一刻も早く「怒り」を片付ける方法

新年明けましておめでとうございます。旧年中も大変お世話になりました。今年もよろしくお願い致します。

 

新年早々、なぜお題が「怒り」なのか。それは私が尊敬してやまないコピーライターであり、ブロガーの熊谷真士氏がそれについて書いていたのを読んだからである。

 

彼らしい文章で今回もオチがおもしろかったので皆さんもぜひ読んで頂きたい。

 

それに触発されて私が最近、珍しく最も怒り心頭したが、消化して、今となっては笑いのネタにしていることについて書くことにする。

 

それは、昨年、親戚の結婚式に出席するため弾丸帰国をした時のことだ。

 

成田空港で日本人向けの列に並んで入国審査を待ち、いよいよ自分の番が来た。

 

すると!思いがけず、こんな質問が投げかけられた。

 

「再入国ですか?」

 

深夜便で着いたばかりの、寝不足で普段以上にぼやっとしている私に、入国審査官はゆっくりとこう言った。

 

「中国からですか?、再入国はあちらですよ。」

 

寝ぼけている私にも何が起きているか、ようやくわかった。

 

その時、私は瞬間湯沸かし器のように自らの内側に燃え上がる「怒り」を感じた。

 

「日本人です。」

 

絞り出した声は生まれて以来、自分史上もっとも低かったに違いない。

 

「すみません、目までおかしくなったみたいで。」

 

ますます驚いた私は即座にその場を後にした。

 

-----------------------------------------------------------------

 

湧き上がった「怒り」、私は何に対して怒ったのか。

 

「日本人であるにも関わらず外国人に間違われた。」

 

「怒り」を引き出したトリガーとなったのは、確かにそこに違いない、ただ本質的にはどうなのか。

 

私が外国人に間違われるのは日常茶飯事だ。初対面で、外国人も日本人も私がなに人なのか、もはやわからないと言って一様に唸る。

 

今となっては食べるものも着る服も持ち物も多国籍化しているので当然だと認識している。

 

だから、私が「怒り」を覚えたのはそこではなかった。

 

「怒り」の構成要素、それは

 

「日本人の列に並んでいる私は、正しいことをしているにも関わらず、間違っていることをしていると疑われた。」

 

ひとことでいうと「冤罪への行き場のない憤り」

 

そして

 

「関空みたいに自動化ゲートだったらこんな想いをしなくて済んだのに。」

 

という「非効率性への苛立ち」

 

加えて

 

「ベテランの入国審査官のお声掛けが、善意からとはいえ、私によって『事実とは異なる認識による失言』ととらえられた」

 

いわゆる「『弘法にも筆の誤り』に対する驚き」

 

もっというと

 

「まずはパスポートを確認して欲しかった」

 

という「業務プロセスへのツッコミ」

 

「自分の後ろに長蛇の列があるので一刻も早くこの場を立ち去らないといけない」

 

という「無言のプレッシャーへの焦り」

 

さらに

 

「意に反して恐縮してしまった入国審査官の気持ちを慮って、気の利いたジョークのひとつも返せなかった」

 

いわゆる「自責の念」

 

OH NO!こんなにもある「怒り」の理由!

 

たったひとつのボタンのかけ違いがこれほどまでに複雑な「感情のドラマ」を引き起こすなんて。

 

正直、諸々「後付け」な感じを否めなくもない。ただこれだけのことが頭を駆け巡っていたのも事実だ。

 

これだけ列挙した時点でかなり「感情」を「思考」で客観視できているので「消化できた」と言えるだろう。

 

そして、この場合の「怒り」を抑えるポイントはまさに「怒り」を生み出したと思われる相手が「本当にしたかったこと」、つまり「意図」を「思い出す」ことだった。

 

入国審査官が長年のキャリアを積んでいることは彼の容姿から一目でわかる。

 

私を中国人だと思ったからこそ、丁寧にゆっくりと話しかけて下さった。

 

そこには「思いやり」しか存在しないのだ。

 

私も次回からは、そんな彼の「思いやり」に応えられるべく、先にパスポートを見せてからマスクを外そうと思う。

 

-------------------------------------------------------------------

日本への外国人訪問客数は年々増加の一途を辿る。

 

2011年の約500万人から2016年にはなんと約2400万人まで増えたというのだ。

 

私は日本人の「思いやり」、もっというと「おもてなし」が外国人にきちんと伝わることを願ってやまない。

ゆず「桜木町」を聴いて「口づけ」から得た考察

「夏色」から20年、まさかシンガポールでゆずっこになれるなんて誰が想像できただろう。

 

生きていると良いことがおきる。どんどん夢が叶って嬉しい、幸せ♡

 

グッズも8種類全部買った。

 

Tシャツ、バッグ、ポーチ、ぬいぐるみ、ボトル、タンバリン、タオル、携帯ケース、夢の大人買い!

 

「そんなに買っちゃって結構な金額だったでしょ?」

 

大丈夫、245ドルも20年で割ったら割安感が勝る。

 

これから節約のため毎日チキンラーメンで過ごせるくらい幸せ♡

 

抑えていたゆず愛があふれだしてとまらない。

 

コンサートについていっぱい書きたいことがある。

取り急ぎ印象に残ったのは「桜木町」だった。

 

横浜勤務をしていた時によく言ったので懐かしいというのもある。

 

観覧車が目に浮かびつつ「口づけ」という歌詞に心が惹かれた。

 

(おぉぉ〜、なんという古風さ!)

 

久々にきく言葉、「口づけ」

 

では「口づけ」を最後にしたのはいつだろう。

 

「口づけ」、しかも「最近の」という形容詞がついた場合。


遠い目になりながら記憶をたどった。

 

 


思い出すのはそう、

 

 


それはお気に入りの。。。

 

 


「マグカップ」

 

 


その前は

 

 


「ストロー」

 

 


さらにその前は

 

 


「チューペットのプラスチック」

 

 


(うっ。。。。。。。。。)

 


気が付けば、全部、無機質なモノばかり。


モノ、そう、ものにも命は宿っている。


ただ、ゆずの言っている「口づけ」はそういうことではないだろう。

 

 


(口づけ。。。)

 

 


「口づけ」、「最近の」、に加えて「生き物と」を加える。

 

 


思い出した!!!

 


最後に「口づけ」した生き物。

 

 

 

それは。。。

 


黄色いヘビだった。しかもかなり大きめの!

 

私は神経言語プログラミングというNLPのセミナーでボランティアをしている。

 

そこでは基本、言葉やイメージングの力でメンタルを強くしようという試みがいくつか行われる。

 

その中のひとつとして黄色いヘビがかかさず登場するのだ。

 

コーチは初めての受講生にコーチングをする。

 

われわれのメンタルは常にひとまわりもふたまわりも強くなければならない。

 

今回のセミナーは忙しくてお顔を出すしかできなかった。

 

一瞬顔を出しただけだった。にも関わらず私を待ち受けていたのはそう「ヘビとの口づけ」だった。

 

ヘビに「触れる」「クビに巻く」までは問題ない。

それはもう過去に経験済みだった。

 

しかし、常にお互いの成長だけを考え続けるコーチ達。容赦ないリクエスト。

 

「せっかく来たからヘビに口づけして♡」

 

(えっ?!)

 

どうやらコーチは全員、ヘビとの「口づけ」をすでに終えていたらしい。

 

 

(うぉぉぉぉぉぉぉぉ、なんでやねん)

 


心に雄叫びがこだまする。

 


(OH NO! イヤ過ぎるねん。。。。。)

 


ただ、やると決めた以上は動画を撮るしかない。

黄色いのヘビ。

 

気がつくとあっという間にクビに巻かれていた。

 

カメラ目線になりつつヘビをよく見ると途中、下をペロペロ出す。

 

「うわぁ、気持ち悪い」

 

日本語で言ったのにヘビはどんどん顔をそむけていく。

 

生き物だけに嫌がられているのを察しているに違いない。

 

コーチ仲間がヘビの顔を私の顔に寄せる。

 

そういうのだけは見事にかわす。

 

その気のないヘビ。

 

イヤがる私は正しい「持ち方」がわからず片手で首回りを握っていた。

 

動画で見て後で気が付いた。私はヘビの首をほぼほぼ絞めかけているではないか。

 

これは動物愛護団体に訴えられてもおかしくないレベルだったとしごく反省した。

 

かなり重いヘビ。

 

私の口のすぐ側にあるおしっぽにキスするということでなんとかやりすごそうと画策するが却下される。

 

へびつかいしのアドバイスに従って持つ手を変える。

 

ヘビと向き合って目が合う。

 

舌をペロペロ出し入れしている。

 

(万が一、フレンチキスに発展してしまったら。。。)

 

大きめのヘビだけにのみこまれてしまうかもしれない。

 

どう考えても正面からの口づけは厳しそうだ。

 

(「頬にそっと口づけ」作戦でいこう!)

 

「。。。。。。。」

 

(さらに怖いから目を閉じよう。)

 

早く終わらせたかった。

 

一度フライングしたものの無事に「口づけ」完了!

 

(やったぁ、やっと終わった。。。)

 

本当に怖かった。気持ち悪かった。

 

申し訳ないけれどそれがホンネだった。

 

「口づけ」とは何かの儀式のようだ。

 

特に口と口をあわせる「口づけ」の「ハードルの高さ」について今更ながらよく理解できた。

 

コーチ仲間が撮ってくれた写真を見てあとで気づく。

 

(ありえない。。。笑)

 

静止画で見ると「余裕で口づけをしている」ようにしか見えないのだ。

 

あの恐怖と嫌悪感にまみれた体験が恍惚と至福にあふれる体験かのように見える「奇跡の一枚」!

 

別にいつものように画像修正技術を駆使したわけでもない。

 

でも、内心(早く終わって欲しい)なんて思っている様子は微塵も見受けられない。

 

このギャップには我ながら驚かされた。

 

過去のどの瞬間を選ぶのか、どのイメージを切り取るかによって「意味付け」は見事に変わるのだ。

 

そんなことを考えていたら、もっとゆずの歌を聴きたくなった。

 

 

 

 

ベリンダ・カーライルを観に行った。

待つこと実に30年、念願叶ってやっとライブに行くことができた。

 

タイトルは「ザ・ヘヴン 30周年記念ツアー」とある。

 

ベリンダ・カーライルと言えば、やはり代表曲はあの「ヘヴン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」だろう。

 

テレビCMで一躍有名になった曲。今更訳すまでも無いが「天国は地上にある」という意味である。

 

(うぉ〜、めっちゃええこと言うやん、この人!)

 

と当時も今もさほど関西弁を話しているわけではないが気合いを入れてそう思った。

 

学生の頃はもちろんのこと、今でもカラオケでつい歌ってしまうほどお気に入りの歌だ。

 

コンサートの告知に使われている写真が当時のものだったのでより懐かしさでいっぱいになる。

 

ただ30年というとやっぱりあまりにも大昔。最近お仕事をご一緒する方々は、まだ生まれていない。

 

なんとなくというか、かなり予習の必要性を感じた。

 

何事も期待値管理が重要、あの時と今のギャップを知るべくユーチューブで過去の歌をチェック。

 

我ながら準備に余念がないと感心しながら、最近行われたらしいライブ動画を目にした。

 

あれ?歌い方がかなり違う。やはり年月を経たせいだろうか。独特な「ベリンダ節」を感じる。

 

多少変わったとしても無理もない。あれから30年も経つのだ。

 

懐かしく感じながら「サマー・レイン」や「Leave A Light On / 輝きのままで」をヘビロテで聴く。

 

そして歌詞も和訳と共に振り返る。

 

(そういう意味だったのかぁ!)と幼き頃には理解できなかった「大人の事情」も腑に落ちた。

 

歌詞のみならず関連情報も入念にチェック。

 

なんと彼女の旦那様は「ヘヴン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」の出ていた男性だという事実を知る。

 

凄まじくツインソウルなおふたりが素直にうらやまし過ぎる。

 

いよいよ当日。ワクワクしながら「ノアの箱船」のカタチをしたコンサートホールに向かった。

 

シンガポールは日本に比べて圧倒的にコンサートチケットが取りやすい。

 

発売日からしばらく経っても良い席がゲットできた。とはいえ今日は満員御礼だった。

 

ベリンダ・カーライル登場!黒いシースルーのシャツに黒のパンツ。キレイなブロンドが際立つ。

 

とってもチャーミングで全盛期の写真とほとんど変わっていない。何よりキラキラ輝いている!

 

ずっと会いたかった人にやっと会えた感じですご〜くスッキリした。

 

彼の息子ほどの年齢に違いない青年達も今風の踊り方でノリノリだった。

 

「私のお気に入りの曲を歌います。」と歌われたのが「サマー・レイン」だった。

 

(全部、懐かしい〜)

 

記憶の彼方で忘れかけていた歌も歌われた。

 

そういえば「ザ・セイム・ティング」も良い曲だったなぁと胸がときめく。

 

そしてとうとうあの名曲「ヘヴン・イズ・ア・プレイス・オン・アース」の番が!

 

観衆にマイクを向けるベリンダ。それに応えるよう声をあげて歌う観衆。

 

ここであの「ベリンダ節」炸裂。あれはファンに合わせてそうなっていたのかとようやくわかった。

 

最後まで「『ランナウェイ・ホーシズ』歌って!」と叫ぶファン。結局歌われることはなかった。

 

帰り際、会場を後にする別の人達も「『ランナウェイ・ホーシズ』は歌われなかったね」と口にしていた。

 

それぞれの国で「聴きたい曲」は違うかもしれない。予めアンケートを取ったら良いのにと思った。

 

身近な人達を送ることが増えたせいだろうか、何かにつけて「もうこれで最後かもしれない」と思う。

 

それは決して悲観的な意味ではない。私たちは誰もが一時的に地球を訪れる「旅人」だからだ。

 

生まれた瞬間、同時に「いつか」はわからない「旅立ちの日」に向かっている。

 

それを日々、意識している。そしてその意識は日々色濃くなる。

 

ベリンダ・カーライル。年上の女性にこういうのもなんだが、まだまだかわいらしさいっぱいの彼女。

 

近々再びツアーをしてくれると信じたい。

 

とうとう楽しみにしていたコンサートが終わってしまった。

 

寂しいというより彼女の歌に最初に出会った頃と同じようなすがすがしい気持ちになった。

 

心が浄化された。

 

(また観に行きたい!今度こそ「ランナウェイ・ホーシズ」を生で聴けたら良いなぁ。)

 

全体的に男女の関係を歌った歌が多かった。というかそれ以外はなかったかもしれない。

 

そのせいだろうか、もっというとベリンダのツインソウル引き寄せにあやかりたいと思えた。

 

なんとなく「希望」がわいた。そこに彼女の人気の秘訣を見たような気がしながら帰路についた。

 

 

熟女について語ってみた パート2

自分が既に「熟女」であるとわかってからほんの少しだけ謙虚になった気がする。

 

具体的にどんな変化があったのか。

 

それは「パワーストーンでできたブレスレットの選び方」にもあらわれた。

 

「えっ?そもそも『熟女』がそういうの買うの?」

という声も聞こえてきそうな気もしなくはない。

 

「熟女」を「熟女」として魅力的に見せるもの。それは秘められた「乙女心」に違いないと想像するからだ。

 

したがって「乙女心のリマインダー」、「パワーストーンのブレスレット」をひさびさに物色した。

 

シンガポールでは「Heart Mind Body Festival」というのが定期的に行われる。

 

日本の「癒しフェア」のような感じで、スピリチュアルがマイブームだった時にはよく通った。

 

あれからもう10年、しばらく行っていなかったのだが、友人が今年も開催されると教えてくれた。

 

でもわざわざ行くのは過去の自分に戻るような感じなので気が引けた。

 

すると!偶然にもお仕事の現場の階下で行われていたのである。

 

懐かしい気持ちが込み上げ、お仕事が終わるやいなや会場に飛びこんだ。

 

まるで帰郷したかのよう。胸いっぱいに安堵感が広がる。

 

そこには文字通りハート、マインド、ボディーを癒す数々のモノやサービスが集まっていた。

 

全部大人買いしたい衝動に駆られまくりながら、注意深くブースに目をやる。

 

たくさんのきれいなパワーストーン。丸くて小さくてかわいらしいのを見る度にキュンとなる。

 

「熟女」になる前は初々しいピンクで恋愛運がアップすると言われるローズクォーツに惹かれていた。

 

でも「熟女」になって久しい今、現実に直面しその厳しさに打ちのめされてからの選択。

 

直感的に引き寄せられたブレスレット。それはグレーに曇っていたり紫っぽかったりした。

 

それだけではない、キズのような筋やヨゴレのような黒い石もたくさん入っていた。

 

独特なダークさ。これはもうローズクォーツからは大きくかけ離れていた。

 

しかもかつて購入していた数百円代だったものと比べても数千円代と一桁お高い。

 

うーん、買おうか買わまいか迷った。

 

正直、パワーストーンに何かしてもらおうという気持ちはさらさらない。それでも身に付けたい。

 

では何を期待しているのか。自分の本音と向き合った。

 

(かわいいものを身に付けているとどさくさに紛れてかわいいと思ってもらえるのではないか)

 

OH! なんという計算高さ、まさに打算、下心剥き出し。

 

(もっと構ってもらいたい、まだ若く見えるよと言われたい)

 

直面したのは、心の奥底から聴こえる「熟女の雄叫び」だった。

 

そうか、そういうことか、と妙に納得して購入した。

 

するとパワーストーンの効力の説明が書かれた小さな紙ももらえた。

 

そこにはこう書かれていた。

 

「メロディーストーン・スーパー7
高い精神性を持つ石は、サイキック能力を強化し、物理的な現実においてマインド、ボディー、スピリットを癒しながら、より高い領域と私たちをつなぎます。」

 

WOW! 直感的な選択とはいえ、なんという「熟女」な選択!

 

「熟女」を「熟女」たらしめるもの、それは「直感に従う方が正しい選択ができる」という答えを教えてもらった気がする。

 

私という「熟女」は、本当は無限の可能性を秘めたすごい存在なのではないか。

 

冒頭で「自分が既に『熟女』であるとわかってからほんの少しだけ謙虚になった気がする」と述べた。

 

とはいえ、そもそも謙虚になる前の基準が他の方のそれと大幅に異なる可能性も否めない。

 

なので私の「謙虚」はひょっとしたら「他の人よりかなり尊大」なのかもしれないという但し書きを付け加えたい。

「熟女」について語ってみた

「熟女」、それはアラフォーという極めてファジーでふわっとした単語よりパワフルな響きを持つ。

 

重鎮な存在、「熟女」

 

そもそも「熟女の定義」はなんなのか。

 

「熟した女性=熟女」

 

私はなぜかずっと「65歳以上の女性」を指すと思い込んでいた。

 

ところが、ある時、何を思ったのか定義を検索してみた。

 

すると!「熟女」とは「35歳以上の女性を指す」というではないか。

 

(えぇぇぇぇ!!!!)

 

かなり大きめのショックを受けた。

 

気が付いたら私はもう「熟女」

 

気づかないうちにいつのまにか仲間入りをしていたなんて。

 

自らの勘違いのせいで、いっきに65歳以上にタイムスリップしてしまった気持ちになった。

 

期せずして「熟女になった私」はこの先どうやって生きていけばいいのだろう。

 

そこから「熟女のアイデンティティー」について考える日々が始まった。

 

「熟女」が「熟女」として生きていく上で必要なこと、それは成熟した女性に相応しくさらに学びを深めることではないか。

 

資格試験マニアな私は、偶然にもウェブ解析士という資格に出会った。

 

仲間と共に学び進める中で、ウェブ解析に詳しい方から耳寄りな情報を教えて頂いた。

 

なんと!ある特定のニーズを満たすビデオの作品群の中で「熟女」はキーワード検索でトップを争うのだという。

 

WOW! 統計学的に証明された「熟女」のニーズ!

 

その瞬間、曇った心に「希望の光」が射し込んだ。

「よく検索されている」ということは「熟女なありのままの私」は「激しく求められている」ということに違いない。

 

アドラー心理学でいうところの「貢献感」が以前にも増してしっかりと満たされる気がした。

 

自分ではない誰かになる必要などない。今の自分でオッケー。

 

これはなんというすばらしい発見なのだろう!おかげで大きな充足感を得られた。

 

ウェブ解析を学ぶと人生が前向きに変わる。かなり飛躍している気はするが、事実である。

 

「熟女=大人気」という事実に満足し過ぎたせいだろうか、肝心のウェブ解析士の資格試験にはまだ合格していない。

 

一瞬でウツを治すたった1つの方法

気が付けば11月。しばらくブログを書いていなかった。もう今すぐにでも寝たいけれど取り急ぎ書いてみる。

 

25000人の会員数を誇るウェブ解析士協会会長の江尻さんもブログを毎日書くようにと助言を下さった。にも関わらずもう1ヶ月くらいは軽く先延ばしにした。

 

さらにホリエモンが近畿大学で卒業生に向けてのはなむけのメッセージの中でも、自分で発信しようというようなことを話されていたのも記憶に新しい。

 

ブログを書いていないわりにはこまめにアクセス解析だけはチェックしている。

 

誰がどうやって私のブログにたどり着くのだろう。とても謎めいている。毎日、少しずつ閲覧数が増えるのを見るとやっぱり嬉しい。

 

さらにブログの場合、フェイスブックの「いいね」と違って誰が読者なのかがわからないところがますますミステリアスでキュンとなる。

 

世界のどこかにいる誰かが読んでくれていると思うとワクワクする。

 

中には「しょーもな」という読後感を持つ人もいるだろう。もう二度と読んでもらえないかもしれない。

 

それでも私は読まれた数だけ貢献していると思い込んでいる。文字を通してご縁を持ったこと、それ自体が奇跡的な出逢いだからだ。

 

話はとびまくるが、前回のブログで私自身、長らくウツっぽかったことに気付いたと書いた。

 

その原因がわかって手放しが起きたせいだろうか。この数ヶ月の間本当に不思議なことがたっくさん起きた。

 

そしてこれからもどんどん加速して奇跡的なことがいっぱい起きまくる予感がしている。

 

その前にどうしても書いておかなければいけないこと、それはウツの治し方だ。

 

結論から言うと、それは「エゴを手放すこと」だった。それに尽きる。

 

エゴはやっかいだ。自立して自分で何でもやらなくちゃと思って頑張る。

 

でもそんな自分にできることというのはたかがしれている。それでもできること以上をやろうとして頑張る。

 

周りに迷惑をかけてはいけない、期待に応えなくてはいけないと頑張る。

 

何かしら発疹や皮膚炎や鼻炎や頭痛などカラダが悲鳴をあげているのに頑張る。

 

そしてできないことも認めたくないのでとりあえず頑張る。

 

さらに自分は今何に頑張っているのかすらわからないのだけれど頑張る。

 

これくらい頑張りまくっている頃には感覚がマヒしている。既に立派なウツになっている可能性は高い。

 

エゴとひとくちに言ってもいろんなタイプがあるだろう。

 

私の場合は「ツライことをツライ」と認めて口に出し書いてみたことから始まった。

 

一旦言語化できるとはやい。既に客観視できているので、自分に「できること」と「できないこと」にまずわけてみることにした。

 

自分の場合「できると思えばできる」と無理やり思い込もうとしていたエゴを手放して降参した結果、かなり楽になった。

 

あの著名なコーチ、アンソニー・ロビンズの話も思い出す。人はやろうと思えば何でもできるけれど、本当に自分に向いていることしか長期間は続けられないらしい。

 

やっぱり向いていないと思うことを無理してでもやるのは良くない。

 

「もうできません、無理です」と認めた途端、本来自分がやるべきことの「芽」がにょきにょきと生えてきたのだ。

 

このなんというか「芽」の「生え具合」がすごい、もうとどまるところをしらない。

 

エゴを手放すとウツが治るだけでなく本来の自分の場所に連れていかれてしまうことがようやくわかった。

 

完全マニュアル「ウツ病の作り方」

自分の人生には何度も危機が訪れているけれど自分史上最大のが来たので記録に残したい。

 

なんと!まさかの「ウツ病」らしきものにかかった。というかかかっていたことに気付いたのか、厳密にはよくわからない。

 

タイトルに「ウツ病の作り方」と書いたがいずれにせよウツ病など誰も作りたいと思って作っているわけではないだろう。

 

正しく伝えるとしたら「作られ方」なのかもしれない。それでもあえて「作り方」と書くことで客観性を持たせて手放しが加速するように努めたい。

 

自分の体験からわかったことを順序立てて書くと以下の通り。

 

(1) 強烈な心的トラウマの発生
(2) (1)を呼び起こすきっかけも生じる
(3) 上記(2)のトリガーとなる出来事が起きる
(4) 自覚症状が無いまま(1)-(3)が繰り返される
(5) ある時限界点を越え体調不良となる
(6) 苦しみのあまり消えてしまいたくなる

 

ここに書くとサラッとしているけれど、このサイクルがわかるのに実に約10年以上を要した。

 

私は今でも「請求書の発行」と「正社員」というのが恐ろしく苦手だ。

 

フリーランスになってお仕事を終えても一向に請求書を発行しない私は「ゆみさんはお金持ちに違いない、とみんな言ってますよ」と噂されるほどだった。

 

現状は全く逆で貧乏の極みに違いなく「キャッシュイズキング」「お金こそ全て」な状況であるにも関わらずである。

 

それが最近になって私は気付かないうちに自分が最も苦手とする「正社員」でかつ「請求書発行担当」になっていた。

 

自分では苦手意識を持ちつつも、他の人は難なくこなせることであるのは明白で、実際に請求書発行などものの10分で作成できる。

 

自分にだって充分乗り越えられると思っていたのだが、1年以上が過ぎた今、そこに体調不良も加わり、とうとうあまりの苦しさに根をあげてしまった。

 

これは自分でも尋常ではない気がする。なぜこんなにもカラダ全体で苦しみを感じるのか。

 

冷静に振り返ってみると、それはさかのぼること10年以上前になる。私が正社員として営業事務のお仕事をしていた時のことだった。

 

主な業務内容は請求書の発行で、日本からの業務移管プロジェクトで部署に日本人は私一人だったためとてつもない責任を感じていた。

 

新しい職場環境にも慣れてきた頃、母が末期ガンだと知らされた。青天の霹靂とはこの事をいうのかとショックを受けた。

 

試雇用期間を終えてなんとか有休をもらって入院中の母を訪ねたもののパソコンを持ち込みずっと仕事のことも気掛かりだった。

 

これだとどっちつかずになる。退社して日本に帰った方が良いのではないかなどと考えている間に母は亡くなった。

 

朝から夜中まで請求書発行に明け暮れ、母をどうしたら救えるだろうと考えながらパソコンに向かっていた毎日。

 

正社員として入社する前に少しブランクがあったのでその時に母の容態がわかっていれば、または今、正社員でなければ日本に帰りやすかったかもしれないなどと考えた。

 

何度も国際電話をして対策を論じた。でも結局何の役にも立てず死に目にも会えなかった。自分のことを親不孝だと責めた。

 

生前、母は明るい服を着てオシャレをするのが大好きだったので私も少しでもマネてせめて母と一緒にいる気持ちになりたかった。

 

すると「どうしてお母さんが亡くなったばかりなのにあんな明るい服ばかり着ているのか理解できない」と言っている日本人の同僚がいるというのを耳にしたりもした。

 

もう踏んだり蹴ったりとはこのことである。故人を偲ぶ方法は人それぞれなので、ディズニーランドへ行こうがハワイに行こうがソッとしておいてあげるべきなのだ。

 

それからありとあらゆる手段でグリーフケアーを試み心が癒されるよう努力してきたので、まさかここへきてこんな発見があるとは思わなかった。

 

自分にとって「正社員」や「請求書発行」がトリガーとなって都度「母の死」からくる苦しみを全身で感じていたとは。

 

こうしたサイクルに気が付けずに、いや気が付けたとしても、習慣化されたこのパターンから抜け出るのは難しいかもしれない。

 

でも客観性を持つだけでもう抜け出せたも同然であるということに気が付いて欲しい想いで、まだ少しある頭痛と戦いながら一気に書いてみた。