占い師になったら2年連続で行列ができた

ものごころがついてからというもの無性に星占いに心が奪われた。単なる占いというより西洋占星術という学問のような感覚も否めない。

 

とはいえ星座は12種類。だんだんそれには飽きたらず「占い」と呼ばれるものは何から何まで片っ端から取り組むようになった。

 

中でもタロットカードはおもしろかった。大アルカナと呼ばれるものでも22枚。逆さまになったカードも占えるのでさらにその倍はある。

 

そしてカードのスプレッド方法も多岐にわたるので掛け算すると途方もない数のパターンが繰り広げられる。

 

しかも独学でコソ練ができ、自分に関して言えば占いの結果で仮説検証サイクルが成り立つ。「タロットは自分を占えない」という諸説もあるが、それはさておき、お友達などを占ううちに当たると評判になった。

 

そこでせっかくなので、趣味と実益、さらに思い出作りを兼ねて年に一度行われる学祭で出店することにした。

 

仲良しのお友達と役割分担をし、1人はフリーマーケット、もう1人は手相占い、私はタロットカードを担当した。

 

神戸女学院大学で行われる学祭は「岡田山祭」と呼ばれる。それは学校が岡田山にあるからである。

 

そこで「新宿の母」になぞらえて私は自分自身を「岡田山の母」と命名した。「貫禄ある母役」を演出するため、ショートヘアにパーマ、メガネをかけた。

 

当然、それだけではもの足りない。関西のオバちゃんの代名詞といえばヒョウ柄。母のワードローブから、黒地にちょっとかわいらしめのヒョウがたくさん描かれた服を借りた。

 

もともとランドセルを背負っているのにクレジットカードの申込書を配られるくらい老け顔だった私は「本当に学生ですか?!」と驚かれた。

 

長年の悩みであった「老け顔」でようやく人さまのお役に立てる機会を持てるようになったことを心底嬉しく思いながら、数々のお客様の占いをこなしていった。

 

近隣の大学から来られる方も多く、2年連続して来てくださるリピーターまで現れた。「他に行く所、無いし」とぶっきらぼうに言う男子学生にさえも感謝の気持ちでいっぱいだった。

 

学祭で2年連続行った催しは長蛇の列をなし、無事、成功裏に終わった。すごく達成感があったので、バイト先やダイビング仲間との集まりなどありとあらゆる場所にタロットカードを持ち込んで占いまくった。

 

ところが今となってはどうだろう。そんなにハマったタロットカードなのに、一切手を付けていない。どころか、私はタロットカードをオススメしない。

 

占いは遊びとしてはおもしろい。でもある時、タロットカードによる弊害も目の当たりにしてしまったのだ。

 

気を付けなくてはいけないのは、タロットカードには「悪魔」や「死神」が入っている、という点だ。

 

タロットカードにハマり、自分を占ううちにひたすら連続で「悪魔」や「死神」を正位置でひくようになってしまう。

 

占う前にタロットカードをしっかりシャッフルするので、毎回、違うカードが選ばれるはずなのに、なぜなのか。

 

「そこがタロットカードの不思議さであり、おもしろさ、醍醐味なのよ〜」と割り切れれば良いのだろう。でも、自分がネガティブな感情で落ち込んでいる時はどうだろう。

 

自分は「悪魔」や「死神」に取り憑かれているのではないか。にわかには信じがたいが、そんな感覚に陥り、結果、統合失調症のように精神を病んでしまったケースも実際にあるのだ。

 

よく切れる包丁でおいしい料理をつくる人もいれば、人を殺める道具に使う人もいる。何事も受けとめ方や使い方次第ではある。

 

では、そもそも人を占う占い師さんご自身は幸せなのだろうか。幸せな人もさほど幸せでない人も両方いるだろう。長年、観察してきて気付いたことがある。

 

それは「占いの結果」によって、占った人を「自由にするのか」それとも「制約を与えているのか」の違いだということだ。

 

今、目の前には数少ない選択肢しか見えない。それぐらい周りに追い詰められて、囚われて心が苦しくなる時がある。

 

そんな時に、ちょっと離れて視野を広げ、思ったより選択肢は多いなぁ、と心がラクになった時、人は内なる無限の可能性を引き出すことができるのでは無いだろうか。

 

困っている人に「占いの結果」で制約を与えてしまう人がいるとすれば、それは罪以外の何物でもない。

 

本来、私達の未来はまっさらな白紙。自分の道はいつだって自分自身でつくりあげられることを忘れてはいけない。

ブログを書く8つのメリット (1)

ブログを書けば書くほど、書き始めて本当に良かったと思う。良いことはみんなに広めたいので以下にメリットを並べる。

 

(1) 世界中に読者ができる
以前、多国籍企業に勤めていて嬉しかったのは、やはり世界中の情報が頻繁に入ってきたことだった。

 

自分が担当しているアジア太平洋地域以外については上司から耳にする程度だったが、それでもそんな生の情報に触れて遠くの国を近くに感じられてワクワクした。

 

現在の私は会社に属しながらもプロジェクト毎に個人でお仕事をする機会が増えたので、そんな「つながり」を意識する機会は極めて少ない。

 

それでも私のブログに過去30日間の間にアクセスした読者の国を見て驚いた。なんと15ヶ国にも及んでいるではないか。

 

アクセス数順に見るとざっとこんな感じ。

 

日本、シンガポール、アメリカ、タイ、ベトナム、香港、インドネシア、ミャンマー、オーストラリア、スペイン、マレーシア、中国、フランス、モルジブ、台湾

 

我ながらこれはなかなかすごいと思う。これもひとえにフェイスブックのおかげだと思うし、たまたま私のブログの読者が「旅好き」なだけかもしれない。

 

それでも、私のような個人にもこんな「つながり」を世界中に構築できてしまうなんて、考えるだけで本当に感慨深いのだ。

 

(2) リアルタイムで読者数がわかる
グーグル解析を使うと、「今、この瞬間」のリアルタイムで私のブログを読んでくれている読者数が表示される。

 

そこでわかる情報は人数とその読者がブログにアクセスしている国だ。地図上の一部に丸が表れるので一瞬、震源地情報かと見紛うが、そうではなく貴重な読者様の現在地情報なのだ。

 

今、この瞬間に私のブログを読んでいる人がいる。そう思うとこれを見る度、私の胸は激しくキュンキュンする。

 

最近流行りのエムグラム診断によると、私は「超寂しがり屋」らしい。絶対に認めまいと意地を張っていたけれど、最近ではちょっと自分でも認めざるを得ないかなぁと感じてきた。

 

特に夜中などに「現在3人のアクティブユーザーがサイトを訪問しています」などと表示されるやいなや「私、今1人じゃない♡」と嬉しくなることからもそれは激しく明白だろう。

 

自分のブログを書く、これが超高齢化が進む日本の孤独死を妨げる大きな武器になるかもしれない、と本気で思えてきた。

 

ここまで書いたらお腹が空いたので続きはまた今度。

「引き寄せの女王」と呼ばれて パート4

生前、坂口良子さんのファンだった私は、最近の一連の出来事を通じて密かに胸を痛めていた。「彼女は今頃、天国で泣いていらっしゃるのだろうか」と悲痛な気持ちになりお友達に思いの丈をぶつけていた。

 

そんなことを漠然と考えていたら、程なくして天国の母が夢の中にリアルに現れた。私の隣に座る母は私を見つめながら号泣していた。

 

なんのことはない、天国の母を泣かせているのは紛れもなく私だった。芸能ニュースにうつつを抜かしている暇などない。目の前の自分がやるべきことをきちんとやるようにという警告のようだった。

 

思い返えせば、私は母の望み通りに生きるよう努力をしてきたつもりだった。そのせいだろうか、私は試験運がやたら良かった。

 

受験をしたのは人生において2回。私学の小学校受験と大学受験だった。そしてどちらもありえない偶然のおかげで合格した。

 

美智子様に憧れた母は私を東京の聖心女子大学に入れたかったようだ。だから推薦でエスカレート式に入れるよう小学校を受験させた。

 

テストを終えて帰ってきた私に母は、どんな内容だったかを訊いた。そして合格を確信したようだ。

 

それは試験が「いやいやえん」という本から出題されたからだ。私は試験の半年も前から毎日のように「いやいやえん」を読んでいたので当時丸暗記していた。

 

でも私は、合格したのは聖心の創立者の聖マグダレナ・ソフィア・バラと同じ誕生日からではないかと密かに信じている。だから将来は教育に関わることをするのが使命なのかもとそれ以来ずっと思い続けているのだ。

 

高校生になると大学ぐらいはせめて共学に行っておかないと社会的にうまく立ち回れなくなるのではないかと焦りだした。

 

なにせ「英語で論破するのが夢」という志を持っていた私は自分がガールであることを忘れ「Boys, be ambitius」という言葉に胸の高鳴りを抑えられずにいた。

 

やはりサムライ・スピリットを発揮すべく、ここは潔く「推薦という選択肢は無くさなければならない」と強く誓った。

 

いずれにせよ、学校の成績より受験勉強を優先させ始めたので推薦は難しくなることを予測していた。そこで、母にも推薦ではなく受験にフォーカスすると伝えた。

 

せっかく小学校から小林聖心に行かせたのに、その意味が無くなってしまったことを母は大いに落胆した。それならばどうしても神戸女学院大学に入って欲しいと懇願された。

 

当時住んでいた場所から近かった神戸女学院大学はなかなか敷居が高かった。中学校から入学された方は東大や京大に進学される方も多い。しかも名前の通り女子校なのでいろんな意味でためらいがあった。

 

でも学校にある受験生のための部屋になぜか神戸女学院大学の願書が置いてあったので、これもご縁だと思って受けることにした。

 

地元に残りたい気持ちを優先させて近くの大学に合格した先輩に相談に乗ってもらったところ、過去に使っていた10冊近く参考書を全部譲って下さった。

 

英語、世界史、現代文など多岐にわたるが、そのうち古文の参考書がやけに目を引いたので、真剣に向き合った。と言っても、最初の1問は舐めるように解き、丸暗記するほどだったが後の10数問は全く手をつけずにほったらかしだった。

 

すると!なぜかこの古文の問題が試験に出たおかげで合格したのだ。これぞ引き寄せ、今、振り返っても全くもって不思議としか言いようがない。

 

私は生まれ持って幸運の星の元に生まれてきたのだろうか。正直、今までそうやって調子に乗っていたところも否定できない。でも今振り返るとやはり母の私への愛がそうさせたとしか思えないのだ。

 

私は母から本当に愛されていたと思う。母が生きていた頃はなかなか100%はそう思えなかった。自分が思いつく方法で親孝行はしてきたつもりではいたが、やり残したことの方が圧倒的に多い。

 

幸い、今、健康な私はまだできることがたくさんある。まだ遅くはない、今度こそ夢に満面の笑顔の母が出てくるよう、少しでも母が喜ぶような生き方をしたい。

 

「なぜ女性は愛するより愛される方が良いのか」という問いについて

昔から女性は愛するより愛される方が良いと言われる。そう言われてみるとなんとなくそんな気はする。

 

でも私は追いかける恋愛の方が良いとずーっと信じてきた。自分が好きな人を追いかけて振り向かれたい、そういう思いにとりつかれていた。

 

ただ最近、年を重ねたせいだろうか。いろんな面で考え方がずいぶん大きく変わってきた。180度ぐらい変わったこともあり、その内の一つが上述の件である。

 

それは自分が婚活を真剣に始めたことがきっかけだった。同じマインドセットでマンネリ化したパターンでうまくいかない場合、あえて真逆のアプローチをするのが良いと思えたからだ。

 

今まで「追いかける」ばかりだったのを「追いかけられる」ことも完全にシャットアウトするのではなく受け入れてみようと思った。

 

それをきっかけにこの真逆の両者を比較するようになった。

 

「あなたが追いかける、あなたが大好きな人」は恐らく「あなたを追いかけてくる、あなたを大好きな人」よりもあなたのことをいたって冷静に観察してくるのに気がつくだろう。

 

例えばバレンタインデーに手作りのチョコレートをあげるとする。「あなたが大好きな人」は「あぁ、あれ?犬にやった」と素っ気ないかもしれない。

 

でも「あなたを大好きな人」は「一ヶ月かけて食べたよ♡」と愛おしすぎることを言ってくれるだろう。

 

例えば胸の大きさについて。「私の胸そんなに大きくないし」と言ったとすると「あなたが大好きな人」は「いや、まあそうでもないんじゃない?」と無難な回答をするだろう。

 

でも「あなたを大好きな人」は「余裕でDかEはあるでしょ♡」とフォローしてくれる。昔から「あばたもえくぼ」とはよく言ったものだなぁと感心する。

 

「あなたが大好きな人」はあなたと一緒にいる時に、(顔のほくろをつなげるとオリオン座ができるし、腕にはさそり座まである)、なんて内心おもしろがっている可能性がある。

 

そんな時「あなたを大好きな人」は(全身から金粉出ていて眩しすぎ♡)と瞳にハートマークを浮かべてくれているに違いない。

 

これは5段階評価に例えると、3のあなたを「あなたが大好きな人」は1-2の評価をくれるに過ぎないのに対して「あなたを大好きな人」は4-5の評価をくれている感覚だ。

 

だから追いかけ続けるのは結構大変だ。1-2の過小評価されたところからのスタートだから、相当努力しないといけない。

 

しかもそんな努力をしている間に「あなたが大好きな人」の目の前には、特に努力もせずありのままでいながら、彼が4-5の評価を下す女性が現れて、大好きな彼をかっさらっていくかもしれないのだ。

 

昔から選択肢が2つ以上あったらツライ方を選ぶのが成長する唯一の方法だと思っていた。でも恋愛に関しては、もっとラクをしてもいいのかもしれないとつくづく思う。

 

今日も結婚している方々にインタビューをしたら、みんな口を揃えて「一緒にいるとラクだから」と言っていたのを思い出す。

 

ありのままでも美化されるようにお互いがステキに見えるから無理をしないのだろう。それが良縁を見極めるヒントなのかもしれない。

 

髪の毛を切ったら太ったと言われ伸ばすことにした

「あの芸能人に似てるよね〜!」と言われることがある。最近、一番良かったのは菅野美穂。その次に嬉しいのは羽田美智子、一番衝撃的だったのは今いくよくるよだった。

 

そういう意味で言うと髪の毛を切って、ますます今いくよくるよに近付いてきている感じがする。太ったと言われたけれど、実際には太っていないので早急に伸ばすことにした。

 

実はミャンマーで10日間の瞑想を終えて、内に秘めた「尼さんになりたい願望」に火がついた私は、耳の上を少しだけ刈り上げた。

 

「両方とも刈り上げたい!!」という願いは美容師さんの説得で片方だけとなり、もう片方は万が一のためにとってある。

 

一度刈り上げるともっと刈り上げたくなる。そして刈り上げ領域は増える一方だ。周りに、特に映像制作現場に気が付けばモヒカンスタイルをした人が多くいるのも納得がいく。

 

しかもよくよく見ると男性だけではなく、女性も刈り上げている。まさか刈り上げ人口がこんなに多かったとは。1999年からいるシンガポールで新たな発見があった。

 

話を元に戻そう。私は学生時代、キャンプリーダーという子供の世話をするボランティアスタッフをしていた。その時のキャンプネームはトーマスだった。

 

なぜ女性なのにトーマスなのか。それは高校生の時に塾の友達(男子)から「きかんしゃトーマスに似ているね」と言われたからだ。

 

「えっ?!」

 

(あの極めて顔色が悪くグレーな顔をして大きな目をギョロギョロと不気味に動かすアレに似ているってどういうこと?!)

 

まだうら若き乙女だった高校生の私はショックを隠しきれなかった。私の顔もさぞかしグレーだったに違いない。

 

そのお友達は続けて言った。

 

「あっ、あの実写版とかアニメのやつじゃなくて、手描きのイラスト風のかわいい方」

 

(うっ、なんのフォローにもなっていない。。。)

 

ちびまるこ並みにうろたえる私、これは人生で迎えた数少ない大ピンチだった。

 

ただ、私は基本関西人なので、気を取り直してネタにすることにした。それ以来、事あるごとにきかんしゃトーマスの顔マネをした。

 

当時、大阪市野外活動協会に出入りしていた私は、ある時セミナーに参加した。幼少の頃、テレビで毎日のように見かけた「お天気おじさん」と呼ばれたアナウンサーが講師だった。

 

憧れの職業、アナウンサーが目の前にいる。私は嬉しくなった。彼が冒頭から私たちにしたアドバイスはん10年経った今でも忘れられない。

 

彼は自己紹介をする時に必ず自分が赤線地区出身だと言うのだそうだ。優越感を感じてもらって相手の懐に入るのだという。さすが人気者は違う。

 

セミナーの最後に学んだことを活かして参加者は一人一人自己紹介をする時間をもらった。私は早速「きかんしゃトーマスに似ていると言われます」と緊張で震えながら顔マネをした。

 

その夜、アナウンサーのお天気おじさんは、自己紹介が一番うまかった生徒に私を選んでくれた。自分で自分を笑えるのが良かったらしい。

 

その小さな成功体験のおかげでシンガポールでも小さな男の子を見かける度に「きかんしゃトーマスに似てるでしょ」と顔マネを見せる。すると一旦爆笑する。

 

でもその後、笑いをこらえながらも一所懸命、首を横に振る。私に気を遣っているのだろう、物心ついた頃からすっかりジェントルマンなのだ。

 

まさか今、シンガポールでこんなことをしているなんて、当時の自分は全く予想もしていなかった。人生何が起きるかわからない。

心と体に効く瞑想 <第九回> 〜2ヶ月後の効果〜

ミャンマーで10日間の瞑想を終えて早2ヶ月。たった今、宝くじで3億円当たったら、上司、同僚、クライアントの許可を得て、真っ先に瞑想センターに向かいたい。

 

今度は他の尼さん達に敬意を表する意味も込め、かつ髪の毛を洗う手間を省く意味も込めて、丸刈りにして最低でも3ヶ月はこもりたい。

 

「宝くじで3億円当たったら」というのと、精神世界を追求する「頭を丸刈りにして瞑想センターに3ヶ月こもる」というのは一見、全く矛盾している。

 

厳密にいうと、私自身が何もしなくても数年間くらい生きていける余裕と、家族に対して思う存分、恩返しできると思えるくらいの金額を少し上回る金額であれば良くて、そういう意味では3億円は多過ぎる。

 

けれども、その多過ぎるお金を手に入れたとしても、真っ先にしたいことが、今の私の場合「頭を丸刈りにして瞑想センターに3ヶ月こもる」ことだと表現したかった。

 

「10日間の瞑想って聞くと、長く感じるけれど実際には行ってみると足りないって思うよ」と言われた。その言葉が今でも胸にしみる。今、振り返ると全然足りていない。

 

もっと瞑想したい。実際に時が経つにつれてその想いは日に日に強くなる。10日間の瞑想を終えた私は強くなったのだろうか。結論から言うと、瞑想に行く前の私と比べるといろんな意味で強くなったと思う。

 

ぜんそく持ちの友人が病院に担ぎ込まれた時に「あと5分、遅かったら危なかった」と言われて数日間、入院した。その後、通いで2週間瞑想して、人生観が変わったそうだ。

 

「自分が今まで気にしていたことがどうでも良くなった、死ぬ時には何も持っていけないしね。」以前にも増して目を輝かせながらまぶしい笑顔でそういった。

 

人は裸で生まれ、最低限のものを身に付け死んでいく。最後はそれすら燃やされてしまうから「あの世」と言われているところにも持ち帰れない。

 

そんなこともあって、瞑想を終えてから今日まで、気持ちの中で宙ぶらりんになっていたことに1つずつ向き合った。行きたい場所に行き、会いたい人に会った。

 

瞑想の効果を一言で言うと「他者からどう思われるか」という「外からのノイズ」より、「自分がどう思うか」という「内側から湧き出る泉のような声」に率直に反応できるようになった。

 

毎日、ちょっとずつ自分に負荷をかけながら最大化をはかるので、1日に何度も「死にそう」と弱音を吐きたくなることもある。

 

それとほぼ同じ瞬間に「意外と生きていける」と思う。1日の中で既に何度も輪廻転生しているのだから、生まれ変わるのは今世で最後にしたい。

 

いつ死んでもいいように生きる。これも矛盾して聞こえるが、一番大切なことだと思う。

驚愕の「コルギ(骨気)体験」レポ

実家に帰ってソファーでうたた寝していたら「おねえ、まだ歯ぎしりしてる(笑)」と家族に笑われて目が覚めたことがある。

 

ものすごく頑張って歯をギシギシさせているので「相当ストレスがたまっている」ように見えるらしい。

 

学生時代、友人宅にお邪魔した時のこと。お隣のお部屋に寝ていたお兄様には、翌朝「夜中に漬け物食べてたん、誰?」と驚かれるほどだった。

 

近所迷惑なのはもちろんのこと、本人にとっても歯ぎしりは辛い。せっかく寝ても朝起きた時にはアゴが重いので寝た意味が無いように感じる。

 

どうやら歯ぎしりは遺伝らしい。この代々受け継がれてきた問題は21世紀の現在においても明確な解決策は見出されていないようだ。

 

歯ぎしりをすると歯の表面が削れていくので、歯科でマウスピースを作成してもらってはめていたこともある。

 

しかし、やはりそれはあくまで暫定的な対処法にすぎない。「歯ぎしり」という名前がついているからうっかりそんな表面的な問題にのみ意識がとらわれてしまうのではないだろうか。

 

この「歯ぎしり」は冷静に考えて厳密に描写するならば、それは実際のところは「寝ている間中、絶え間なく上アゴと下アゴが寝技で格闘技をしている」という例えの方がふさわしい。

 

どうしたらこの「本人の意思とは無関係に上アゴと下アゴが勝手に繰り広げる寝技の数々」を止めさせられるのか。

 

そんなことを真剣に考えていた矢先、ふとフェイスブックの記事が目に入ってきた。

 

その英語の記事では口の中に指を入れたりして内側から骨をいじり、顔の形を変えていくというスゴ技を写真で紹介していた。

 

(うぉぉぉぉ〜、これならたちうちできるかもしれない!!!!!)そう確信してよく読むと韓国で行われている技術だった。しかも何度か通わなければいけないらしい。

 

シンガポールに住む私は喜びもつかの間、残念すぎて激しく落ち込み、そのリンクはお気に入りに保存すらしていなかった。

 

願いは忘れた頃に引き寄せる。先月末頃、フェイスブックでシンガポール在住の女性からメッセージを頂いた。

 

何度かやりとりするうちに日本人の彼女があの韓国のスゴ技をシンガポールで披露していることがわかった。

 

藁をも掴む思いで「歯ぎしりは治りますか」と訊く私。「はい、治りますよ」とは言えないことを承知で聴いてみた。

 

すると!わかりやすいお返事を頂いた。

 

「歯ぎしりにお悩みの方は
お客様でいらっしゃいますよ〜。
お客様にお伝えしているのは、
コルギは治療や完治を促せるための
回復という立場にいることをお伝えしています(^_^)

もちろん 歯ぎしりが
気にならなくなったというお声や
頭痛から解放されたなどの
お声はありますが、

私たちは治療行為を目的とは
していないことをあらかじめお話をしなくては
いけないのです。

本来の骨の位置に戻ることで
歯ぎしりの根本的な要因や
筋肉の張りから解放されて
動きのスムーズさや、呼吸や首や肩が
楽になれる体の状態を
1度体感してされるとイメージがつきやすい
と思います!」

 

おぉぉぉぉ〜!!!!!すばらしい〜!!!!!一刻も早く試さなければ。

 

ただ彼女は2、3ヶ月先まで予約はいっぱい。私はお仕事以外の「予約」が極度にニガテである。

 

それはきっと「今、ここを生きる」のをコミットした結果だとポジティブに解釈しているのでそれ自体は悪いことではないはず、と自己弁護してみる。

 

空き時間の枠を根気良く打診して頂いた。1度目は数週間後、2度目は翌々日、どちらも無理な日程だった。

 

もう既に諦めそうになった。でも「うまくいく時は速い」のでご縁があればタイミングが合うはずと運を天に任せていた。

 

すると!3回目のメッセージが届いた。

 

「ゆみさん、今日の午後3時が空きました!」

 

とその日の午前中にメッセージを頂いたので行って早速体験してみた。運命の出逢いからちょうど1週間しか経っていなかった。

 

お店の名前はSunDetox. そこには太陽のような明るいオーラを放つ一恵さんがいらした。以前から知っているような懐かしい感じがした。

 

「シンガポールにいらっしゃるし、普通にお会いしたいなぁと思って」

 

「私もメッセージを頂く中で、何か私がお手伝いできることがある感じがしてお友達のプロジェクトを紹介したんですけど、『ちょうどこういうのを探していたんです』とおっしゃっておられたのでご縁を感じました」

 

一恵さんはコーチングの質問もとりいれられていて「今日終わったらどんな風になっていたいですか?」とにこやかに訊いて下さった。

 

直感的に「若返り」という言葉が頭の中に浮かぶ。でもそれはどちらかというと「アンチエイジング」というよりは「昔の自分に戻る」という意味合いが強かった。

 

最近、女子大生とカラオケに行って、学生の頃は本当に毎日のように飲んで歌ってばかりいたなぁと懐かしく思い出すことが多かったからだ。

 

早速マッサージルームへ。オイルを使ってデコルテのリンパの流れを良くした後、お顔のお手入れをされるのだそうだ。

 

お洋服にオイルが着くのを気にしなくて良いようにと用意されたワンピースに着替えて仰向けに横たわった。

 

「お顔を触った時の感覚を覚えていて下さいね(^ ^)」

 

と言われてアゴからこめかみにかけてを触ってカタチを記憶した。まあいつもと変わらない自分の顔だった。

 

普通のマッサージとは違うのを予感してスパで初めて「まな板の鯉」になったような気持ちになった。

 

ちょっとドキドキしていると眩しくないようにと目の上に被せられた布で視界は全く遮られ、真っ暗闇の中に入った。

 

変わるということは過去を手放すことだ。変わりたいと頭で思っていても、懐かしさが名残惜しい気持ちにさせるからなかなか過去を手放せない。

 

そんな気持ちを掻き消すように話に集中した。会えなかった長い間に起きた色々な話を一所懸命にする同窓生の再会のようでもあった。

 

だから気兼ね無くいきなり深い精神世界の話ができた。これまでの経験から得た知識や知恵をどんどん交換して学びを深めていくようだった。

 

デコルテのお手入れは最初はちょうど良く感じたけれど段々痛みを増していった。通常足ツボマッサージなどが点で押して刺激を与えるのに対して、面で押される感じだ。

 

デコルテが終わると顔に移った。右頬を下にして左側の骨を圧力が加わったのでとうとうおしゃべりができなくなった。

 

(もう抗うのは止めよう)

 

無意識に抵抗していた自分を認めて「降伏」した瞬間、一恵さんのお手入れで骨が元の位置に戻っていくようだった。

 

私の言うことを一切きかない上アゴと下アゴに強烈なスゴ技をこれでもかと言わんばかりにかけまくる一恵さんがその時ばかりは真の格闘家に見えた。

 

韓国語のコルギというのは「骨気」と書くそうだ。「気」は慣れ親しんだテーマだったが「骨」を触られたのは生まれて初めてだった。

 

最初にお手入れした左半分の顔が「上向きに咲くピンクのチューリップ」に包まれるのに対してお手入れがまだの右半分の顔は「下向きの枯れかけたひまわり」と思えるくらいエネルギーレベルで大きな違いを感じた。

 

左半分を体験したので右半分の時にはある程度覚悟ができていたせいか「左に比べてすぅ〜っと入りましたよ〜」と一恵さんも笑顔だった。

 

(うわぁぁぁぁぁ、すごい〜、何これ〜!!!!!)

 

 

(うぅぅぅぅぅ〜、イタイ〜、ひぇ〜)

 

を繰り返しつつ驚きながらもおしゃべりが止まらないうちに60分のセッションは終了した。

 

鏡に映る起き上がったばかりの私の顔は、冬眠から覚めたばかりのツキノワグマのようだった。

 

「おぉぉぉぉぉ、クビがある〜」

 

ツキノワグマとの違いはというと、前まで存在感が薄くあまり気付かれなかったクビがその存在を露わにしだしたということだった。

 

もちろんそれはよくはねる襟あしが気になるので、肩に当たらないように髪を短くしたせいかもしれない。

 

でも最初に触った時と比べて確実に顔の骨が上に上がっているのがわかる。

 

終わってからは、ものすご〜くだるく、その後の飲み会で誰とお話しても、何度も同じ質問をされても、まともに答えられずしかられたし翌朝もだるさは続いていた。

 

でも2日経った今、おかげさまで上アゴと下アゴが前みたいにくっつきたがって歯ぎしりをしようとする感覚がなくなった。頭と肩、デコルテが格段に軽い。

 

世の中にはまだまだ私の知らないオモシロイことがたっくさんあるんだなぁと感動して一恵さんとの再会を誓った。

 

カラダに刺激を与えると今まで使われていなかった部分が活性化する気がした。

 

なんかこれからも一恵さんといっぱい発見できそうでものすご〜くワクワクしている。

 

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