心と体に効く瞑想 <第九回> 〜2ヶ月後の効果〜

ミャンマーで10日間の瞑想を終えて早2ヶ月。たった今、宝くじで3億円当たったら、上司、同僚、クライアントの許可を得て、真っ先に瞑想センターに向かいたい。

 

今度は他の尼さん達に敬意を表する意味も込め、かつ髪の毛を洗う手間を省く意味も込めて、丸刈りにして最低でも3ヶ月はこもりたい。

 

「宝くじで3億円当たったら」というのと、精神世界を追求する「頭を丸刈りにして瞑想センターに3ヶ月こもる」というのは一見、全く矛盾している。

 

厳密にいうと、私自身が何もしなくても数年間くらい生きていける余裕と、家族に対して思う存分、恩返しできると思えるくらいの金額を少し上回る金額であれば良くて、そういう意味では3億円は多過ぎる。

 

けれども、その多過ぎるお金を手に入れたとしても、真っ先にしたいことが、今の私の場合「頭を丸刈りにして瞑想センターに3ヶ月こもる」ことだと表現したかった。

 

「10日間の瞑想って聞くと、長く感じるけれど実際には行ってみると足りないって思うよ」と言われた。その言葉が今でも胸にしみる。今、振り返ると全然足りていない。

 

もっと瞑想したい。実際に時が経つにつれてその想いは日に日に強くなる。10日間の瞑想を終えた私は強くなったのだろうか。結論から言うと、瞑想に行く前の私と比べるといろんな意味で強くなったと思う。

 

ぜんそく持ちの友人が病院に担ぎ込まれた時に「あと5分、遅かったら危なかった」と言われて数日間、入院した。その後、通いで2週間瞑想して、人生観が変わったそうだ。

 

「自分が今まで気にしていたことがどうでも良くなった、死ぬ時には何も持っていけないしね。」以前にも増して目を輝かせながらまぶしい笑顔でそういった。

 

人は裸で生まれ、最低限のものを身に付け死んでいく。最後はそれすら燃やされてしまうから「あの世」と言われているところにも持ち帰れない。

 

そんなこともあって、瞑想を終えてから今日まで、気持ちの中で宙ぶらりんになっていたことに1つずつ向き合った。行きたい場所に行き、会いたい人に会った。

 

瞑想の効果を一言で言うと「他者からどう思われるか」という「外からのノイズ」より、「自分がどう思うか」という「内側から湧き出る泉のような声」に率直に反応できるようになった。

 

毎日、ちょっとずつ自分に負荷をかけながら最大化をはかるので、1日に何度も「死にそう」と弱音を吐きたくなることもある。

 

それとほぼ同じ瞬間に「意外と生きていける」と思う。1日の中で既に何度も輪廻転生しているのだから、生まれ変わるのは今世で最後にしたい。

 

いつ死んでもいいように生きる。これも矛盾して聞こえるが、一番大切なことだと思う。

エイプリルフールに10才以上年下の男性との恋愛について書く

こないだから小説みたいにブログを書くのが楽しくなってきた。

 

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「明日、土曜日だし、同い年の女子とふたりでゴハンに行ってくる。」

 

(えっ、何それ?!)

 

「なんか興ざめした。」

 

そんなひとことを最後にラインをブロックした。一方的な別れだった。

 

ただ「別れ」と言ってもそもそも付き合っていたかどうかもわからない。

 

彼は10才以上も年が離れているのだからそう思っても仕方がない。

 

デートしたのも一回きり、その後はずっと電話やメールでのやりとりしかしていなかったからだ。

 

(何回も本気って言っていたのはやっぱりウソだったんだなぁ。まあこれだけ年が離れていたらしょうがないか。)

 

突然始まって突然終わった呆気ない半年間だった。一方でドラマを観るように客観視している自分は妙に納得している。

 

それから仕事に追われてあっという間に半年が経った。

 

もうそんなできごとがあったことすらすっかり忘れそうになっていた頃、彼からメールがあった。久し振りに話がしたいらしい。

 

何度かメールでやりとりをするうちに、また電話で話をしても良いかなという気になった。

 

半年ぶりに聞こえた声は懐かしかった。

 

「最近、お誕生日だったよね、おめでとう。」

 

「ありがとう、29になったよ。」

 

「えっ?まだ20代だったっけ。」

 

30代だとばかり思っていたらまだ20代だったと知り驚いた。

 

「で、なんで突然、連絡取れなくなったの?」

 

「だって同じ年の女子とふたりでご飯食べに行くとか言ってたから。」

 

「でもその後に、いとこの結婚式って書いたよね?」

 

「えっ?!」

 

「いろいろメッセージ送ったのに全然返事無いからさ。」

 

「なに、あれ、冗談だったの?!」

 

「うん、そうだよ。」

 

「えぇぇぇぇぇ?!」

 

「ひょっとしてイマドキの若者にありがちなブロックとかした?」

 

「う、うん、した。。。」

 

「そうなんだ、メッセージしても全然返事無いからどうしたのかなと思ってた。」

 

「え〜っ、そうだったんだぁ。。。」

 

(まさか冗談を本気にしていたなんて)とあっけにとられ我ながらあきれ果てた。

 

しかも彼はまだ20代。その時を境に彼が急に頼もしく思えた。

 

「へぇ〜、じゃあ悪かったのは私だね。まさかこんなに短気だったなんて自分でも恥ずかしいわぁ(笑)、人間としての未熟さを認めて謝るね。」

 

「おかしいなぁと思ってたんだよね〜、でも今、誤解が解けて良かったよ。」

 

「あはははは、あきれてるでしょ〜。」

 

「いや、そういう紛らわしい冗談を言ったのは俺の方だから。」

 

その時しみじみ思った。人間的未熟さというのは年を重ねていけば自然と解消されるわけではないということを。

 

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最近特に、若くても努力を重ねた結果、立派に人間的成長を遂げている人もいるんだなぁと心から感心する機会に恵まれる。

 

魂を成長させるため、仏は人を色で導くのだという。男女の恋愛を通してしか学べないこともたくさんある気がした。

 

もしも彼女がタトゥーを入れていたら

海外にいるとファッションでタトゥーを入れている人をよく見かける。外に出れば目に飛び込んでこない日は無いくらいだ。

 

正直なところ最初はこわかったけれど、あまりにもよく見かけるので目が慣れてしまった。

 

さりげなくチェックすると小さめの文字だったり大きめなイラストだったり個性が光る。

 

外国人の友人に「僕の名前を日本語で書いて」と頼まれたのでカタカナで書いた。タトゥーにしたいのだそうだ。

 

(本当に入れるのかなぁ)と半信半疑の私をよそに、再会すると「こないだのあれ」と満面の笑みで腕にしっかりと刻まれたタトゥーを見せてくれた。

 

日本が大好きなアジア人の間で、日本語や日本にまつわるアイテムをタトゥーにするのが人気らしい。

 

日本での旅行を終えて戻ってきたばかりの外国人のお友達が「見て見て、日本でサムライのタトゥーを入れてきたよ」と誇らしげに見せてくれたこともある。

 

あまりにもタトゥーをよく見かけるので日本人のお友達に冗談で「私だったら何を入れるかなぁ」と空想気味に言うと「ゼッタイにやめた方が良い」と真剣にとめられた。

 

海外にいるとつい日本の常識を忘れがちだ。確かに日本ではまだまだタブー視されている風潮があるらしい。

 

タトゥーを入れた外国人が日本の銭湯に入ったら日本人のお客さんが即座に消えてしまったので不思議に思ったそうだ。

 

もし大好きな彼女がタトゥーを入れているのを知ってしまった彼はどうするのだろう。身近な人には相談しづらい気がする。

 

悩んだ挙句、彼は、ヤフー知恵袋や2ちゃんねるに悩みを打ち明けるかもしれない。

 

早速、検索してみるとそういうスレッドがたくさん立っている。やはり共通の悩みのようだ。

 

ファッションが目的でタトゥーを入れている人達は他人にどう思われようが「自分が好きだから」というスタンスで入れているのだろう。

 

好きになった人がタトゥーを入れていたとしたら。好きな人の「好きというもの」はなるべく受け入れたいだろうし、その努力もしたい。

 

ただ結婚を考えた時に躊躇してしまうのは、やはり社会的にどう思われるかを考えてしまうからだろう。

 

そのせいだろうか。そんなことを考えると余計に「もしも彼女がタトゥーを入れていたらどうなるか」を考えてしまった。

 

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「えっと、隠しててごめんね、実は私、背中にタトゥー入れてるの。」

 

付き合ってしばらくしてから彼女が秘密を打ち明けた。

 

「えっ?!」

 

信じられない気持ちだった。まさか彼女がタトゥーを入れているなんて。

 

「見たい?」

 

「うっ、うん。。。」

 

二人っきりになると彼女は意を決したように上着をめくり上げた。

 

少し暗い部屋の中で初めて見る背中。緊張して目のやり場に困る。それでも瞬時にカラフルな色に惹きつけれた。

 

背中にはクジャクが描かれていた。首元から腰にかけて優雅に佇み、その周りにはお花などが取り囲んでいる。

 

「うわぁ、スゴイ」

 

本格的なしかも結構な大きさのサイズのタトゥーを見るのは生まれて初めてだ。

 

タトゥーには独特な魅力がある。普通の絵と違って体の温もりと脈を打つ血管が絵に命を与える。クジャクは今にも浮き出してきそうなほど神秘的に見える。

 

初めて見る背中とタトゥー。大好きな彼女が一層魅惑的に見えた。それと同時に感動と同じくらいのショックも感じていた。

 

彼女とは結婚するつもりでお付き合いを始めた。後ろ姿を見ると、背中が開いているウェディングドレスをきれいに着こなしているイメージも湧く。

 

1人になると深いため息が出た。気を紛らわせる気持ちでネットを検索すると、自分と同じような悩みを抱えている人が結構いることがわかった。

 

「胸元に小さなタトゥー」とか、そんな悩みがむしろうらやましい。たくさんの人がいろんなことを書き込んでいる。

 

そこには予め自分の頭の中で想定しうる答えが満載だったが、読めば読むほど感化されてくる。

 

(やっぱり別れた方が良いかな。。。)

 

日に日に弱気になってきた。彼女に対しては結構本気だったし、今も気持ちに変わりは無い。

 

友達に言えたら気がラクになるのに。でもこんな悩み、言えるわけがない。

 

スマホが鳴る。彼女からのメッセージだった。普段通りで相変わらず読むだけで気持ちが明るくなる。

 

考えて解決することでも無いのであまり深く考えずまた会うことにした。

 

いつもの待ち合わせ場所で彼女を見つけた。

 

後ろめたい気持ちで彼女を見ると首から肩が大きく開いているトップスを着ている。

 

(あんな服を着ていたらタトゥーを見られるかもしれないのに。。。)

 

屈託なく笑う本人以上に心配していると、気持ちを察したかのように彼女は言った。

 

「こないだはタトゥーにびっくりした?」

 

「うん、結構驚いた。でもキレイだよね」

 

ふさぎこんだ気持ちを隠すようにつくったような言葉が出てしまう。彼女は反応を伺うように顔を覗き込んだ。

 

すると突然、彼女は笑いだした。

 

「あれね、もう消えちゃったよ。ほら。」

 

「えっ?!」

 

恐るおそる背中に目をやって驚いた。あるべきはずのタトゥーが無い。

 

唖然としながらもホッとした。

 

「なんか『ギャップ萌え』とか好きそうだったから。」

 

「はっ?!」

 

キョトンとしていると

 

「タトゥーって言ったけど消えないとは言ってないからね、本気にするしめっちゃウケたわ。」

 

とお腹を抱えてずっと笑っている。

 

(そうか、だまされたのか。。。)

 

肩の力がドッと抜ける。怒るのも呆れるのも通り越してお腹が空いた。

 

「じゃあさ、だまされてやったからおごって。」

 

「なんで〜、意味わかんない〜。」

 

その日はずっとふたりで訳も無く笑い続けた。

 

おしまい

 

「桜坂」を聴いていたら福山雅治氏にばったり遭遇した件について

桜が美しくなるこの季節になるとどうしても福山雅治氏の「桜坂」が聴きたくなる。

 

学生時代、テレビドラマや音楽番組、雑誌、彼を見かけない日は無かった。同級生も彼の大ファンだった。

 

母は弟と福山雅治氏が似ていると言い出した。ただ彼女は若いフランス人女性のモデルを見ては「ママに似てるわね」と言うクセがあったので真偽のほどは定かでない。

 

とはいえ私は大ファンの友達に遠慮したのと、弟に似ている人を好きになってはいけないという想いから歌だけを好きになるにとどめた。

 

日本で短いOL時代を過ごした時も彼のことはしょっちゅう話題になったし、シンガポールからも活躍ぶりを見守っていた。

 

日本に3年帰っていた時には、日本人のエチケットとして衛生放送で再放送された坂本龍馬を録画して全部観た。

 

震災後、彼が中学生向けに体育館でコンサートをした時の映像も録画して何度も観て感動した。

 

父が運転する車の中で流れてくる彼のラジオを聴いて(本当におもしろいわ、この人)とますますファンになった。

 

春になると「桜坂」が脳内でヘビーローテーションになる。

 

ある時、友達と東京でお花見をすることにした。駅に降り立つと美しい桜が咲き誇っていた。

 

もうそれだけで感動していたら、よくできた女子友はお弁当を買って、近くの大学の構内で食べようと提案してくれた。

 

その流れで構内に入ると何かちょっといつもと違う不思議な空気が流れていた。

 

部活動に打ち込んでいる学生さん達。その横でどう見ても出待ちをしている雰囲気を醸し出している私世代の女性達。

 

「誰か待っているんですか」と訊くと福山雅治氏を待っているのだという。

 

よく周りを見渡すとそこではドラマのロケが行われていたのだ。彼女が指差す方向を見ると何台かバンが並んでいた。

 

忍び足でできる限り近づくとなんと!タイミング良く福山雅治氏が現れたので、思わず「ギャー」と叫んだ。

 

一瞬、こちらに目をやったような目があったような気がしていると警備員に注意された。

 

まさかのホンモノを前にヒザがヨタヨタと生まれたばかりの子鹿のような動きをした。

 

眩しいオーラに圧倒されながら見ていると、なんと!柴咲コウ氏までが現れたのだ。

 

桜吹雪が舞う中、まるで王子様とお姫様のように美しいおふたりを目の当たりにして別次元に連れていかれたような気分になった。

 

やっぱり「見る、聴く、感じる、思う」の積み重ねで引き寄せが起きるんだなぁと実感したできごととなった。

 

全部が桜色になるこの季節に夢がどんどん叶いますように🌸

「結婚する意味ってあるんでしょうか」という問いについて

結婚について書くと反響があるので引き続きもっと書こうとモチベーションがあがっている。

 

婚活を本格的に始めた途端、その過程において自分と向き合うことが多くなっため、たくさんの発見がある。

 

最近は婚活そのもの及びそれにまつわる談義が一段と楽しくなってきてしまったことにより、結婚がさらに先延ばしになる懸念まで出てきた。

 

毎日、婚活のことを考えていると理想的なダンナ様像がより明確になってくる。そんな理想の家庭的なパパに思い切って冒頭の「結婚する意味ってあるんでしょうか」という質問を投げかけてみた。

 

すると「結婚にはメリットとデメリットがあるけどした方が良いですよ」とポジティブな回答を得た。

 

直球だったので「あのぅ〜、デメリットはもう既にいっぱいわかっているので、メリットだけ教えてもらっていいですか?」と正直にお願いした。

 

そんなわがまますら爽やかに受けとめた上で、短い時間に端的に答えを頂けたので、以下にまとめる。

 

(1)経済的安定
結婚して何が良かったかというと、やはり万が一自分が働けなくなってもパートナーが働いてくれているという安心感がある、ということだった。そしてその結果、心に余裕ができるらしい。

 

私も一生手足を動かしてお仕事をしたいし、お金を殖やし続けたいのでその感覚は理解できる。気持ちにゆとりがあればあるほど仕事のパフォーマンスも良くなるからだ。

 

(2)社会的ステータスが変わる
ステータスが「上がる」わけではなく「変わる」のだそうだ。つまりそれは「なんでその年にもなって結婚していないの?」と言われなくなるということを指すとのことだった。

 

確かにそれは想像しただけでも精神衛生上、凄まじく状況が良くなることは想像に難くない。

 

(3)法律で保護されている
結婚すると配偶者手当など法律で定められた金銭面などの待遇を受けられる。

 

結婚した途端、独身では得られない恩恵を受け入れられるようになる。想像するとそれはバトンを受け取るような感覚で、受け取ったら次の人に渡そうという気持ちが浮かんでくる気がした。

 

(4) 無条件の愛
「何があっても支えてくれる人がいる」というのは何物にもかえがたい幸せなのだそうだ。それは「常に自分のことを思ってくれている人がいる」という心の支えになるらしい。

 

当然、意見が違ったら、お互いに折り合いをつけなければいけないので、どちらかの意見を優先することになるけれど、それもきちんと話し合って決める。

 

確かに家族、最近では特に愛おしすぎる甥っ子と姪っ子は無条件にかわいいし何でもしてあげたい。自分の子供だったらなおさらで、毎分毎秒一緒に泣いて一緒に笑ってしまうかもしれない。

 

(5) ロジックではない
「卵子の数を数えていつまで妊娠できるかを確認したいんですけどどう思いますか?可能性がありそうだったら期限を決めたら良いし、ダメだったらダメであきらめもつくかなぁと思って」と聴いてみた。

 

すると「妊娠っていろいろな条件が重なってできるもので奇跡みたいなことが起きて授かるものだから、まずはお相手を見つけてそれから試験を受ける方が良いと思いますよ」と言われた。

 

どうやら私がしようとしていたことはロジカルなアプローチらしく、結婚したらそもそも「これはイヤだからイヤ」という2歳児の感覚みたいなものが正しいことが往々にしてあるのだそうだ。


論理より直感が優先される世界。そう言われるとちょっと気持ちがラクになる。「理由なんか無くてもいい」、それこそが前述の「無条件の愛」らしい。

 

(う〜ん、結婚して子供を持つとこんなにも人間が大きくなれるのかぁ)と思うとぜひ結婚してみたくなった。

 

結婚したら毎日、いろいろと大変だからこそ、心もこんなに磨かれていくのだろう。世の中のお父さんとお母さんに心からの敬意を表する。

「なぜ結婚できないのでしょうか」という問いについて

以前「『なぜ結婚しないんですか』という問いについて」というブログを書いたらオンラインでもオフラインでも様々な反響があった。

 

それ以来、定期的に「結婚願望のある独身」が集まると、そこに幹事として私達を暖かく見守って下さる既婚者で家庭人の人生の先輩からもアドバイスを頂くようになった。

 

出会う度に「結婚は素晴らしいですよ」とか「独身でいるのはもったい無い」とリマインドして頂けることは本当にありがた過ぎる。

 

加えて相変わらず自分のことは棚に上げていろいろな方の相談に乗って勝手にアドバイスをする機会にも恵まれたため、いくつかアイデアがまとまったので繰り返しになる部分もあるが、重要なポイントをここに記したい。

 

(1) 「結婚相手と一緒にいる自分」をイメージする
脳の中にすら思い浮かばなかったことは何一つ実現しないそうだ。だからまず最初に「自分に伴侶がいること」を想像するのが第一のステップとなる。

 

日々、既に起きていることの延長である仕事などはたやすくイメージできても、まだ見ぬ自分の結婚、出産、子育てに関しては単純にイメージがわかないということも多い。

 

だから既に結婚している人の日常に目を向けて「結婚相手と過ごす」というのを少しずつ想像してみるところから始めてみるのが良さそうだ。

 

そういうご家族と触れ合うお時間も無い場合、フェイスブックでお子さんがいらっしゃる方の投稿を熟読し、いつか自分もそんな風に投稿しているシーンを妄想することをオススメする。

 

(2)「結婚とは何か」を考える
「結婚って賭けだから。結婚してから相手の良いところも悪いところも見えてくる。」とは人生の先輩からの名言である。

 

付き合いが長くなるにつれて幻滅し、減点法で相手を見てしまうのかと思いきや、長年夫婦生活を送られる方から「良いところが見えてくる」と言われて(なかなか新鮮な発見だなぁ)と私は感激した。

 

だから「すごく好きになり過ぎた人と結婚しない方がうまくいく」というのも何となく納得できる気がした。「結婚しながらもっと好きになる」のがより理想的なのはそのせいかもしれない。

 

(3) 結婚をポジティブにとらえる
「結婚」を考えた時に参照するのは自分と親や兄弟姉妹との関係性かもしれない。子どもだった私達は保護者の言うことを聞かなければ生きていけない環境にあった。

 

そして当然ながら兄弟姉妹とその親の愛情をいかに自分の方向に少しでも向けてもらえるかを意識的にも無意識的にも競ってきたし、その中でライバル心もあっただろう。

 

もし親や兄弟姉妹に対して、今でも心のどこかに少しでもネガティヴな感情が残っているとしたら許し、手放すことは緊急課題である。

 

具体的には特にホ・オポノポノが良い。「愛しています、ごめんなさい、許します、ありがとう」をひたすら繰り返すのだ。できればそれぞれ100回唱えるのがいい。

 

このホ・オポノポノ、何が素晴らしいかというと、実際にそう思っていなかったとしても繰り返しいえば効き目があるという点だ。

 

だから(そんなこと頭でわかっていてもウザいものはウザいねん)という人にも向いている。とりあえず言霊パワーを借りて浄化をしたら次に進めるというのはすばらしいのだ。

 

3つも書くともうお腹がいっぱいになった気になるので続きはまたの機会にしたい。さらに現時点でここまでは私も充分できていると書きながら納得した。

 

ではなぜまだ独身なのか。振り返れば「結婚していない」イコール「人間として何かが欠けている感」をず〜っと持ち続けていたところがあって、ひょっとしたらそれを引き寄せていたのかもしれない。

 

そういう意味でいうと最近の私はやっと自分に対してひとりでいても「安心感」を持てるようになった気がしている。

 

この「安心感」はどこから来るのか。はっきりいって根拠は無い。だけどやっぱり瞑想とか、自分ができることで貢献するとか、思い切って周りに助けてもらうとか、そういう日々の自分と他者とのやりとりを積み重ねていく中で自然と培われてきたものなのかもしれない。

 

幸いこの感じはどんどん膨らんでいっているので、「一緒にいてもっと安心感に浸れる人」と毎日一緒にいられたらいいなぁと妄想を膨らましている。

「J-POP」という癒し

昨日「前前前世」という歌を初めて聴いてものすごい衝撃を受けた。思いがけず涙が溢れた。そのまま何度か繰り返し聴く度にとめどもなく出た。

 

おかげで一晩明けて、すっかり魂が浄化されたかのようにスッキリしている。前世があるのかどうかという議論は別にして、やはり音楽の持つ癒しパワーはスゴい。

 

ネットで検索するとどうやらこの名曲は紅白でも歌われるほどの人気で2016年を代表する大ヒットソングらしい。シンガポールにいる私がそんなことを知った時2017年の2月も終わろうとしていた。

 

私は敢えてJ-POPには距離を置いていた。日本語の歌詞は魂にダイレクトに響き過ぎてどっぷりセンチメンタルな気持ちになってしまうからだ。

 

J-POPにおいて首位を独走するThe Alfee以外に、ゆず、スピッツ、ミスチルなどがお気に入り。このセレクションで早速世代がばれてしまう。

 

J-POPは好きなんだけれど自分にとって「センチメンタルな気持ち」はポジティブな「キュン♡」というよりネガティヴな「ドヨーン」とした感じだ。

 

年中ホットな赤道直下の国にいても、心の中だけ「秋模様」あるいは「シングルで迎えるクリスマスモード」といった感傷的な気分になってしまう。

 

ではしばらくシンガポールでJ-POPを聴かなくなるとどうなるのか。ここでよく見受けられる代表的な歌詞を例に具体的な事例を幾つか挙げてみる。

 

「会いたいのに会えない」→ 「シンガポールでは会いたかったらすぐに会える。アポを取っていなくてもその辺でばったり遭遇する。」

 

「つないだその手を離さない」→ 「南国で手をつなぎ続けるとまあまあ暑い。」

 

「抱きしめたいのに抱きしめられない」→ 「出合頭あるいは別れ際に普通にハグしあう文化背景がある。ただ私はアレルギーのせいでネコちゃんをハグできないのが唯一悔しい。」

 

J-POPにとっていかに季節感並びに日本的な奥ゆかしい文化が重要であるかがよく理解できる。

 

そんな中しばらく遠ざかっていたJ-POPにまた興味を持ち出したのには理由があった。最近、アジアの若い世代が日本語で一生懸命歌う日本語の歌を間近で聴く機会を得たからだ。

 

思い思いのスタイルでみんな心を込めて歌っているのがよく伝わる。日本語の歌詞にアジアの純真が加わっているのだから涙が出ないわけがない。

 

マイブームはいきものがかりの「ブルーバード」。「はばたい〜た〜ら〜、届かな〜いと言って〜、目指した〜の〜は〜、蒼い蒼いあの空〜」というのが「無限の可能性が拓かれる」気がしてならない。

 

(やっぱりJ-POP良いなぁ〜♪)と思って偶然ユーチューブを見たら「前前前世」が流れ出した。

 

「通称ラッドと呼ばれるRADWIMPSというバンドが歌っている」なるほど〜。公式チャンネルなので視聴しても大丈夫そうだった。

 

何度もこの歌を聴きながら2004年に「前世療法」に出会ったのを思い出していた。この歌に出会ったおかげでその辺りの話をやっとブログで書く決心ができた。