「引き寄せの女王」と呼ばれて パート4

生前、坂口良子さんのファンだった私は、最近の一連の出来事を通じて密かに胸を痛めていた。「彼女は今頃、天国で泣いていらっしゃるのだろうか」と悲痛な気持ちになりお友達に思いの丈をぶつけていた。

 

そんなことを漠然と考えていたら、程なくして天国の母が夢の中にリアルに現れた。私の隣に座る母は私を見つめながら号泣していた。

 

なんのことはない、天国の母を泣かせているのは紛れもなく私だった。芸能ニュースにうつつを抜かしている暇などない。目の前の自分がやるべきことをきちんとやるようにという警告のようだった。

 

思い返えせば、私は母の望み通りに生きるよう努力をしてきたつもりだった。そのせいだろうか、私は試験運がやたら良かった。

 

受験をしたのは人生において2回。私学の小学校受験と大学受験だった。そしてどちらもありえない偶然のおかげで合格した。

 

美智子様に憧れた母は私を東京の聖心女子大学に入れたかったようだ。だから推薦でエスカレート式に入れるよう小学校を受験させた。

 

テストを終えて帰ってきた私に母は、どんな内容だったかを訊いた。そして合格を確信したようだ。

 

それは試験が「いやいやえん」という本から出題されたからだ。私は試験の半年も前から毎日のように「いやいやえん」を読んでいたので当時丸暗記していた。

 

でも私は、合格したのは聖心の創立者の聖マグダレナ・ソフィア・バラと同じ誕生日からではないかと密かに信じている。だから将来は教育に関わることをするのが使命なのかもとそれ以来ずっと思い続けているのだ。

 

高校生になると大学ぐらいはせめて共学に行っておかないと社会的にうまく立ち回れなくなるのではないかと焦りだした。

 

なにせ「英語で論破するのが夢」という志を持っていた私は自分がガールであることを忘れ「Boys, be ambitius」という言葉に胸の高鳴りを抑えられずにいた。

 

やはりサムライ・スピリットを発揮すべく、ここは潔く「推薦という選択肢は無くさなければならない」と強く誓った。

 

いずれにせよ、学校の成績より受験勉強を優先させ始めたので推薦は難しくなることを予測していた。そこで、母にも推薦ではなく受験にフォーカスすると伝えた。

 

せっかく小学校から小林聖心に行かせたのに、その意味が無くなってしまったことを母は大いに落胆した。それならばどうしても神戸女学院大学に入って欲しいと懇願された。

 

当時住んでいた場所から近かった神戸女学院大学はなかなか敷居が高かった。中学校から入学された方は東大や京大に進学される方も多い。しかも名前の通り女子校なのでいろんな意味でためらいがあった。

 

でも学校にある受験生のための部屋になぜか神戸女学院大学の願書が置いてあったので、これもご縁だと思って受けることにした。

 

地元に残りたい気持ちを優先させて近くの大学に合格した先輩に相談に乗ってもらったところ、過去に使っていた10冊近く参考書を全部譲って下さった。

 

英語、世界史、現代文など多岐にわたるが、そのうち古文の参考書がやけに目を引いたので、真剣に向き合った。と言っても、最初の1問は舐めるように解き、丸暗記するほどだったが後の10数問は全く手をつけずにほったらかしだった。

 

すると!なぜかこの古文の問題が試験に出たおかげで合格したのだ。これぞ引き寄せ、今、振り返っても全くもって不思議としか言いようがない。

 

私は生まれ持って幸運の星の元に生まれてきたのだろうか。正直、今までそうやって調子に乗っていたところも否定できない。でも今振り返るとやはり母の私への愛がそうさせたとしか思えないのだ。

 

私は母から本当に愛されていたと思う。母が生きていた頃はなかなか100%はそう思えなかった。自分が思いつく方法で親孝行はしてきたつもりではいたが、やり残したことの方が圧倒的に多い。

 

幸い、今、健康な私はまだできることがたくさんある。まだ遅くはない、今度こそ夢に満面の笑顔の母が出てくるよう、少しでも母が喜ぶような生き方をしたい。

 

「なぜ女性は愛するより愛される方が良いのか」という問いについて

昔から女性は愛するより愛される方が良いと言われる。そう言われてみるとなんとなくそんな気はする。

 

でも私は追いかける恋愛の方が良いとずーっと信じてきた。自分が好きな人を追いかけて振り向かれたい、そういう思いにとりつかれていた。

 

ただ最近、年を重ねたせいだろうか。いろんな面で考え方がずいぶん大きく変わってきた。180度ぐらい変わったこともあり、その内の一つが上述の件である。

 

それは自分が婚活を真剣に始めたことがきっかけだった。同じマインドセットでマンネリ化したパターンでうまくいかない場合、あえて真逆のアプローチをするのが良いと思えたからだ。

 

今まで「追いかける」ばかりだったのを「追いかけられる」ことも完全にシャットアウトするのではなく受け入れてみようと思った。

 

それをきっかけにこの真逆の両者を比較するようになった。

 

「あなたが追いかける、あなたが大好きな人」は恐らく「あなたを追いかけてくる、あなたを大好きな人」よりもあなたのことをいたって冷静に観察してくるのに気がつくだろう。

 

例えばバレンタインデーに手作りのチョコレートをあげるとする。「あなたが大好きな人」は「あぁ、あれ?犬にやった」と素っ気ないかもしれない。

 

でも「あなたを大好きな人」は「一ヶ月かけて食べたよ♡」と愛おしすぎることを言ってくれるだろう。

 

例えば胸の大きさについて。「私の胸そんなに大きくないし」と言ったとすると「あなたが大好きな人」は「いや、まあそうでもないんじゃない?」と無難な回答をするだろう。

 

でも「あなたを大好きな人」は「余裕でDかEはあるでしょ♡」とフォローしてくれる。昔から「あばたもえくぼ」とはよく言ったものだなぁと感心する。

 

「あなたが大好きな人」はあなたと一緒にいる時に、(顔のほくろをつなげるとオリオン座ができるし、腕にはさそり座まである)、なんて内心おもしろがっている可能性がある。

 

そんな時「あなたを大好きな人」は(全身から金粉出ていて眩しすぎ♡)と瞳にハートマークを浮かべてくれているに違いない。

 

これは5段階評価に例えると、3のあなたを「あなたが大好きな人」は1-2の評価をくれるに過ぎないのに対して「あなたを大好きな人」は4-5の評価をくれている感覚だ。

 

だから追いかけ続けるのは結構大変だ。1-2の過小評価されたところからのスタートだから、相当努力しないといけない。

 

しかもそんな努力をしている間に「あなたが大好きな人」の目の前には、特に努力もせずありのままでいながら、彼が4-5の評価を下す女性が現れて、大好きな彼をかっさらっていくかもしれないのだ。

 

昔から選択肢が2つ以上あったらツライ方を選ぶのが成長する唯一の方法だと思っていた。でも恋愛に関しては、もっとラクをしてもいいのかもしれないとつくづく思う。

 

今日も結婚している方々にインタビューをしたら、みんな口を揃えて「一緒にいるとラクだから」と言っていたのを思い出す。

 

ありのままでも美化されるようにお互いがステキに見えるから無理をしないのだろう。それが良縁を見極めるヒントなのかもしれない。

 

髪の毛を切ったら太ったと言われ伸ばすことにした

「あの芸能人に似てるよね〜!」と言われることがある。最近、一番良かったのは菅野美穂。その次に嬉しいのは羽田美智子、一番衝撃的だったのは今いくよくるよだった。

 

そういう意味で言うと髪の毛を切って、ますます今いくよくるよに近付いてきている感じがする。太ったと言われたけれど、実際には太っていないので早急に伸ばすことにした。

 

実はミャンマーで10日間の瞑想を終えて、内に秘めた「尼さんになりたい願望」に火がついた私は、耳の上を少しだけ刈り上げた。

 

「両方とも刈り上げたい!!」という願いは美容師さんの説得で片方だけとなり、もう片方は万が一のためにとってある。

 

一度刈り上げるともっと刈り上げたくなる。そして刈り上げ領域は増える一方だ。周りに、特に映像制作現場に気が付けばモヒカンスタイルをした人が多くいるのも納得がいく。

 

しかもよくよく見ると男性だけではなく、女性も刈り上げている。まさか刈り上げ人口がこんなに多かったとは。1999年からいるシンガポールで新たな発見があった。

 

話を元に戻そう。私は学生時代、キャンプリーダーという子供の世話をするボランティアスタッフをしていた。その時のキャンプネームはトーマスだった。

 

なぜ女性なのにトーマスなのか。それは高校生の時に塾の友達(男子)から「きかんしゃトーマスに似ているね」と言われたからだ。

 

「えっ?!」

 

(あの極めて顔色が悪くグレーな顔をして大きな目をギョロギョロと不気味に動かすアレに似ているってどういうこと?!)

 

まだうら若き乙女だった高校生の私はショックを隠しきれなかった。私の顔もさぞかしグレーだったに違いない。

 

そのお友達は続けて言った。

 

「あっ、あの実写版とかアニメのやつじゃなくて、手描きのイラスト風のかわいい方」

 

(うっ、なんのフォローにもなっていない。。。)

 

ちびまるこ並みにうろたえる私、これは人生で迎えた数少ない大ピンチだった。

 

ただ、私は基本関西人なので、気を取り直してネタにすることにした。それ以来、事あるごとにきかんしゃトーマスの顔マネをした。

 

当時、大阪市野外活動協会に出入りしていた私は、ある時セミナーに参加した。幼少の頃、テレビで毎日のように見かけた「お天気おじさん」と呼ばれたアナウンサーが講師だった。

 

憧れの職業、アナウンサーが目の前にいる。私は嬉しくなった。彼が冒頭から私たちにしたアドバイスはん10年経った今でも忘れられない。

 

彼は自己紹介をする時に必ず自分が赤線地区出身だと言うのだそうだ。優越感を感じてもらって相手の懐に入るのだという。さすが人気者は違う。

 

セミナーの最後に学んだことを活かして参加者は一人一人自己紹介をする時間をもらった。私は早速「きかんしゃトーマスに似ていると言われます」と緊張で震えながら顔マネをした。

 

その夜、アナウンサーのお天気おじさんは、自己紹介が一番うまかった生徒に私を選んでくれた。自分で自分を笑えるのが良かったらしい。

 

その小さな成功体験のおかげでシンガポールでも小さな男の子を見かける度に「きかんしゃトーマスに似てるでしょ」と顔マネを見せる。すると一旦爆笑する。

 

でもその後、笑いをこらえながらも一所懸命、首を横に振る。私に気を遣っているのだろう、物心ついた頃からすっかりジェントルマンなのだ。

 

まさか今、シンガポールでこんなことをしているなんて、当時の自分は全く予想もしていなかった。人生何が起きるかわからない。

心と体に効く瞑想 <第九回> 〜2ヶ月後の効果〜

ミャンマーで10日間の瞑想を終えて早2ヶ月。たった今、宝くじで3億円当たったら、上司、同僚、クライアントの許可を得て、真っ先に瞑想センターに向かいたい。

 

今度は他の尼さん達に敬意を表する意味も込め、かつ髪の毛を洗う手間を省く意味も込めて、丸刈りにして最低でも3ヶ月はこもりたい。

 

「宝くじで3億円当たったら」というのと、精神世界を追求する「頭を丸刈りにして瞑想センターに3ヶ月こもる」というのは一見、全く矛盾している。

 

厳密にいうと、私自身が何もしなくても数年間くらい生きていける余裕と、家族に対して思う存分、恩返しできると思えるくらいの金額を少し上回る金額であれば良くて、そういう意味では3億円は多過ぎる。

 

けれども、その多過ぎるお金を手に入れたとしても、真っ先にしたいことが、今の私の場合「頭を丸刈りにして瞑想センターに3ヶ月こもる」ことだと表現したかった。

 

「10日間の瞑想って聞くと、長く感じるけれど実際には行ってみると足りないって思うよ」と言われた。その言葉が今でも胸にしみる。今、振り返ると全然足りていない。

 

もっと瞑想したい。実際に時が経つにつれてその想いは日に日に強くなる。10日間の瞑想を終えた私は強くなったのだろうか。結論から言うと、瞑想に行く前の私と比べるといろんな意味で強くなったと思う。

 

ぜんそく持ちの友人が病院に担ぎ込まれた時に「あと5分、遅かったら危なかった」と言われて数日間、入院した。その後、通いで2週間瞑想して、人生観が変わったそうだ。

 

「自分が今まで気にしていたことがどうでも良くなった、死ぬ時には何も持っていけないしね。」以前にも増して目を輝かせながらまぶしい笑顔でそういった。

 

人は裸で生まれ、最低限のものを身に付け死んでいく。最後はそれすら燃やされてしまうから「あの世」と言われているところにも持ち帰れない。

 

そんなこともあって、瞑想を終えてから今日まで、気持ちの中で宙ぶらりんになっていたことに1つずつ向き合った。行きたい場所に行き、会いたい人に会った。

 

瞑想の効果を一言で言うと「他者からどう思われるか」という「外からのノイズ」より、「自分がどう思うか」という「内側から湧き出る泉のような声」に率直に反応できるようになった。

 

毎日、ちょっとずつ自分に負荷をかけながら最大化をはかるので、1日に何度も「死にそう」と弱音を吐きたくなることもある。

 

それとほぼ同じ瞬間に「意外と生きていける」と思う。1日の中で既に何度も輪廻転生しているのだから、生まれ変わるのは今世で最後にしたい。

 

いつ死んでもいいように生きる。これも矛盾して聞こえるが、一番大切なことだと思う。

エイプリルフールに10才以上年下の男性との恋愛について書く

こないだから小説みたいにブログを書くのが楽しくなってきた。

 

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「明日、土曜日だし、同い年の女子とふたりでゴハンに行ってくる。」

 

(えっ、何それ?!)

 

「なんか興ざめした。」

 

そんなひとことを最後にラインをブロックした。一方的な別れだった。

 

ただ「別れ」と言ってもそもそも付き合っていたかどうかもわからない。

 

彼は10才以上も年が離れているのだからそう思っても仕方がない。

 

デートしたのも一回きり、その後はずっと電話やメールでのやりとりしかしていなかったからだ。

 

(何回も本気って言っていたのはやっぱりウソだったんだなぁ。まあこれだけ年が離れていたらしょうがないか。)

 

突然始まって突然終わった呆気ない半年間だった。一方でドラマを観るように客観視している自分は妙に納得している。

 

それから仕事に追われてあっという間に半年が経った。

 

もうそんなできごとがあったことすらすっかり忘れそうになっていた頃、彼からメールがあった。久し振りに話がしたいらしい。

 

何度かメールでやりとりをするうちに、また電話で話をしても良いかなという気になった。

 

半年ぶりに聞こえた声は懐かしかった。

 

「最近、お誕生日だったよね、おめでとう。」

 

「ありがとう、29になったよ。」

 

「えっ?まだ20代だったっけ。」

 

30代だとばかり思っていたらまだ20代だったと知り驚いた。

 

「で、なんで突然、連絡取れなくなったの?」

 

「だって同じ年の女子とふたりでご飯食べに行くとか言ってたから。」

 

「でもその後に、いとこの結婚式って書いたよね?」

 

「えっ?!」

 

「いろいろメッセージ送ったのに全然返事無いからさ。」

 

「なに、あれ、冗談だったの?!」

 

「うん、そうだよ。」

 

「えぇぇぇぇぇ?!」

 

「ひょっとしてイマドキの若者にありがちなブロックとかした?」

 

「う、うん、した。。。」

 

「そうなんだ、メッセージしても全然返事無いからどうしたのかなと思ってた。」

 

「え〜っ、そうだったんだぁ。。。」

 

(まさか冗談を本気にしていたなんて)とあっけにとられ我ながらあきれ果てた。

 

しかも彼はまだ20代。その時を境に彼が急に頼もしく思えた。

 

「へぇ〜、じゃあ悪かったのは私だね。まさかこんなに短気だったなんて自分でも恥ずかしいわぁ(笑)、人間としての未熟さを認めて謝るね。」

 

「おかしいなぁと思ってたんだよね〜、でも今、誤解が解けて良かったよ。」

 

「あはははは、あきれてるでしょ〜。」

 

「いや、そういう紛らわしい冗談を言ったのは俺の方だから。」

 

その時しみじみ思った。人間的未熟さというのは年を重ねていけば自然と解消されるわけではないということを。

 

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最近特に、若くても努力を重ねた結果、立派に人間的成長を遂げている人もいるんだなぁと心から感心する機会に恵まれる。

 

魂を成長させるため、仏は人を色で導くのだという。男女の恋愛を通してしか学べないこともたくさんある気がした。

 

もしも彼女がタトゥーを入れていたら

海外にいるとファッションでタトゥーを入れている人をよく見かける。外に出れば目に飛び込んでこない日は無いくらいだ。

 

正直なところ最初はこわかったけれど、あまりにもよく見かけるので目が慣れてしまった。

 

さりげなくチェックすると小さめの文字だったり大きめなイラストだったり個性が光る。

 

外国人の友人に「僕の名前を日本語で書いて」と頼まれたのでカタカナで書いた。タトゥーにしたいのだそうだ。

 

(本当に入れるのかなぁ)と半信半疑の私をよそに、再会すると「こないだのあれ」と満面の笑みで腕にしっかりと刻まれたタトゥーを見せてくれた。

 

日本が大好きなアジア人の間で、日本語や日本にまつわるアイテムをタトゥーにするのが人気らしい。

 

日本での旅行を終えて戻ってきたばかりの外国人のお友達が「見て見て、日本でサムライのタトゥーを入れてきたよ」と誇らしげに見せてくれたこともある。

 

あまりにもタトゥーをよく見かけるので日本人のお友達に冗談で「私だったら何を入れるかなぁ」と空想気味に言うと「ゼッタイにやめた方が良い」と真剣にとめられた。

 

海外にいるとつい日本の常識を忘れがちだ。確かに日本ではまだまだタブー視されている風潮があるらしい。

 

タトゥーを入れた外国人が日本の銭湯に入ったら日本人のお客さんが即座に消えてしまったので不思議に思ったそうだ。

 

もし大好きな彼女がタトゥーを入れているのを知ってしまった彼はどうするのだろう。身近な人には相談しづらい気がする。

 

悩んだ挙句、彼は、ヤフー知恵袋や2ちゃんねるに悩みを打ち明けるかもしれない。

 

早速、検索してみるとそういうスレッドがたくさん立っている。やはり共通の悩みのようだ。

 

ファッションが目的でタトゥーを入れている人達は他人にどう思われようが「自分が好きだから」というスタンスで入れているのだろう。

 

好きになった人がタトゥーを入れていたとしたら。好きな人の「好きというもの」はなるべく受け入れたいだろうし、その努力もしたい。

 

ただ結婚を考えた時に躊躇してしまうのは、やはり社会的にどう思われるかを考えてしまうからだろう。

 

そのせいだろうか。そんなことを考えると余計に「もしも彼女がタトゥーを入れていたらどうなるか」を考えてしまった。

 

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「えっと、隠しててごめんね、実は私、背中にタトゥー入れてるの。」

 

付き合ってしばらくしてから彼女が秘密を打ち明けた。

 

「えっ?!」

 

信じられない気持ちだった。まさか彼女がタトゥーを入れているなんて。

 

「見たい?」

 

「うっ、うん。。。」

 

二人っきりになると彼女は意を決したように上着をめくり上げた。

 

少し暗い部屋の中で初めて見る背中。緊張して目のやり場に困る。それでも瞬時にカラフルな色に惹きつけれた。

 

背中にはクジャクが描かれていた。首元から腰にかけて優雅に佇み、その周りにはお花などが取り囲んでいる。

 

「うわぁ、スゴイ」

 

本格的なしかも結構な大きさのサイズのタトゥーを見るのは生まれて初めてだ。

 

タトゥーには独特な魅力がある。普通の絵と違って体の温もりと脈を打つ血管が絵に命を与える。クジャクは今にも浮き出してきそうなほど神秘的に見える。

 

初めて見る背中とタトゥー。大好きな彼女が一層魅惑的に見えた。それと同時に感動と同じくらいのショックも感じていた。

 

彼女とは結婚するつもりでお付き合いを始めた。後ろ姿を見ると、背中が開いているウェディングドレスをきれいに着こなしているイメージも湧く。

 

1人になると深いため息が出た。気を紛らわせる気持ちでネットを検索すると、自分と同じような悩みを抱えている人が結構いることがわかった。

 

「胸元に小さなタトゥー」とか、そんな悩みがむしろうらやましい。たくさんの人がいろんなことを書き込んでいる。

 

そこには予め自分の頭の中で想定しうる答えが満載だったが、読めば読むほど感化されてくる。

 

(やっぱり別れた方が良いかな。。。)

 

日に日に弱気になってきた。彼女に対しては結構本気だったし、今も気持ちに変わりは無い。

 

友達に言えたら気がラクになるのに。でもこんな悩み、言えるわけがない。

 

スマホが鳴る。彼女からのメッセージだった。普段通りで相変わらず読むだけで気持ちが明るくなる。

 

考えて解決することでも無いのであまり深く考えずまた会うことにした。

 

いつもの待ち合わせ場所で彼女を見つけた。

 

後ろめたい気持ちで彼女を見ると首から肩が大きく開いているトップスを着ている。

 

(あんな服を着ていたらタトゥーを見られるかもしれないのに。。。)

 

屈託なく笑う本人以上に心配していると、気持ちを察したかのように彼女は言った。

 

「こないだはタトゥーにびっくりした?」

 

「うん、結構驚いた。でもキレイだよね」

 

ふさぎこんだ気持ちを隠すようにつくったような言葉が出てしまう。彼女は反応を伺うように顔を覗き込んだ。

 

すると突然、彼女は笑いだした。

 

「あれね、もう消えちゃったよ。ほら。」

 

「えっ?!」

 

恐るおそる背中に目をやって驚いた。あるべきはずのタトゥーが無い。

 

唖然としながらもホッとした。

 

「なんか『ギャップ萌え』とか好きそうだったから。」

 

「はっ?!」

 

キョトンとしていると

 

「タトゥーって言ったけど消えないとは言ってないからね、本気にするしめっちゃウケたわ。」

 

とお腹を抱えてずっと笑っている。

 

(そうか、だまされたのか。。。)

 

肩の力がドッと抜ける。怒るのも呆れるのも通り越してお腹が空いた。

 

「じゃあさ、だまされてやったからおごって。」

 

「なんで〜、意味わかんない〜。」

 

その日はずっとふたりで訳も無く笑い続けた。

 

おしまい

 

「桜坂」を聴いていたら福山雅治氏にばったり遭遇した件について

桜が美しくなるこの季節になるとどうしても福山雅治氏の「桜坂」が聴きたくなる。

 

学生時代、テレビドラマや音楽番組、雑誌、彼を見かけない日は無かった。同級生も彼の大ファンだった。

 

母は弟と福山雅治氏が似ていると言い出した。ただ彼女は若いフランス人女性のモデルを見ては「ママに似てるわね」と言うクセがあったので真偽のほどは定かでない。

 

とはいえ私は大ファンの友達に遠慮したのと、弟に似ている人を好きになってはいけないという想いから歌だけを好きになるにとどめた。

 

日本で短いOL時代を過ごした時も彼のことはしょっちゅう話題になったし、シンガポールからも活躍ぶりを見守っていた。

 

日本に3年帰っていた時には、日本人のエチケットとして衛生放送で再放送された坂本龍馬を録画して全部観た。

 

震災後、彼が中学生向けに体育館でコンサートをした時の映像も録画して何度も観て感動した。

 

父が運転する車の中で流れてくる彼のラジオを聴いて(本当におもしろいわ、この人)とますますファンになった。

 

春になると「桜坂」が脳内でヘビーローテーションになる。

 

ある時、友達と東京でお花見をすることにした。駅に降り立つと美しい桜が咲き誇っていた。

 

もうそれだけで感動していたら、よくできた女子友はお弁当を買って、近くの大学の構内で食べようと提案してくれた。

 

その流れで構内に入ると何かちょっといつもと違う不思議な空気が流れていた。

 

部活動に打ち込んでいる学生さん達。その横でどう見ても出待ちをしている雰囲気を醸し出している私世代の女性達。

 

「誰か待っているんですか」と訊くと福山雅治氏を待っているのだという。

 

よく周りを見渡すとそこではドラマのロケが行われていたのだ。彼女が指差す方向を見ると何台かバンが並んでいた。

 

忍び足でできる限り近づくとなんと!タイミング良く福山雅治氏が現れたので、思わず「ギャー」と叫んだ。

 

一瞬、こちらに目をやったような目があったような気がしていると警備員に注意された。

 

まさかのホンモノを前にヒザがヨタヨタと生まれたばかりの子鹿のような動きをした。

 

眩しいオーラに圧倒されながら見ていると、なんと!柴咲コウ氏までが現れたのだ。

 

桜吹雪が舞う中、まるで王子様とお姫様のように美しいおふたりを目の当たりにして別次元に連れていかれたような気分になった。

 

やっぱり「見る、聴く、感じる、思う」の積み重ねで引き寄せが起きるんだなぁと実感したできごととなった。

 

全部が桜色になるこの季節に夢がどんどん叶いますように🌸