「婚活コーチング」の実態

私は自分が独身で彼氏がいないにも関わらず性懲りも無く人の婚活相談に乗っている。自分のことはさておき人のことはよくわかるものだ。

 

いったん自分のことは一切棚に上げて相手には率直に感じたことを伝える。そうするとアドバイスがある程度まとまってくる。他人事だからってよくもまあそこまで言えたものである。

 

そんな自分にすら存分に呆れ果てた暁には、それをそっくりそのまま自分に当てはめれば良いので、一石二鳥とはこのことだ。

 

そんなこともあってかコーチのお友達とおしゃべりするのは楽しくてやめられない。ほぼ間違いなく終電までしゃべくり倒す。

 

そしておしゃべりする中で得た「気付き」をもとに「学び」を抽出。さらに実際に行動に移すための「小さな一歩」、いわゆる「ベイビーステップ」に落とし込むのだ。

 

私は誰がなんと言おうと「気付き」「学び」「成長」の3点セットが大好きだ。こういうのを幼稚園の時に教えてくれるコーチがいたら私は今頃違った人生を歩んでいたに違いないと信じて疑わない。

 

一方で「そういうのにハマる人ってどうよ」などという意見が存在するのも知っている。そんなことをおっしゃる方にはこの3点セットを上回るほどのものが何なのかを教えて頂きたい。

 

それはさておき「たくさんの人と出会ったんだけどことごとくタイプではない」そんな時にはその「理想とかけ離れた様子」を一つ一つ書き出すことをオススメする。

 

例えばこんな風な人がニガテだとしよう。

 

「無口過ぎる」
「マナーがない」
「海外経験が無い」

 

などなどニガテな人となりについてどんどん項目を挙げていく。せっかくの機会なので洗いざらい納得がゆくまで書き連ねよう。

 

そして次にその項目を逆にして、適度に自分の好みにあてはまるように書き換える。

 

「適度にしゃべる」
「レディーファーストを心得ている」
「海外経験豊富」

 

そうすればあっという間に「引き寄せたい理想の男性像」が浮かび上がる。

 

そして次にそんな理想のタイプはどこに生息するのかを突き止める。そして自らもそこにあしげく通えば良いのだ。

 

ただせっかく理想のタイプの「生息地」を突き止めたとしてもそういう場所に突然ポツンと現れても相手も困る場合が多い。

 

唐突過ぎて「初めまして」「さようなら」とすれ違い、せっかくのチャンスを逃してしまうこともあるだろう。

 

よってやはり周りにいる「幸せな既婚者」にご紹介頂くのが良いと思われる。もっと言うと「キューピッドになるのが夢です♡」という方にお願いして「理想のお相手の条件」をお伝えしておつなぎ頂くのがベストだろう。

 

あるいは「お金があってもヒマがない」という方は「結婚相談所」などを活用するのもすばらしい。実際に周りに成功者がいるので信ぴょう性も高い。年齢層もかなり広いらしいのでアラフォーも安心らしい。

 

いずれにせよ、結婚に辿り着いた方々に最近私がインタビューを重ねた結果、わかったことが1つある。それはたった1つでも良いからどうしても譲れないと思っていた点を妥協するということだ。

 

最近、結婚したばかりの幸せなお友達(男子)いわく、「もし女性が薄毛の男性に対して寛大になれたなら相当チャンスが広がるよ」とアドバイスされた。

 

さらなる聞き込み調査を行った結果、あくまでも「薄毛」というのは単なる一例に過ぎず、「喫煙」や「タトゥー」など自分が苦手としていることにも置き換えられるようであった。

 

確かにそういうニガテを乗り越えたということは「以前にも増して他人を大目に見られる」ようになるわけだから、結婚して子供を産み育てるという「寛容の極み」への第一歩を踏み出すことになるのだろう。

 

結婚へ至る道は千差万別。今年こそは相当寛容に私を受け止めて下さる相手を見つけたい。

「今年こそ英語を話せるようになりたい」人たちへ パート1

「どうしたら英語がもっとうまく話せますか?」とよく訊かれる。そう訊かれる度に私は「どんな用途で話せるようになりたいのですか?」と訊くようにしている。

 

ひとくちに「英語を話す」と言っても、そもそも「英語」にはいろんな種類があるし場面もある。私は幼稚園の時から海外に憧れていた。小学生の頃から英語を学ぶ機会に恵まれ英文科を卒業したが、実際に「生きた英語」を学んだのは社会人となりシンガポールに赴任してからだ。

 

周りを見渡すと英語力が飛躍的に伸びているのはやはり恋人あるいは配偶者が英語を話す方々である。お互いをよく知るために自然と上達しているパターンが圧倒的に多い。まさに「愛の力」の為せる技である。

 

ではそれ以外のパターンについて見ていきたい。やはり必要に迫られているケースで言うとキャリアといった場面だろう。仕事で必要不可欠な場合、「必須科目」となり背水の陣で挑むうちに自ずと身に付いてくる。

 

ということは「今年こそは英語を話せるようになりたい」と考えている人はどういう人達なのだろうか。ズバリ「英語を身に付ける」ことそのものが特に「緊急性もなければそもそも必須ではない」方達なのだろう。

 

新年早々、早速突き放されたとショックを受けておられる方もいらっしゃるかもしれない。耳が痛いかもしれない。でもそれは紛れもない事実である。

 

かくいう私も「英語」という単語を「結婚」に置き換えれば「我がごと」である。なので「英語ができるからってエラそうに」と思わずに大目に見て最後まで読んで欲しい。

 

ここで着目して欲しいのは、事象を問わず「内容そのもの」である「コンテンツ」にとらわれるのではなく、抽象度を上げることによって視座を変えて「文脈」や「前後関係」と言った「コンテクスト」をどうとらえられるかといったことなのだ。

 

人は常々「我がごと」となると真剣に深刻に捉えがちである。そして冷静な判断を下せない。だからこそカレンダーが変わり、しばし浮き足立ったような気持ちで訳もわからずウキウキする今のうちにどれだけ「自分をネタに遊べるか」が重要なのである。

 

では「緊急性もなければそもそも必須ではない」場合にどうやったら「今年こそ英語を話せるようになる」のか。

 

やはり一番重要なのは「英語が話せるようになった時に何がしたいか」である。私の場合、英語が流暢に話せるようになった暁には「ディベートで相手を論破したい」というのが兼ねてからの目標だった。

 

負けん気が強いからいうのはもちろん否定できない。その上「英語が話せないと対等になれない」という気持ちが強かったからだ。当時「勝ち負けで物事を決める」世界に生きていた私らしい。

 

しかし、長年の海外生活を送った結果、目標が逆転してしまった。今となっては「関西流のお笑いで相手を抱腹絶倒させたい」というのが日常の課題である。「笑い」が「瞬間的に心をつなぐツール」だと知って楽しくてしょうがないのだ。

 

なので「今年こそ英語が話せるようになりたい」のであれば、ぜひとも「それを実現している場面」をより明確にして欲しい。

 

いつどこで誰と何をしている時なのか。それはどれくらい先のことなのか。クールジャパンプロジェクトのおかげで日本にいたって外国人と触れ合う機会は星の数ほどある。今すぐ外国人が集まる観光名所に行ってボランティアで日本文化を紹介してみよう。

 

私自身も高校生の時に京都で海外から来られた西洋人の老夫婦にパンフレットの場所を問われたことがある。緊張しながら少し離れた置き場所を指差し「Up there」と答えると「英語がとってもお上手ね」と褒めて頂いた。たった一言でこんなに喜んでもらえるなんてと感激したのを懐かしく思い出す。

 

とはいえ私もいつも褒められたわけではない。この何千倍も何万倍も「???」と不思議な表情を返されてきたことがある。日本人の私には日本語のアクセントがあり、英語であったとしても切り出し方が日本風なのでよく理解されなかったのだ。

 

その度に相手に対して心密かに「でもあなたは日本語できないでしょ?」と思っていたのは事実だ。負けず嫌いにもほどがあるが、好き好んでアウェイに乗り込んでいる以上やむを得ない。

 

誰だって最初から自信があるわけではない。小さなことを積み重ねた結果、自信は大きくなるのだ。誰も褒めてくれなくてもいい、自分が褒めてあげればそれで良しとしたい。

新年の抱負「ほめ上手になりたい」

世の中にはほめるのが大変上手な方がいる。

 

10年以上ぶりに出会った同僚と昔話で盛り上がった時のこと。「『とてもお上品な声で話すこれぞ日本人といった女性がいる』と評判だったよ〜。」と言われた。

 

ほぉ〜、私はそんな風にシンガポールのローカル人にほめて頂いていたとは知らなかった。

 

「オフィスのどこにいてもゆみちゃんのバカ笑いが聞こえるよ〜(爆笑)」という「耳撃談」はよく耳にしていただけにその大きな落差に衝撃を隠せない。

 

私は関西人なので、このようにツッコまれることを大いに望んでいる。というか、むしろ、いつなんどきツッコまれてもいいように人より若干長めの「ボケしろ」を用意して24時間臨場体制で臨んでいる。

 

常に「ツッコまれる」ことを前提に受け答えをするのが習慣になり、今ではほぼ無意識レベルでボケ倒しているようだ。

 

特に飲んだ時などはその傾向がいつになく増し「おもしろすぎる」と悶絶されるが、自ら発した言動の詳細についてはほとんど覚えていない。

 

大学卒業まで関西生まれの関西育ちであり、吉本を観て育った私は、「ボケとツッコミ」は全国区で認知されていると思い込んでいた。これがものすごい思い込みであることに気付かされたのはまあまあ最近だ。

 

以前、東京の方とお話した時には「なんでそんなにずれたこと言うの?」とマジギレ気味に言われてキョトンとなった。国内で激しく「異文化ギャップ」を感じた瞬間である。

 

東京では受け入れられにくかったが、それをそのままシンガポールに持ち込んだところ、思いの外、あたたかく受け止められたような気がする。

 

シンガポールはオフィスに外国人が46%いると言われているくらい多国籍国家だ。宗教も人種も年齢も性別もLGBTの垣根を越えてみんな一緒にお仕事をしている。

 

「みんなちがって、みんないい」という金子みすず氏のフレーズを思い出す。資源の少ない国の国家戦略とはいえ、多様性に対するリスペクトが根付く環境で私は大いに恩恵を受け取っている。

 

電車の中で見かけるお年寄りや妊婦さんへの思いやりもすばらしい。老若男女問わず瞬時に席を譲る。先日もお年寄りがさらなるお年寄りにサッと席を譲る姿を目にして感銘を受けた。

 

そのせいだろうか。シンガポールにいらっしゃる方は違いを寛容に受け止め「人となり」をポジティブにとらえて上手にほめる方が多いように感じるのだ。

 

前述の私へのほめ言葉も、ほめられている私よりもほめているその方のお人柄や品の良さが際だっている。私もそんな風に心に残るほめ方が瞬時にできるようになりたい。

 

「10年前はカンペキな人というウワサだったのに、まさかこんな天然ボケだったとは」と絶句する元同僚を尻目にそんなことを感じるシンガポールで迎える年始に寄せて。

 

本当にあった「たった13日で結婚する方法」

最近の私は自らの婚活について洗いざらい思いの丈をブログで披露している。ここまで赤裸々に実況中継する必要も無いのではとの想いがよぎりつつも、これは大きな前進であり、以前の私には考えられないことだ。

 

 

本当のところはと言えば、書けば書くほど、オンラインでもオフラインでも何かしらの反響があったり変化が起きるので楽しくてやめられない、ただそれだけのことである。

 

 

遡れば学生時代より人の恋愛相談にはよく乗ってきたし、たくさんの背中を押してきた。「おかげで結婚に踏み切れました」とシンプルなメッセージから長文のメールまで様々なお声もよく頂く。

 

 

にもかかわらず、これまで「恋愛相談」という領域により一歩大きく踏み込めなかったのは、何を隠そうまだ自分が独身だからだ。

 

 

独身の身で何を語ろうとも「自分のことは棚に上げて」とか「過去の栄光にすがっている」などと思われるのは間違い無い。かといって「恋愛」という領域で「現役バリバリっす♪」というスタンスを取ると「婚活」からさらに遠退く雰囲気が否めない。

 

 

さらに私の周りにはたくさんの応援団もいる。実を言うとウェディングに参列させて頂き、ご指名でブーケを頂く機会も3回あった。既に「3回も」である。運気を溜め込むにも程がある。

 

 

最近はさすがに申し訳なくなり、ブーケトスが始まりそうになると、なるべく目立たないようこっそり人知れず気配を消すようにしている。

 

 

とはいえ、自らがまだ独身でありながら人の相談に乗るのもあながち悪いことではない。仮に私が結婚していたとしても、自分より凄まじく効果的な方法で結婚に至った方がいるというのも事実だからだ。

 

 

というわけで多くの結婚したい独身女性に、今、私が最もオススメしたい体験談をここにご紹介する。彼女はまさに引き寄せでライフパートナーを見出した生きる「女神」である。

 

 

彼女はコーチング仲間のトモコさん。東京赤坂にあるコーチ養成スクール、チームフローで学んだ同窓生でもあり、直に後日談を聞かせて頂くという稀に見る好機にも恵まれた。

 

 

それではまず、皆様にはトモコさんがいかにして運命のライフパートナーと出逢い、わずか13日間で結婚に至ったのか、その旅路の実録をしっかりと読んで頂きたい。

 

 

さあ、心の準備ができた方は以下のリンクから記事を入念に熟読しよう。

 

 

http://wol.nikkeibp.co.jp/article/trend/20110209/110140/?rt=nocnt

 

 

なんということだろうか。あなたは信じられるだろうか。たった今、読んだ記事は、決して噓偽りのない事実に基づくノンフィクションだ。

 

 

「でも、それって美活記事に取り上げられたトモコさんにだから起きたんでしょ〜う」と既に思っているそこのあなた!まずは「自分にも起きる」と信じることから引き寄せが始まることを忘れないで欲しい。

 

 

そして、一刻も早く結婚すべく「早速トモコさんのコーチングを受けたくなったわ〜♪」という方のために彼女のウェブサイトのリンクもこちらに貼っておく。

 

 

「ゆみさんのブログを読みました」とお伝えすると私からの「お祈り」も付いてくるらしいっぽくてお得感満載なこと間違い無し。

 

 

http://tomoko-k.weebly.com/

 

 

「結婚したいんですけどなかなかお相手に出会えなくて」と彷徨える独身女性には、いつでも彼女のエピソードをザックリとまとめてシェアしている。ただ、その割にはいつもリンクを見失うため、永久保存版としてここに残したい。

 

 

そして来る2017年、一人でも多くの方がライフパートナーに出逢えることを願って止まない。

「婚活」を加速させるには

「婚活をするなんてはしたない」と言われたことがある。当時、日本にいた私は、一所懸命生まれ祖国のスタンダードに再度ハマろうとしては失敗していた。


一度はみ出てしまったものはなかなか元の容器に収まらない。そんな葛藤が続く中、その発言をされた方が大手出版社の人気編集長さんだったので「そうなのかなぁ〜」と妙に同調してしまった。


今となってはそんなことも懐かしい思い出。シンガポールに戻り「水を得た魚」となった今「はしたない」どころの騒ぎではないブログを量産している。


前述の彼が読んだらどう思うだろうか。呆れ果てるのだろうか。今やもうその時の反動としか思えないくらいはっちゃけている。


長年、常夏の国に棲みつき毛穴が開ききってからというもの、日本の冬場に帰っても全く使い物にならないし、今ではすっかり「心身ともに赤道直下の南国の人」になってしまった感を否めない。


こちらに来たばかりの頃に出会ったシンガポール人のお友達から「シンガポールも一応、季節はあるよ〜、ホット、ホッター、ホッテスト」というネタを教えてもらった。今でも大切に使い回している。


ずっと暑い国でのクリスマス。それでもちゃんと微妙に人恋しくなるのは体内時計のせいだろうか、同じ月に誕生日も迎えるので余計に「何かしなくては!」という気にさせられるせいかもしれない。


出会うのが2回目の方に「てっきり結婚しているかと思いました」と言われてハッとした。(なるほど〜、そんな風に思われていたんだぁ〜)と妙に納得した瞬間だった。


先日参加したとあるメディアのオフ会では1分間の自己紹介をする機会に恵まれた。そこではきちんと自分のステータスと想いを伝えることにした。


「長いこと独身なので、そろそろ結婚しようと思ってパートナーを探しています!」と思い切って発言した。


すると私の後を続いて自己紹介された独身の方々は次々と「独身告白」をするではないか。ポジティブマインドによって勝手に「私のおかげに違いない♡」とおめでたく捉えることで貢献感並びに自己肯定感に包まれご満悦だった。


ひと通りみんなの自己紹介タイムが終わっていろんな方々とご挨拶をする。その後お声がけして下さった男性はこう口にした。


「まだ独身だったんですね〜」


「はい」


「なんでそんなに貫禄があるんですか?」


(えっ?!)


あまりに唐突に現れた言葉、「貫禄」


(プププ 爆笑)


そうくるんだぁ〜。意外過ぎる。まさかここで「貫禄がある」という言葉を引き出せるとは誰が想像しただろうか。


「貫禄」


そう言われてみれば、確かに少しでも仕事ができる風を装って背伸びをしてきた。


「貫禄」


いざ面と向かって言われるととまどいを隠せない。


「貫禄」


それは何を意味するのだろうか。想像して欲しい。


「貫禄」


どんなに尽力してもそう言われて連想するのは「お相撲さん」しか思い付かない。


取り急ぎ、私は落ち着きはらって「年の離れた妹がいるので、子育て経験みたいなのがあるせいですかね〜」と辻褄を合わせてその場をしのいだ。


その時からだろうか。私の中の何かが壊れ始めた。急によりリアルに「客観的視点」を持てるようになった気がした。


やはり「婚活を加速させる」のに「一番大切なこと」は


①自分が独身であることを世に知らしめること


である。そして次に大事なのは


②結婚するパートナーを探していると宣言をする。


なぜならそこをきちんと言わないと「そもそも結婚する意志がない」あるいは「恋愛至上主義の恋多き女性として楽しそう」と思われてしまうからである。


さらにもっと言うと


③結婚して幸せそうなカップルに出逢いのキッカケをインタビューする


そうすると決め手となった想いやできごとなどをシェアしてもらえてとてもハッピーな気持ちで満たされて「結婚ってステキ💕」とキュンとなるのだ。


私も先日、この世に誕生して間も無い赤ちゃんを抱っこさせて頂いた。幸せいっぱいのパパとママにも囲まれて80兆の細胞全てがピュアになったかのようにすっかり癒された❤️


「家族っていいな〜🌟」とすっかりリマインドしてもらった♪


さらに月並みなようでなかなかできないのがこれ。


④自然体でラクな状態で引き寄せる


「恋とは追いかけるもの」とばかりに永遠にハンターでいたいと強く願っていた。でもまだ出産の可能性に賭ける私は、とうとう自分の身体の構造に従ってみることにした。


そう思った瞬間、前からやってみたかったことが順番にできるようになった。ベジタリアンになること、スッピンで出歩くことなど。


以前の私だったら絶対ムリだと思っていたことだったけれど、期間限定でやってみたら、自分が一番ありのままの自分を受け入れられていなかったことに気付いた。


そうしたらある意味、今までこだわってきたことがどうでもよくなってきて、最小限のことで満たされるようになっている自分に気が付いたし「いきたい時にはそこにもいける」のがわかっただけでも大きな収穫だった。


そう、それはまさに


⑤自分の中の矛盾を統合させること


にほかならない。あ〜、本当に今までどれだけ遠まわりしてきたんだろ〜うってしみじみ思う。いっぱい時間をムダにしてしまったなぁっと。


自分の中は言うまでもないけれど、相手に対してだってもう駆け引きとか相手の顔色を伺うとか心底意味が無いと思う。


ふぅ〜、書きたいことをひと通り書いてみた。


とはいえ、ここまで書きながら思うのは、最終的に私と結婚するはめになるのは、このブログを熟読して下さる方か、全く読んだこともない方のいずれかに違いない。

癒しの本質 (2)

「コーチングって上から目線な感じがしますもんね」と言われて、しばらく感じていた違和感を見事に言い当てられた気がした。

 

私はコーチングが人の役に立つと信じている。それはもう疑いようもない。そうでなければ2007年からこんなにも大量の時間を費やすことはなかっただろう。

 

それでも誤解を恐れずに言えば、もちろん文脈によるのだけれど、やはり「コーチング」という言葉からいつしかこの独特な「あなたを変えてあげる」といった若干マウンティングな響きが伴うのは払拭できない。

 

さらにもっと言うと私はコーチングを生業としている仲間達ももちろん応援している。実際に彼らの中にはベストセラー作家として活躍する方も多く、心から尊敬して止まない。

 

それでもなお、批判を恐れずに言えば、そもそもコーチングを学んだきっかけが「自分の悩みを解決したい」という動機からくる場合が多く、自分の状況が「少し良くなった」時点で他の人にコーチングをして、自分の問題をこじらせてしまうケースも多く見受けられるのである。

 

それこそまさに解決策を指南してくれると期待していたコーチングに裏切られたように感じる瞬間なのだ。

 

かくいう私も例にもれず、目一杯こじらせた。私はヒーリングから始まって各種セラピーを学び、心理カウンセリングを経てコーチングに至ったにも関わらずである。

 

一体、「癒しの過程」で何が起きるのだろうか。私なりにまとめると、日頃問題となっていることについて語っている時に、ふと身体の一部に痛みなどの感覚を感じるようになる。それこそが今まで無意識に存在していたものが、意識下に浮上した瞬間だ。

 

しばらく身体の痛みに意識を向ける。すると不思議なことに目を背けていた問題の原因やそのきっかけとなった出来事など色々なことが浮かび上がってくるのだ。

 

もちろん目を覆いたくなるどころか身体中の痛みに耐えかねてただひたすら泣くしかないような状況すら起きる。そんな時には無理せずに誰かに手伝ってもらえば良い。そういう場面でより沿う役割をしてくれるのがまさにコーチであったりヒーラー、セラピストなのだ。

 

ではコーチ、ヒーラー、セラピストってそんなに人を癒せるほどまでに達観しているのだろうか。もちろんそういう方々もいらっしゃる。要は自分自身、スッキリしていれば問題無いのだが、まだまだ修行中の身である場合においては「浮上してきた問題」に引きづられ、ミイラ取りがミイラとなりすっかり塞ぎこむケースも多い。

 

それはお手伝いした側がお手伝いされた側と一緒に手離しの機会を得たわけだから一石二鳥だとお祝いしたら良いのだけれど、それこそ手離しでは喜べなかった。

 

私を含めそんな人達を一体どれくらい見てきただろう。それくらい日々の生活で問題は避けて通れない。そう、生きていることが既にある意味「問題」なのだから、手離してはくっつきをひたすら繰り返すのだ。

 

いつまでこんなことを繰り返せば良いのか。ある時から私は問題そのものを楽しむことにした。どうせ取り除いてもまた沸いて出てくる、まさに無限ループそのものだ。だったらいっそのこと楽しんでしまえばいいし、楽しんでも苦しんでも平等に旅立ちの日が訪れるのなら、楽しまないことは罪でしかない。

ラーメンデートについて (2)

「久し振りにラーメン食べたい♡」そうブログに書いたら早速実現した。やはり持つべきものは情報通で流行に敏感なステキ女子友である。


言うまでもなく相変わらず「男性とのデート」な部分は見事に欠落していたが、予行演習ということでここにレポートを記したい。


シンガポールにおける日式ラーメン事情について現地の方は非常にお詳しい。タイムリーな情報に精通しており驚くばかりだ。なんでも最近新しいラーメン屋さんがオープンして行列ができるほどらしい。


「並ぶから11時に現地集合ね」とメッセージが入る。なんと、異国の地シンガポールで日式ラーメンを食べるために並ぶなんて、かつて私の人生においてそんなことはあっただろうか。竜宮城にいるかのように過ぎていく当地での時日において人生の数ある日常のできごとは忘却の彼方、思い出すことすらできない。


駅から歩いてオーチャードのISETANの隣に位置するパシフィックプラザシンガポールに着くと早速、ラーメン屋さんの前で長蛇の列。その位置から1時間は並ぶそうだ。これは本格的である。

 

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そのラーメン屋さんの名前は「Japanese Soba noodles 蔦(つた)」なんとラーメン屋さんで世界初ミシュラン一つ星をゲットしたそうだ。初日は午後2時の開店時間に合わせて朝8:30から行列ができたらしい。

 

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パシフィックプラザシンガポールには「Japanese Soba noodles 蔦(つた)」を含むとミシュラン付きレストランが3店舗並ぶ。他の2店舗は飲茶の店「Tim Ho Wan(添好運)」と同じくシンガポールではダックで有名な「Kam's Roast Goose from Hong Kong」でどちらも香港が発祥の地である。

 

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「Japanese Soba noodles 蔦(つた)」はラーメンなのに「そば」と呼ばれている。並んでいる間にメニューに目をやるとしょうゆ味と塩味の2種類があったので1種類ずつ選ぶことにした。


なんでもミシュラン認定を受けたのはしょうゆ味らしいが、何かにつけて「スピリチュアル」を意識する私は沖縄の海とモンゴルの岩からとれた塩で浄化されたい気分で塩味を選んだ。


1人で並ぶ日本人の姿も見受けられるが、女子友のおかげでお互いの近況報告をしているうちに1時間はあっという間に過ぎ去った。ウィンドウから覗くとカウンター席が18席。シンガポール人、西洋人、日本人とお客様の顔ぶれは様々だ。


とうとうお店の中に入ってエアコンにありつける。創業者のサイン入り本があるのでサラッと読む。日本の良い物を世界へというモチベーションがありありと伝わってくる。


タッチパネル式自販機で好きなラーメンを購入する。ベースは麺だけであるが、ゆで卵やチャーシューののったライスなども追加できる。お茶は麦茶だった。


空いたカウンターを案内されるとトレイにお箸置きに乗せられたお箸とレンゲがお上品に並ぶ。ラーメンを食べるとデフォルトで汁を飛ばす私にとっては緊張感が増す一瞬である。


カウンター越しにスタッフが忙しそうにラーメンを用意するのが見える。さすがミシュラン、ユニフォームのデザインにも品がある。


いよいよ待ちに待ったラーメンが登場!チキンとあさりのスープに高級素材トリュフのアロマが漂う。麺は毎日手づくりされるそうだ。

 

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♡☆♡☆♡☆♡おいし〜い♡☆♡☆♡☆♡


グリーンオリーブも添えられてなんとも洗練されたネクストステージなお味。中国から日本に渡ったラーメン。長い年月を経て伝統的な東洋のお味と西洋のテイストが織りなす味のハーモニー。さらにそこから生み出されたヒュージョン。奥が深い。


お隣のローカルの方と思われる男性がなんと音を立てて食べている。その雰囲気からかなりラーメンを食べ慣れている様子。おかげで私も安心して音を立てて頂くことができた。


「 輝きだした私たちな〜ら〜、いつか明日をつか〜むだ〜ろう」という懐かしいメロディーが流れる中、一瞬ここは日本かと錯覚する。シンガポールでまさか15ドルでこんなにクオリティーの高い日本のラーメンを食べられる日が来るなんて予想だにしなかった。


五感を活用しフルでエンジョイした結果、大きな達成感を味わう。ラーメンってやっぱり美味しい〜♡、特に1時間待った後なのでより感慨深い。待つことも味わいを増す秘訣であることに間違いない。


感動に打ちひしがれ感想を述べあっている時、トレーを下げられてふと我にかえる。そうだった。ここはレストランの外で余裕で1時間は待つお店。用が済んだらとっとと外に出なければいけなかった。


お店に入ってから出るまでの所要時間は約17分。次のアポまで余裕で1時間以上ある。ランチはちょっと少なめにしてデザート店へ向かうべくそそくさとその場を後にした。


ふとスカートに目をやるとあんなに入念にお上品に食べたはずにも関わらず幾つか汁と思しき点のようなものが見つかったのだけは今でも不思議な謎のままだ。


続く