心と体に効く瞑想 <第五回> 〜殺生とは〜

ミャンマーの森の瞑想センターにある瞑想室は2階建て。傍には屋根のある廊下があり、その真横に貯水池がある。

 

座って瞑想をする時は大抵瞑想室で行う。歩いて瞑想をする時には室内で歩いても良いし、脇にある廊下や瞑想センター内を歩いても良いが、男女分かれているので男性の瞑想のお部屋や宿泊施設に行ってはいけない。

 

瞑想をしている私達はヨギと呼ばれる。瞑想そのものに宗教色は無いが、毎晩6時から故ウ・パンディタ・サヤドウ氏の録音された講話を英語の逐次通訳付きで聴くので、仏教の教えも学べる。

 

その中に「殺生を控える」というのがある。私はほぼベジタリアンなのでどちらかというと控えている方だと思っていたが、初日からこのテーマについて考えさせられた。

 

夕方以降は瞑想室の灯りを求めて蚊が入ってくるので日が暮れる頃に網戸を閉める。それでも出入りする時にスッと入ってくる蚊がいるので個別の蚊帳が用意されているのだ。

 

私も暗くなってから早速蚊帳を使ってみた。蚊よけスプレーをしているのでかまれる心配は無いもののネットに囲まれて生まれる自分だけの空間が集中力を促す役割まで果たしてくれることに気が付いた。

 

シーンと静かになって良い感じに瞑想モードに入る。すると「ブーン」とあろうことか耳元で蚊の鳴き声が聞こえるではないか。

 

(ありえない。。。)いつもの私なら「バチッ」と何のためらいもなく両手で殺していた。血が出てきた時にはこれ以上の犠牲者を出さずに済んだぐらいの正義感に満ち溢れていた。ところが尼さんに囲まれた私にそんな行動は許されない。

 

冷静かつ即座に蚊を追い出しにかかった。ところが蚊は蚊帳の上の方にどんどん逃げる。ちょっと待ってから蚊が下の方に来た瞬間に蚊帳の裾を持ち上げる。するとまた上の方に逃げるのだ。

 

個別の蚊帳はカーテンを引っ掛けるフックでワイヤーにぶら下げている。そしてこのワイヤーは瞑想をしているヨギ、全員分の蚊帳をひっかけているため、誰かが動くと振動が伝わる仕組みになっている。

 

これ以上動くと他のヨギの瞑想の妨げとなると感じた私は蚊帳の中で蚊とふたりっきりの時を過ごすこととなった。蚊を殺さずに済んだし、かまれなかっただけ幸いである。

 

これを機に以前にも増して「殺生を控える」というのを意識しだした途端、視点が変わりだした。ある時、目をつむりながら瞑想をしているヨギがうっかりアリを踏んでしまったのを目撃した。

 

(はっ!)として即死したアリを眺め続けた。周りにいる他のアリは自分の役割に必死で何事も無かったかのように歩き続けている。

 

そんな中、ある一匹のアリが即死したアリに気付き、パニックしたようにグルッと円を描くように何度か周ったかと思うと即死したアリを担ぎだしたのだ。

 

自分と同じサイズの即死したアリを担いで皆が歩くのとは別の方向に歩き出したアリ。同胞の遺体をどうするのだろうか。そんなことに想いを馳せた。

 

以前、お寺で僧侶に私が普段、ほとんど野菜しか食べないことを伝えると「野菜だって生きたい。人間は殺さずには生きられないのです。」と教えられたのを思い出した。

 

生きている以上、殺さずに生きることはできない。それをわかった上で小さな虫達すら「殺さない」と決めた。この決断で一番救われたのは自分自信だろう。心の中にやっと小さな平和が訪れた。

禁煙コーチングという親孝行

父はヘビースモーカーだった。どうやらタバコを片時も離せなかったらしい。1日に吸う量は2箱。家の壁は茶色っぽくなるし、カーテンを洗うと水は紅茶のように濁るほどだった。

 

(どうしてわざわざお金を出して煙を吸うのだろう。)、健康オタクの私には全く理解できないが、はたから見ていて禁煙って難しいんだろうなぁと感じていた。

 

しかし、母を末期癌で亡くしてから、父にはぜひ長生きして欲しいという想いが強くなった。

 

世界遺産が大好きな父と一緒に、私は母の代わりとなって一緒に旅行に行った。海外はフランス、イギリス、インド、カンボジア、マレーシア、シンガポール。国内は和歌山、東北地方など自然を堪能した。

 

日本の自然は本当に素晴らしい。空気もキレイだ。白神山地など美しい森や滝や川の透き通る水を見ているだけで心が洗われるようだった。

 

にも関わらず父は相変わらずタバコを吸っていた。澄み切った空気を深呼吸できて満喫できるまたとない機会なのになぜなのだろうか。

 

その時、私は父に禁煙コーチングをすることを固く誓った。自分が学んできたコーチングを活かして実際に禁煙に成功した事例はたくさんある。

 

決断すると即実行に移す。父には「せっかくこんなに空気がきれいなところに来ているんだからタバコを吸ったらもったいないよ。お食事中もタバコを吸うんだったら私は向こうで食べるね。」と席を移った。

 

なんという生意気な娘。ふたりで旅行しているのだから鬼としか言いようがない。私にも勇気が必要だった。そしてそれは私なりの確固たる決意を表明した瞬間だった。

 

旅行から帰ると当時まだ会社勤めをしていた父の勤務先に一番近い禁煙クリニックをネットで探して場所と住所を送りすぐ診察を受けるように促した。

 

「いつかは来ない、あるのは明日だけなので今すぐ予約して下さい。」という私の想いに父は答えるかのように翌日から通院を始めた。

 

まず最初に医師は禁煙パッチをくれるそうだ。実際に使用するとむず痒くなるらしく1週間で使用を辞めたらしい。

 

それと同時にタバコを止めると途端に食べ物が以前よりおいしくなってそちらに惹かれてタバコも吸う必要性を全く感じなくなったようだ。

 

それ以来、父はタバコを一切口にしていない。もうかれこれ10年ほど経つ。過去のヘビースモーカーぶりを思うとすごい変容ぶりだ。

 

ただ父に言わせると本音は「せっかくお金を出してわざわざ娘を旅行に連れて来てあげてるのに何で一人で食事せなあかんねん。」という腹立たしい気持ちになったのがきっかけだったようだ。

 

しかもしまいには食事がおいしくなってどんどん食べてしまって太るという「副作用」の弊害を私に訴えてくる始末である。

 

とはいえ、父が何を言おうと今でもこの禁煙コーチングが唯一にして最大の父への親孝行だったと胸を張って思うし、我ながらよくやったと感心して今でも周りに自慢しまくっている。

心と体に効く瞑想 <第四回> 〜体感〜

私の知る限りミャンマーでヴィパッサナー瞑想を学べるセンターは、ヤンゴン市内と森の中の2ヶ所にある。私が体験した森の瞑想センターの施設内は宿泊所や食堂なども含め、きちんと整備されている。

 

ただデング熱の感染予防目的で随時消毒剤がスプレーされているシンガポールと比べると、やはり自然の手付かず感は否めない。「殺生を控える」という仏教の教えにもとづいていることも関係しているのだろう。

 

部屋にはすぐに蚊もアリも堂々と入ってくる。そのサイズは揃って大き目。それどころか、鳥や犬に至っては態度まで大きい。人間が自然や動物と共存できている証拠に違いない。

 

本来、瞑想者は目も見えず耳の聞こえず話せない病人か死人のように振る舞わなければならない。が、最初の数日間は美しい自然に魅せられるうちにそんなこともうっかり忘れ、すっかり「ハイジモード全開」で心がはしゃいでいた。

 

「歩いて瞑想」をする1時間では、施設内を散策できる。本来、スローモーションで歩くべきところが、ついいつものクセでせっかちさによるスピード感丸出しだ。ビーチサンダルのカカト部分も地面を跳ね返す時にペタッペタッと音を立ててしまう。

 

初日からこれはいけない。いっそのことビーチサンダルを脱ぎ捨てた方が早いとキッパリと裸足になった。五感を研ぎ澄ませる上でも役に立つはず。もうそれだけでちょっとたくましくなれた気がした。

 

今、振り返るとその発想こそが「瞑想センター体験から早急に結果を得たい」というせっかちさの象徴みたいで自分でも笑えるが、その時は真剣だった。

 

但し、敷地内だったら裸足になっても大丈夫だろうという憶測は見事に外れた。セメント敷の通路や木でできた橋を歩くだけなのに裸足で歩くことに慣れないせいか、思いの外結構痛い。

 

よく見るとセメントの表面がスムーズでないのだ。セメントが固まらないうちに歩いた鳥や犬の足跡がしっかり残っていたり、枯葉がたくさん落ちていたりする。昼間は直射日光で照らされて熱いところもある。

 

痛いので自然とスローモーションになれたのは良かった。しかし、裸足で歩いていると「スリッパ忘れたの?」とベテランの尼さんに心配され「アリに噛まれるよ〜」と警告を受ける。

 

さらにミャンマーでは朝昼晩の温暖差が結構ある。昼間歩いて汗をかいたままでいると夕方から冷え込んできた時に急に寒気がしてクシャミが止まらなくなるのだ。

 

10日間の長丁場を乗り越えるのに健康管理は最優先事項だ。早急に裸足で過ごすことは諦め、むしろ入念に靴下を履いてからビーチサンダルを履いた。

 

普通の靴下しかなかったので履きながら勝手に足袋化させる。洗って昼間、外に干せば数時間ですぐに乾くとはいえ予備がもう一足あって良かったとホッと胸を撫で下ろす。

 

汚れが目立たないという目的だけで購入されたなんの変哲も無い黒い靴下と、引っ越したばかりだったので室内向けに何となく近所のコンビニで買った安価なビーチサンダル。1日だけでも裸足で外を歩く体験をした後には、足の裏にソフトな温もりとクッションの柔らかさを感じ、物のありがたみを痛感した。

 

後で知ったのだが、ミャンマーの僧侶は托鉢に出る時に裸足でなければいけないそうだ。結構ゴミも多い街中をずっと裸足で歩き続けるのは相当大変なはずである。

 

人生、経験に勝るものは無い。短い時間であれ何事も体験すればするほど共感力が高められていくのを身を持って体感できた。

心と体に効く瞑想 <第三回> 〜気付き〜

GReeeeNの名曲「SAKAMOTO」の動画をご存知だろうか。トリックスターのリーダー、だーよし氏扮する坂本龍馬が東京にタイムスリップし、現代を満喫するというストーリーだ。

 

瞑想をしながらふとこの動画を思い出した。10日間、とことん我が身を振り返って自分の本質に気が付いた。浮かび上がったのはまさしく「現代にタイムスリップした尼さん」のイメージだった。

 

今回体験したヴィパッサナー瞑想は、インドに伝わる最古のもので、2500年前にブッダがその方法を見出したと言われている。しかし、この瞑想自体は宗教とは関係無いのでクリスチャンも仏教徒も学ぶことができる。

 

とはいえ、瞑想センターに行って驚いたのは、私の四方八方を囲んでいたのは揃って、若くして出家した尼さん達だったということだ。彼女達は主に中国、韓国、ベトナムの出身だった。

 

原則的に誰とも一言も喋ってはいけない、インターネットも無いというデジタルデトックスの世界。かなり苦痛に違い無いと思い込んでいた。

 

ところが実際には、森の中で規則正しい生活を送り、ベジタリアンのシンプルなお食事を頂くこの生活をむしろとても気に入ってしまったのだ。

 

なんという快適さ。自然に囲まれて心が幸福感で満たされる。もしやこれは私にとってむしろ居心地の良いコンフォートゾーンでは無いか。

 

そんな想いを決定付けたのは、バイリンガルな尼さん達が困った外国人をイキイキと助けている姿をだった。

 

基本的に瞑想している時には目も見えず耳も聞こえず話もできない病人のように何事もスローモーションで振る舞う必要がある。

 

それは体に意識を向けて「今、ここ」に五感を集中させるためである。浮かんでは消えてゆく思考や感情もひたすら観察をして心身ともに浄化をはかる。

 

普段はそんな静の世界の住人である彼女達も、オフィスでゲストのお手伝いをしている時にはうって変わって、瞳をキラキラ輝かせながら姿勢良くテキパキと効率良くリクエストをこなしていくのだ。

 

(あぁ、私が目指しているのはこれだったんだなぁ)としみじみ感じた。私は現在、プロの通訳者なのだが、この奉仕をするサーバントリーダーシップこそが私の目指すあり方だと改めて実感した。

 

自分の本質が「瞑想で心身の浄化を目指すバイリンガルの尼さん」だということを認めるといろんなことが腑に落ちた。待ちに待った「プチ出家」を実現できてようやく踏ん切りがついたのだ。

 

やっぱり私にとっては、結婚することの方が尼さんになるより難しいので、機会があればその難しい方にチャレンジしようという結論に至った。

 

とはいえ、尼さんにもなれるとわかった時点で、もはや結婚しなかったとしても、人に迷惑さえかけなければ大丈夫だという確信も生まれた。

 

ずっとやってみたいと気になることはどんどんやってみる。そこには答えを導くカギが隠されているに違いない。

 

楽しすぎる森の中での瞑想。ミャンマーの友人は年に一度ある10日間のお休みを毎年瞑想に費やしているそうだ。気持ちはよくわかる。今すぐにでも「心の旅」に専念する日々を再開させたくてたまらない。

心と体に効く瞑想 <第二回> 〜きっかけ〜

ミャンマーからシンガポールに戻って3日目。社会復帰できるかどうか、若干の不安がよぎっていたが、今のところすこぶる順調である。

 

ご縁というのは不思議なものだ。ひょんなことからミャンマー人の方と出会い、この森の瞑想センターについて教えてもらったのは2014年の9月だった。

 

いろいろな事があり過ぎて、もうどうしようもなく現実逃避をしたくなった私は、同年末、瞑想をしにミャンマーのヤンゴンに向かった。

 

行くと決めたら話は早い。森の瞑想センターの予約もし、白いシャツと長いスカートのような瞑想用のロンジーも購入、あっという間に準備万端だった。

 

にも関わらず、100ページにもわたる契約書の翻訳が終わらず、結局、10日程、ホテルに缶詰めになった私は結局、瞑想センター瞑想できずじまいで無念の帰国をしたのだった。

 

滞在中、「せっかくヤンゴンまで来たんだから瞑想センターを見学して行ったら?」とミャンマー人の友人に提案してもらったおかげで、瞑想センターをひと通り見学する機会を得た。

 

空港からはだいたい1時間くらいの場所に位置する瞑想センターの敷地は結構広い。眺めの良い蓮池もあり、ゆっくり歩いて見学などしていたらあっという間に1時間くらいかかりそうな広さだ。

 

「この瞑想センターのマスターを紹介しますね」と紹介されたのはウ・パンディタ・サヤドウ氏。アウンサンスーチー氏も師事していたのが目撃されている。

 

当時、同氏はまさかの93才。とても若々しく元気なそのご様子からは到底信じがたかった。やはりこれも瞑想効果に違いないと至極感心したのを思い出す。

 

面会してありがたいお言葉を頂いたのだけれど、今となっては残念ながら何一つ覚えていない。でも彼の穏やかなまなざしや謙虚な佇まいは印象的で今も忘れられない。

 

森の瞑想センターは創立者である彼の名にちなんでパンディタラマセンターと呼ばれている。彼は7才で出家しヴィパッサナー瞑想を学んでからは多くの生徒達に教えてきたそうだ。

 

ヤンゴンまで行って結局、瞑想できなかった無念さを払拭すべく、近いうちに必ずまた来ることを心に誓った。

 

日常生活と仕事に追われながら、ミャンマー行きを先延ばしにしていると、昨年4月、同氏が他界したことを知らされた。

 

(なんとか時間を作らなくては)という想いを強くする中、偶然にも不思議とヴィパッサナー瞑想について語る日本人が3名現れた。そのうちの1人は体験者でもある。

 

「3回言われたら行動に移さなければならない」というマイルールを設けている私にとって、これは一大事だった。もう何が何でも行かなくちゃという気になった私は即座にミャンマー行きを決めたのだ。

 

何事もやると決めたら道は開ける。10日間もメールや電話のやりとりは一切無し。緊急事態以外は音信不通になるのだけれど、周りの方々からも応援して頂いてスムーズに事は運んだ。

 

良い時はトントン拍子で物事は進む。言い出すのにはかなりの勇気がいったし、決めてからも、中にはもちろん「10日間も瞑想?!」とネガティヴな反応が全く無かった訳ではない。でもそんな現実をしっかり受け取るのも今、振り返ると必然だったとよくわかる。

 

とりあえず都合の良いタイミングでフライトを予約、ギリギリまで仕事をし、引き継ぎを終えて何とかミャンマーに向かった。

 

ヤンゴン国際空港に着くと迎えに来てくれたミャンマーの友人が教えてくれた。私が瞑想を始めるその日は、なんと偶然にも故ウ・パンディタ・サヤドウ氏が遺灰となって約1年ぶりにパンディタラマセンターに戻って来る日でもあったのだ。

 

おかげさまで彼の魂に温かく向かい入れられているのを感じながら私の瞑想生活は始まった。ご縁とはつくづく不思議なものである。

心と体に効く瞑想 <第一回> 〜効果〜

「森の中で瞑想したい!」と最初に思い立ったのは2000年にバンコクでバックパッカー旅行をした時だったと思う。生まれて初めて象に乗りハイテンションだったのを思い出す。

 

それ以来、タイをえらく気に入った私は、旅を共にした「地球の歩き方」を熟読し、次にタイに行く時はチェンマイの寺院で瞑想したいと何となく決めた。

 

それから早17年。場所は違えど、昨日、ミャンマーのヤンゴンの森で10日間の瞑想を終えて無事にシンガポールに帰還した。

 

瞑想に関してだけ言うと、私は2004年にエネルギー瞑想を学び、継続してきた。それに対して今回学んだのはインドで最も古く2500年前にブッダによって再発見されたヴィパッサナー瞑想だった。

 

10日間。長いようであっという間に過ぎた日々。内側にも外側にもいろんな変化が起きた。まだ胸がいっぱいでどこから書き出したらいいかわからない。

 

だからこんな時こそ書く意味があるのだろう。ブログは日記みたいなもの。書くことでスッキリすれば良いくらいの気持ちでまずはどんどん書き進めることにした。

 

10日間の瞑想を終えて思うこと。それはもう「人生の中でたった一度でも良いから、ぜひとも漏れなく全員に体験してもらいたい」と心の底から願ってやまない。

 

その効果のほどを一言で表現するには「憑き物が落ちた」と言うのがもっとも相応しい気がする。現時点で私個人にのみ当てはまる言葉なのかもしれないが、文字にするとよります一層しっくり馴染んできた。

 

そしてそれはたった一回きりの体験で激変するというよりは「最新版のソフトウェアをアップデートし、かつ修正プログラムをダウンロードする」というメタファーが近い気がする。

 

さらに終わってしみじみ思ったのは、この体験はこの一回で完結しているわけではなく、あくまでも「旅は始まったばかりだ」ということだ。

 

では実際にミャンマーの森の中の瞑想センターで、一体全体私は何をしていたのか。それは予想以上に心身共に健やかになるための超実用的なプログラムだった。具体的なスケジュールは以下の通り。

 

3:00 起床
3:30 〜 4:00 歩いて瞑想
4:00 〜 4:45 座って瞑想
4:45 〜 5:00 朝の詠唱
5:00 〜 6:00 朝食
6:00 〜 7:00 座って瞑想
7:00 〜 8:00 歩いて瞑想
8:00 〜 9:00 座って瞑想
9:00 〜 10:00 歩いて瞑想
10:00 〜 10:30 食堂へ移動、昼の詠唱
10:30 〜 11:30 昼食
11:30 〜 12:00 食後の休憩、瞑想室へ移動
12:00 〜 13:00 座って瞑想
13:00 〜 14:00 歩いて瞑想
14:00 〜 15:00 座って瞑想
15:00 〜 16:00 歩いて瞑想
16:00 〜 17:00 座って瞑想
17:00 〜 18:00 ジュース、歩いて瞑想
18:00 〜 19:00 僧侶による講話(録音を聴く)
19:00 〜 20:00 歩いて瞑想
20:00 〜 20:45 座って瞑想
20:45 〜 21:00 夜の詠唱
21:00 〜 自室で歩いてまたは
座って瞑想
睡眠 (4〜6時間のみ)

 

つまり歩こうが座ろうがずっと瞑想をしているのである。他の人達と会話してはいけない。文字通り「自分との対話のみ」が徹底して行われる10日間だった。

 

続く

今年こそ目標を達成するには

旧正月の大晦日にはとうとう言いたいことを私なりの表現方法を用いて惜しみなくお伝えできたことに大きな達成感を隠しえない。

 

ともすると、ゲシュタルト崩壊疑惑をかけられなくも無いことも承知の上、思い切って書き残したところ、コメント欄には「年忘れ放談(笑)」とのありがたい書き込みを頂き、ひたすら承認欲求が満たされ自己受容感も増大している。

 

なぜ私はあえてお下品極まりない表現を選んだのか。それは言うまでもなくわかりやすさを優先しているからに他ならない。

 

以前の私は美しいものだけを求めていた。スピリチュアリズムの神秘主義的な側面にも魅かれていたし、実のところ今でもバラや天使など美しいものが大好きだ。

 

その一方で美しさを追い求めるあまり、若干現実世界から遠のいていく事実も認められ、地に足がついていない時があるのも自分なりに感じていたのだ。

 

そんなことを漠然と感じている中、その思いを裏付ける衝撃的な出来事が起きた。それはまさしくスピリチュアルブームの牽引者である故船井幸雄氏が生前、最後に書かれたブログを読んだ時だ。

 

彼はビジネスから哲学、そして特に晩年は精神世界にまつわる書籍をたくさん遺された。私も何冊も読んで影響を受けていた。なのでこの最後のブログを是非とも皆様にも読んで頂きたく、以下に引用する。

 

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いまの世の中は、スピリチュアルなこととか食とか遊びなど、どうでもいいことに浮かれている人に、かなり焦点が当っています。一度そのようなどうでもいいことは忘れ、現実人間にもどってほしいのです。そうしますと、「あっ」と、びっくりするほど、自分のしていたムダに気づくでしょう。間違いも分ると思います。

いずれにしましても、今年こそは、地に足のついたよい仲間をつくり、仲間間で助けあい、地道に生きてほしいのです。一人ではムリだと思います。
 いまさらスピリチュアルやおいしいものに夢中になるという時ではありません。
 ぜひ生きるのに必要なことに今年は全力投球をしてください。
 ただ、将来への夢と希望は忘れないようにしてくださいね。これらは大事です。

(舩井幸雄.com 「舩井幸雄のいま知らせたいこと」2014年1月6日「賀正」より)

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たった今、これを読み終えたあなたの中に、どんな気持ちが浮かんでくるだろうか。このメッセージはいったいどんな意味をもたらすのか。

 

このブログを読み返すと今でも全身が信じ難い想いに包まれる。私にとっては天と地がひっくり返るくらいの大事件だった。

 

実際にこのブログについて多くの方が論じている。反響の大きさから「スピリチュアルの意識革命」を呼び起こしたと言っても過言では無いのではないかとさえ思う。

 

3年経った今でも何度も読み返してしまうし、事あるごとにいろんな方にシェアしているから、昨日も年始の会で早速このネタを元に持論を展開した。

 

さらに故船井氏にとってこの発言はいったいどういう意味を持つのか。これまで長い間、推奨してきたことの真逆になるこのメッセージをどうしても伝えなければいけなかったのはなぜか。いずれにせよ彼は強い思いに突き動かされたに違いない。

 

ポイントとなるのは「以前から気づいていたにも関わらず発言していなかったのか」、それとも「このメッセージを発言する時にやっと気が付いたか」のいずれかだと感じる。

 

前者だとしたら一部の方が論じるように彼にとってスピリチュアルは単にビジネスであり、お金儲けの手段だったと解釈されてもおかしくはない。

 

後者であれば、「今半病人の私は直感が冴えています」と本人も述べたように亡くなる直前に勘が鋭くなって大きな気付きがあったので「これを伝えずして天命を全うできない」と感じたのであろう。

 

いずれにせよ、故人に口無しだ。「生きがいの創造」シリーズのベストセラー作家である飯田史彦氏も数々の精神世界の謎は「いずれ死んだらわかるんです」と述べている。私もあの世に行って故船井氏に出逢える機会があれば「あれって本当のところどうだったんですかねぇ?」と朗らかにぜひ確認したいところだ。

 

日々、前向きに生きる私は相変わらずスピリチュアルが大好きだ。関連書籍も入念に読むだけでは飽き足らず、自らの気付き、学び、成長の体験談をシェアし、あらゆる業種の方と活発な議論を繰り返す。

 

さらにおいしいものと言えば、私の頭の中はアンリシャルパンティエのケーキをはじめとするデザートのことでいっぱいだ。

 

先日も日本の品種の美味しいイチゴがマレーシアのカメルーンハイランドで栽培している方と出会い、試食が止まらなかった。そのあまりの美味しさに、ちょっと拝借したイチゴ帽までかぶって「シンガポールでこのイチゴを使ったいちご大福を販売して欲しい♡」と一晩中懇願していた。

 

その後の調査で高島屋では定期的に販売されていることが判明したので、近々、買いに行ける日を心待ちにしている。

 

遊びと言えばSNS。ノーフェイスブック、ノーライフと言うぐらい、朝昼晩に開いてはいろんな出来事に一喜一憂する毎日だ。もはやSNSはマズローの5段階欲求の底辺より下に位置する6段階目でないかと思われる程、生活から切り離せない。

 

そんな私にとって、故船井氏の前述のメッセージは警告として胸に刻まれている。「地に足をつける 」というのは、私にとってはずっと先延ばしにしてきた「結婚」に違いない。