窓会へ行く準備をした。

 


廊下に出ると、なんと同じフロアのご年配の女性が床に座り込んでいる。

 


彼女は以前朗らかに中国の方言で話しかけて下さったことがある。でも私は方言を理解できないので、なんとなくニコッと挨拶をしてその時は終わっていた。

 


その彼女が驚きの表情で床に座っている。状況から察するに、ゴミを出しにドアを開け、一歩足を踏み出した瞬間、雨で濡れた床で転んだようだ。

 


非常にショックを受け、呆然としておられたため、私は手を差し伸べた。雨で濡れている床は一部分だけなので、少しだけそこから離れてもらった。

 


なんとか踏ん張って起き上がってもらったところ、気を取り直され、小声で「サンキュー」と言ってお部屋に戻られた。

 


彼女も私と同じで一人で住んでいるのだろう。私が通りがからなかったら彼女はずっとあのまま座り込んでいたのだろうか。

 


ほんの数分のできごとに、なぜか私もショックを受けつつ、興奮冷めやらずの状態で同窓会に向かった。

 


土曜日の夜、行きつけのPIXYでディナーを頂く。中高大の同窓会で先輩、後輩の皆様とお話していると懐かしさがこみ上げる。

 


ご結婚なさっておられる方もいらっしゃればそうでない方もおられる。ご家族の話、近況などで盛り上がる。

 


日本の有名フランス料理店のシェフによるおススメメニューが美味しくて時間があっという間に過ぎてしまった。

 


色々なことを思いながら気が付けば、プロセッコ、白ワイン、赤ワイン2杯も飲んでいた。

 


「お酒強いですね」と言われ、ふと20代の後半の頃を思い出した。シンガポールに来てまだ間もない頃だった。

 


私だけ女子という状況が多かったのでどうしてもお酒に強いふりがしたかった。なめられたくなかった。

 


一通り食べた後に自ら指を喉に突っ込んで全部吐くことを覚えた私は、その後もまたひたすら飲んでいたことを思い出した。

 


今思うと本当に若かったなぁと感心する。今はどうだろう。一度食べたものは勿体無さ過ぎて絶対に吐かないと決めている。

 


人は年齢を重ねるにつれて自立を強いられ、どんどん強くなっていく。そして大抵のことは一人でできるようになる。

 


いつの間にか段々と肉体的にも精神的にも何とかちょうど良いところで手をうてる器用さも身に付けていくのだ。

 


「最近、婚活はどうしているの?」と問われた結果、私はこう答えた。

 


「一通り婚活について考え精神世界を駆け巡った後、突き詰めて考えると私にとって重要な価値観は『人に迷惑をかけないこと』だとわかったんですけど、そのために大抵のことはお金で解決できるので、猛烈にお金を稼ぐことにしました。」

 


こう話すとみんな爆笑する。一見矛盾しているかのようで滑稽な話だが、これが独身女性のリアルな実情なのだ。

 


諸先輩から「結婚はしなくて良いけどパートナーはいた方が良いよ」とアドバイスを受けたこともある。

 


確かに転んだ時や病気をした時にひとりぼっちだと人恋しくなりそうだし、心の拠り所があるだけでも人生は豊かになりそうな気はする。

 


「お付き合いはするけれどお財布は別の方が良いよ」という意見もある。確かに女性の方が稼ぎがある場合、離婚すると持っていかれるらしい。

 


そしてそういった諸々を総合的にまとめると、一人でいる時が普通に楽しいので、結局好きな人と好きな時に好きな場所で適宜会えれば良いという結論に至った。

 


一生涯を共にすることを誓う結婚は私には荷が重すぎる。毎日お互いが想いを交わすことを確認し「今日もなんか続いたね」と更新できたことを祝えれば、それで十分な気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スピリチュアルについてのお話 その1

最近、ますます心の底からあふれ出て止まらないことがあるので、ここに書いてスッキリしたい。

 


それは自身のスピリチュアリティーに関してだが、今からそれをもっとオープンにしていく方が良いらしい。

 


昔から節目ふしめにスピリチュアルカウンセラーと出遇わされる。最近出逢った方からも多くのメッセージを受け取った。

 


そして最初からズバリ見透かされたように言われた。

 


「あなたは霊媒ですよね」

 


最初からこんな感じだったので面喰らった。同業者の方はお見通しのようだ。

 


今思うと、小さい頃から霊感が強かったのだろうか、暗いところが怖くてしょうがなかった。

 


なぜか自分を守るためにたくさんのぬいぐるみに囲まれていないと眠れなかったのだ。

 


この「霊」についてのお話はなかなかセンシティブだ。「霊」は目に見えない。

 


目に見えないものは「想像の産物」と分類されるのだから仕方がない。

 


でも江原啓之氏のお陰で随分市民権を得たようにも感じる。

 


私も彼の本を読んだ時にはとても救われた。

 


彼の後を追うように、スピリチュアルに詳しい先生のもとで勉強したり訓練をして色々なことができるようになった。

 


誤解を恐れずに言うと、ありとあらゆる方法で治そうと思っても治らなかった時に、スピリチュアルカウンセリングが有効な事も多い。

 


私自身「魂を癒す」為に学んで活用しているメソッドは数多くある。改めて列挙すると以下の通り。

 


✴︎ オーラリーディング

✴︎ エネルギーヒーリング

✴︎ チャクラクリアリング

✴︎ 光の言葉セラピー

✴︎ 過去世療法

✴︎ インナーチャイルドセラピー

✴︎ 未来療法

✴︎ ヒプノセラピー

✴︎ タッピングセラピー

✴︎ グリーフケア

✴︎ スピリットとの対話

✴︎ コーチング

✴︎ アートセラピー

 


これだけを読むと(「オーラ」とか「過去世」って何だろう)と思われるのも不思議ではないだろう。

 


私もこういうことを語ると「怪しい」と思われるので(言わないでおこう)というためらいがあった。

 


でも、最近感じるのは、そんなためらいよりも、より多くの魂を癒すお手伝いをする方が大切に思えるようになってきた。

 


その想いは日に日に強くなってきたので、自分の立ち位置を明確にしつつ、できることをもっとしていかなければと思ったのだ。

 


「オーラ」や「過去世」とは何か。私はそれを「魂を癒す過程において見えるツール」だと捉えている。

 


結果にコミットする上で「魂が抱えたキズ」はあらゆる形で発見される。

 


表現の仕方は人それぞれ。「正しいか正しくないか」は横に置いたとしても、大切なのは「癒されるか否か」なのだ。

 


先に挙げた手段で心身共に癒されたと言って下さった方は多い。

 


だからこの際、私は「オーラ」や「過去世」の真偽の程は問わないことにした。

 


究極的には「信じるか信じないか」の世界ではないかと言われるかもしれない、確かにそれもある。

 


いずれにせよ、私が目指しているのは、魂を癒した後、「人生が良くなるかどうか」という一点のみが大事なのである。

 


スピリチュアル談義でひとしきり盛り上がった後、ある方がおっしゃった言葉が今も忘れられない。

 


「つまるところ、ひき算なのか、かけ算なのかという計算式が違うだけで、たどり着く答えは一緒なんだよね。」

 


本当にその通りだと思う。限りある人生、自分に合ってさえいればどんな計算式でも構わない。自分に必要な答えを導き出して欲しいと願ってやまない。

 

あわせて読みたい「オーバーフロー理論」加速法

堀江信宏氏がお亡くなりになられた。マイケル・ボルダック氏を始め多くの講師をプロモートされた実績に加え、最近はご自身も著書「自問力」を出版されていたそうだ。

 

数年ぶりにマイケル・ボルダック氏のテキストを手にした日が、偶然にも彼の命日だったことが後でわかった。


私自身、これから展開するコーチングセッションの内容を固めている時だったので、バトンを渡された気がした。


そこで、先日、独自の「オーバーフロー理論」について書いたら反響があったので、続編を書く。


あふれさせて余らせてシェアする「オーバーフロー理論」、これを加速させるにはどうしたら良いか。


有効手段はただ一つ。それは「自分をあふれさせたら、周りの人もあふれさせる」ことだ。


「源泉説」、つまりこれは「性善説」のように人にはそれぞれ生まれてきた意味があり、才能の源泉があるのだという前提にたっている。


「才能の源泉の見つけ方」については、長くなるのでまた別途説明したい。


最近はお仕事を通じて出会う方々と補完関係が構築されることが多い。


その結果、お互いのアイデアや経験、人脈によって相乗効果が生まれることもあるのだ。


お仕事によって関わり方は違うけれど、普遍的なのは以下のパターンである。

 


(1)「現状」となる「今のあり方」について把握する。

 


(2) これまで何に時間と情熱を注いできたのかという「過去」を知る。

 


(3) 何を目指しているのかという「未来」の「理想のありたい姿」を理解する。

 


(4) 「今のあり方」と「理想のありたい姿」のギャップの原因を分析する。

 


(5) ギャップを埋めるために自分のリソースを用いてどんな風にどれだけ貢献できるかを考える。


このステップはいわゆるコーチングやコンサルティングでよく用いられている手段かもしれない。

 


私が強調したいのは(5)番。基本的に私と関わる方、特にお客様と関わる上で私が常に念頭に置いている信条がある。


それは「一粒万倍の法則」だ。これは「一粒万倍日」にちなんでいる。


ウィキペディアによると詳細は以下の通り。

 


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「一粒万倍」とは、一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので凶とされる。


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具体的にどういうことなのか。


お守りや縁起の良いものが大好きな私は、引っ越しをする度に大量にたまったお守りなどを見てある時ふと思った。


(「いっそのこと私自身が歩く「ラッキーアイテム」、「パワースポット」になれないものか。)


ちょっとぶっとんだ発想かもしれないが、憧れの方々がみんなそんな感じだったので真顔で真剣にそう考えた。


そもそもなぜ人はこうしたものに惹かれてやまないのか。


お守りを見る度にプレゼントして下さった方の気持ちと共に「私はいつも守られている」というのを思い出す。


パワースポットで得られるリラックス効果は高く、心を癒してくれる。


そんな風にうまく活用される一方で「他力本願」あるいは「自分にはまだ足りていない」という潜在意識の気持ちを助長する場合もあるのではないか。


何事もバランスが大切だ。


「ラッキーアイテムやパワースポットのような人物」に関しても同様である。


「ホンモノ」は彼らと一緒にいることが気持ち良くても、決して彼らに対する「依存心」を引き起こしたりしない。


代わりに「本人の中にどれだけすばらしい可能性は眠っているのか」に気付かせ「自立を促す」人達だと思う。


「叶わないと思える大志ほど叶いやすい」とはよくコーチの間で語られる信条である。堀江信宏氏もブログでこのフレーズに感動したと書かれていた。


それ以来、私は通訳やコーチングセッションをご依頼して頂いた方に対して、彼らが私に費やしたお金や時間がより良い形で、何万倍にもなって返ってくるよう常に願っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

21世紀に提唱したい「オーバーフロー理論」とは

ビジネスにおける関係性を説く上で、巷でよく耳にする言葉がある。それは「ギブアンドテイク」であったり「ウィン-ウィン」だ。

 

実際私もよく使っていたのだが、気が付けば徐々に違和感を覚えるようになってしまった。

 

例えば「ギブアンドテイク」について。これは至極、最もな表現に間違いない。

 

「ギブ」するから当然「テイク」をする。当たり前に聞こえる。

 

でも実際には「ギブ」「ギブ」「ギブ」がいっぱいあってからの「テイク」らしい。

 

ただある時私は気付いてしまった。ミッション系の学校に通っている頃から、寄付をしたりボランティアをし続けているせいだろうか。

 

私は時間もお金もつい「ギブし過ぎる」傾向に陥りやすいことがわかった。

 

ふと周りの女子達を見てもそうだった。「人類愛」「慈悲深さ」に目覚めれば目覚めるほど、同じような傾向にある。

 

「困った人を助けたい。」「喜ぶ顔が見たい。」だからかかる経費は自分で負担してでも無償でサービスを行う。

 

結果、どうなるかというと、いつのまにかお金が減ってしまい「自分の身を削るような感覚」になり、健康を害してしまう人も出てくるのだ。

 

では「ウィン-ウィン」はどうだろう。これなら関係者がみんな恩恵を受けるイメージがわきやすいだろうか。

 

「ウィン=勝つ」のは良いことだ。ただ「勝ち組」を明確にした時点で同時に裏側には「負け組」が存在してしまう。

 

勝った方は良いとして負けた人はどうなるのか。

 

「どこにでも競争原理は働くのだから、地上に桃源郷を求める方が理想主義的ではないか。」

 

そんな声も聞こえてくるかもしれない。それでも直感的に何かもっとしっくりくる言葉があるはずだという想いが募った。

 

しぶとい私はひそかに探求を続けた。そしてようやく浮かんできた言葉があった。

 

それが「オーバーフロー理論」である。最近はこの言葉が好きで、よく使っている。

 

なぜ「あふれ出る」なのか。今、まさに地上から湧き出る水を想像して欲しい。

 

そんな風にそれぞれの人からその人が「好き、得意とすること」があふれているとする。

 

みんなはその「好き、得意とすること」を徹底してやり続けて、もっともっとあふれさせる。とことんまで余らせる。

 

すると自分も周りも使いきれないほど余ってくるので、あとはもう共有するしかなくなってくるのだ。

 

手前味噌ながら、私自身の事例に置き換えて説明したい。この仮説をもとに実証実験を行った結果これに気付いたのだ。

 

小学校の卒業文書に書いた将来の夢。それは「通訳かレポーター」だった。

 

めぐりめぐって最終的にこの好き、得意な通訳の仕事を本業にした。

 

やればやるほど楽しくなり、通訳を極めたくて英検1級に合格、同時通訳者にもなった。

 

抗うことなく徹底して道を突き進んだ途端、多方面からお声がけを頂き、自分だけでこなせなくなってきたので、周りの通訳者にもお仕事をシェアできる状況が出てきた。

 

最近では通訳のお仕事を通して出会った方に「レポーターをやるのが夢だったんです」とお伝えしたところ、貴重な機会を頂き、もう1つの夢も叶った。

 

彼はベストセラー作家でレイクサイド多摩FMでラジオ番組をお持ちの稲村徹也氏。

 

経営者の彼もまた「好き、得意」を大いにあふれさせ、ご自身のみならず多くの方の夢を叶え続け成功している。

 

いつのまにか周りにはそんな風に「好き、得意があふれ出ている人」ばかりになって、毎日、豊かさが循環している。

コーチングの効果を高めるたった1つの質問

先日、私は「おばさん」と言われて、久々に立腹した。

 

「おばさん」、アラフォーなのでそう呼ばれても当然である。間違っていない。

 

「おばさん」「おばさん」「おばさん」

 

何度も言われて余計に怒りが増した。

 

しかも私を「おばさん」と呼んだ方は、ご自身が「おじさん」であるから年が近い私を「おばさん」と呼んでいるだけらしい。

 

となると「男子トイレ」「女子トイレ」レベルである意味、客観的に公正な立場でのまっとうな発言ではないかとも捉えられる。

 

(イヤァ〜、イヤなものはイヤやねん。。。)

 

「おばさん」、そう呼ばれて、頭で「客観的事実」とわかっても一度心に広がった違和感は隠しえなかった。


なぜなのか。怒りが収まって冷静に考えた。


私はコーチなので自分に問いかけた。こんな時、コーチングの質問は役に立つ。


そう、困った時のキラークエスチョン。

 


「本当は何がしたかったの?」

 


もう、これ、この質問に尽きるのではないか。

 

この質問の答えが出れば、心理的モヤモヤ感の謎解きに8〜9割は成功したと言えるだろう。

 

この質問を私の文脈にあてはめて自分に問いかけた。

 

 

「本当はなんて呼ばれたかったの?」

 

 

この問いかけの良いところ、それは問いかけた時点で「怒り」から離れて少し遠くから自分を観察できるようになるという点だ。

 

深呼吸をして、リラックス。自分の心の中を冷静に見つめる。

 

潜在意識にしまわれていた真の気持ち。心の内側で沈黙を貫く声のない雄叫び。

 

私は自分に問いかけ続けた。

 


「本当はなんて呼ばれたかったの?」

 


そしてようやく答えを見つけた。

 


(えっ?!)

 


私は絶句した。そこで浮かび上がった答えに私自身驚かずにいられない。


その答え、それは

 


「本当はおじさんと呼ばれたかった」

 


(ぷぷぷ)

 


意外だった。

 

「おばさん」と呼ばれた場面を思い出す。すると私以外は全員、男性だった。

 

「おばさん」と呼ばれて一人だけ女性であることに気付かされたところがあった。

 

それはつまり孤独と疎外を感じた瞬間でもあったのだ。

 

ちょっと大げさに書いているので、自分でも(おかしいな)と思うけれど続ける。

 

これまで私は「おじさん」と呼ばれたことはない。

 

でももし仮に「おじさん」と呼ばれたら。なぜかすごくしっくりくるだろう。

 

むしろ「おじさん」と呼ばれることに喜びすら感じる。なんというか単純に嬉しい。

 

ただここはちょっと複雑で、最近、働く女性の鏡のような勝間和代氏が同性愛であることをカミングアウトした。

 

でも、私は女性に性的興奮を覚えることはなく、恋愛対象は一貫して男性(イケメン)である。

 

では、なぜ「おじさん」と呼ばれたいのか。

 

どうやら私は「おじさんには問題解決能力が備わっている」と肯定的な意味付けをしていることがわかった。

 

「おばさん」だって問題解決をしているのだけれど、どちらかというとこれは自分の両親から受け継いだものらしい。

 

お父さん=おじさん=理系=淡々と問題解決

 

お母さん=おばさん=文系=全てに感情が優先

 

といった具合である。

 

ある説によると、女性は1ヶ月のうち1週間しかハッピーではないらしい。それは全てホルモンバランスやバイオリズムに関係するらしい。

 

「月のものがなければ、もっと肉体的にラクになってもっとたくさんのことをこなせるのに。」

 

そんな心の叫びまで聴こえてきた。

 

心の内側が望むものに耳を傾けたら、改めて自分にとって大切な価値観は「問題解決」だとの認識を得た。

 

「おばさん」と呼ばれること。これは特にハラスメントに該当するわけではないかもしれないが、違和感を感じた時こそ、本当の自分の願望に気付かされるのだと思う。

赤道直下で燃えたぎる熱い漢「岡田兵吾」の実態

リーゼントマネージャー、岡田兵吾氏。今朝、メッセンジャーで彼と熱い会話をした。かなり熱く、私だけの中にためておくのはもったいないので早速ブログにしたためたい。

 

彼は何を隠そう元同僚である。遡ること15年前、ジョブホッパーな私が最も長く勤務をしたマイクロソフトで出逢った。

 

私のデスクはパントリーへ続く通路にあったため、飲み物を取りに行くついでによく話しかけてくれる人達も多かった。

 

岡田兵吾氏も例にもれず、よく立ち寄ってくれたうちの1人だ。シンガポールに来たばかりだった彼に私と隣の席の日本人の同僚は一緒に質疑応答セッションのごとく楽しくアドバイスをしたのを思い出す。

 

シンガポールでどこに住むのが便利か、どこで買い物するのが良いのかなどと生活について話をしていたかと思うと、気が付けば憧れの人物について話はとんでいた。

 

岡田兵吾氏は落合信彦氏にかなり感銘を受けているようだった。私にとってはビールのCMに出ていたあの人というレベルの認識であったため、兵吾さんの口を通して何やらすごい人だというのを学んだ。

 

そして私も尊敬して止まない大前研一氏の名前もあがった。マレーシア、シンガポール両国の政府にコンサルティングを行った彼に畏敬の念しか湧かない。

 

さらに話はどんどん発展し、彼が信条とする「ハードボイルドとはなんぞや」という話も思い出す。漢たるもの、女子を追いかけ回してはいけないらしい。

 

あれから15年。あの頃を振り返ると本当に懐かしい。世間一般から見れば既に良い年をしていたはずなのだが、人一倍感情の振れ幅が激しかった私には、自分自身の人生をコントロールできている感触が持てず、消化不良な日々を送っていた印象が強い。

 

そんな私とは対照的に、岡田兵吾氏には徹底した一貫性が見られる。15年経った今日も、彼はあの頃と同じリーゼントで、変わらぬ情熱で落合信彦について熱く語っていたのだから。

 

恐らく私と出会う前の彼を知っている人も、同じことを言うに違いない。彼はいつも自分が信じていることについて多いに語り、行動につぐ行動で今までずっと走り続けている。

 

4年間オンライン上でエッセイを書き続け、満を持して初出版、既に重版も決まり目標を達成できたという彼は「続けるというのが大切なんですよ」と噛みしめるように口にした。その時、私は彼の魅力を垣間見た気がした。

 

既にもらっている読者からのフィードバックを元に次に何をするかも考えている彼は、命尽きるまでこの先もこうしてずっと走り続けていくのだろう。

 

さらに彼は私にも本を書くことを強く勧める。彼が私に一貫して励ましてくれている内容から「サバイバルコミュニケーション術 〜カッコつけずにベタに伝える英会話〜」というタイトルが浮かんだことをここに記したい。

 

シンガポールでは4月13日(土)、14日(日)の2日間は日本人会でイベント及び書籍販売も行われるらしい。13日(土)にはぜひとも駆け付けて彼の著書にサインを入れてもらおうと思う。

 

初出版を経てますます熱くなる岡田兵吾氏が、どんな熱い行動を繰り広げ、周りにどんな影響を巻き起こすのか。しばらく目が離せない。