憧れて止まない最強カップルについて

ある記事によると、アラフォー女子にとって婚活は非常に難しいらしい。

 


同年代を「おじさん」と思うかもしれないけれど、自分も「おばさん」であることに気付かなければいけないそうだ。

 


職場で年下男性に褒められて「私まだいける」と思っても、それはお世辞だから真に受けてはいけないらしい。

 


つまり「私はまだいける」と思っているのは「自分だけ」ということか。

 

 

 

(どんだけお節介やねん)

 

 

 

心の中でそんなツッコミを入れながらウケたと同時に衝撃も受けた。

 

 

 

「私はまだいける」

 

 

 

そんな風に自分に言い聞かせ、自信を持つことは生涯にわたって重要なことなのではないか。

 


そんな時、ふと弟と妹の発言が思い返された。

 


20年ほど前、海外で羽根を伸ばしまくる私に、弟は言った。

 

 

 

「あまり調子に乗らないように。」

 

 

 

10年ほど前、若作りばかりに気合いを入れ、自由な発言の多い私に、妹は言った。

 

 

 

「おねえはもう女子じゃない。」

 

 

 

しっかりと核心を突いてくる。時を越えても心に響く名言の数々。

 


家族とは本当の事を言う為に存在するのでは無いかとすら思えてくる。

 


やはりこの記事を自分に都合の良いように一部を拡大解釈するのではなく、冷静に読み解くとしよう。

 


ふむふむ、要するに自意識や自信も持ち過ぎるのではなく「身の丈を知れ」と。

 

 

 

う~ん、「身の丈」って何?

 

 

 

「身」が既に「モンスター」のように「規格外」の私はどうしたら良いのか、もっと悩む。

 


しかも「結婚」ってつまるところ「契約書に署名」することだから「法的リスクを負う」ということですよね?!

 

 

 

(結婚=法律、怖い~、ガタガタブルブル)

 

 

 

私は恐怖に怯えた。昔から法律が怖い。なぜかわからないけれど怖い、というか、わかりづらいから怖い。

 


その恐怖を掘り下げて「結婚」を言語化すると以下の通りではないかと思われる。

 


「私個人のみならず配偶者と共に、将来起きる可能性のある未知のリスクにより発生した、またはそれを含むがそれに限らない、いかなる責任をも負う覚悟を持ち、連名で契約書に署名をする。」

 

 

 

うわぁ〜、言語化するとより恐ろしさが増す。

 

 

 

まさにこの上記に明確に記述された行為に対する恐怖が強過ぎるがゆえに、現状それを越える愛を持ち得ない私は結婚できないのではないか。

 


そういえば!私が最近憧れて止まない最強カップルを思い出した。

 


それは「たかす~、ク~リニック!」でお馴染みの高須克弥氏と西原理恵子氏である。

 


なんと70歳と50歳と20歳の年の差で戸籍を入れない「事実婚」なのだそうだ。

 


もともと高須氏が西原氏の大ファンで、ファンレターや脂肪吸引ビジネス200万円の会員権を送ったらしい。

 


最初、友人関係が続いていたが、それぞれの配偶者が死別した為、恋人関係になったそうだ。

 

 

お二人は文字通り「愛だけでつながる関係」を貫きながら、年々輝きを増している。

 


高須氏は最近全身ガンを公表されたが、あふれんばかりの愛でとても元気そうに見える。

 


愛される秘訣を学ぶべく観た西原氏の「最後の授業」がこれまた感動モノで、高須氏の心を掴んで離さない理由がわかったようで納得がいった。

 


さらに高須氏は西原氏のことを「熊」と呼んでいる。かわいいテディベアかと思いきや、事例の逸話が激しいことからもそうでは無いことは明白だ。

 


このお互いをネタにして全てを笑いに変えていくところとかも理想的でキュンとなる。

 

 

高須氏が留守中のホテルでお寿司やワインや蟹を頼む西原氏を「遠慮がない」から熊と思えばしょうがないと思えるらしくその表現からも愛が伝わってくる。

 


とはいえ一緒にいるとケンカもするから、週に2回だけ会うようにしているらしい。この距離感もちょうどいい感じなのだろう。

 


良いなぁ~、本当に素敵だなぁ~、と心底憧れるカップルである。天命を生きている同士が一緒にいると周りの人達にインスピレーションを与え続けるのだろう。二人がどうかいつまでも幸せでありますように!

アラフォー女性が憧れるセクシーさについて

人生について真剣に考え過ぎて病気になったので、お口直しのごとく思いっきり軽い話題について語ってみる。

 


病み上がりで3キロ痩せたことを喜ぶ事態が病んでいるのだが、痩せたことに何ら変わりはないのであって喜ぶしかない。

 


痩せると急に夢が広がる。太っていた私にはできなかったあんなこともこんなこともできる気がする。

 


根拠の無い自己肯定感満載な状態で妄想が拡大する。

 


そんなある日、いつも目にするサイトの下にふと武田久美子氏の画像を見つけた。

 


(最近どうしているのだろう)

 


広告のようだけれど、その画像はあえて踏まずに、検索してみた。

 


すると芸能人・有名人ブログにおいてママ部門第5位と相変わらず人気の高さが伺いしれる。

 


(うわぁ、きれい!変わっていない!)

 


しかも私が彼女についてよく記憶しているのは美し過ぎる妊婦ヌード。随分前の話である。

 


タイムスリップしたかのようにその時、お腹の中にいらしたお嬢様は、随分立派に成長されてこれまたティーンエージャーらしい美しさを放っている。

 


ウィキペディアによると武田久美子氏は50歳。奇跡の美しさというほかないだろう。

 


私もただ無駄に太るのではなく努力をしなければ。そうだ、武田久美子氏のように。

 


というわけで、2019年、まずやってみたいことは、胸にホタテ貝の貝殻をあてがうことである。

 


さすがに直接当てるのは諸事情を鑑みてあれなので、ビキニの上からのせてみたい。

 


ただビキニを素肌の上にのせるのも、私の宗教上ではなく周りのそれによりちょっと思うところがあるので肌色かそれに準ずる何かしらの衣服の上にのせるものとする。

 


さらに下半身の真ん中にホタテ貝の貝殻というにも、連想ゲームがすご過ぎるわけで、ここは人魚姫になろう、そうだ、もう一択でそれしか無い。

 


せっかく人魚姫になるのに髪の毛がほぼ黒に近い茶色というのはどうだろう。やるならオレンジ色にしないとポセイドンから許可はおりないのではないか。

 


さらに人魚姫だけだと寂しさが募るので、王子様も連れて来なければいけない。

 


人魚姫のマーメイドに対して男性はマーマンと呼ばれる。男性も胸や下半身の真ん中にホタテ貝の貝殻を乗せるのだろうか。

 


結論、乗せたければ乗せれば良いと思う。ただ、個人的にあまりに毛深い場合には抜いて頂きたい。

 


ホタテ貝の下に毛があると海藻と間違えてしまう恐れがあるではないか。そんな海藻のような毛ならいっそのこと抜いた方が美しさも増す気がする。

 


男性の人魚というのは認知度が低い分、まだまだ伸びしろがある。やりたい放題である。既成概念が無ければ作ってしまえば良い。そういう点においては非常にうらやましい。

 


2019年、薄々感じてはいるもののそろそろ人間という枠すら越えてもっと自由にもっと自分らしく羽ばたける人が増えることを祈念する。

人生において最も避けなければいけない態度について

やっと風邪が治った。今回のはやたらしぶとかった。鼻水やのどの痛みはさほどでもなく、咳もクシャミもチラッとしか出なかった。

 


にも関わらず、時折、後頭部に脈を打つかのように激しい痛みが走った。健康診断でも問題無く、半年後に行った念には念を入れた再検査も問題無かった。

 


でも、よく聴く突発的な脳内出血だったらどうしようと恐れていた。やっと思い出したかのように熱を測ったら37.8度というこれまた微妙な感じの結果が出た。

 


胃も痛くなる時があった。お誕生日週間だったので楽しいことで満載になるはずだったのにことごとくキャンセルをせざるを得なかった。

 


結果、私は薬を飲んでは汗をかきまくり、ベッドの上でのたうちまわり、薬を飲むためだけに胃に食べ物を入れるのを繰り返すうちに一週間が過ぎた。

 


最初と最後の方は合間にお仕事もしたり、チラッと観光案内もしたけれど、大半はベッドの上にいた。

 


なんとか市販の風邪用パナドールで乗り切ったが、今思うとこれはシンガポールでよく聴く「ストマックフルー」ではないかと感じた。覚えていたら今度お友達に訊いてみようと思う。

 


病気になったのは集団でお仕事をしている中で菌をもらい、私の免疫が下がっていたから発症したというのはわかっている。

 


ただ私は滅多なことでは病気にならない。複数の病院で通訳のお仕事をすることもあるので、患者として行ってしまうと皆んなが混乱すると思うとますます行けない。

 


だから私は自分に対して「決して病気にかかってはいけない」と常日頃言い聞かせているし、病気になっても薬局の薬を飲むに止める。

 


それではなぜ、私はこの微妙な感じの不思議な風邪とおぼしき病気になったのか。

 


実は心当たりがあったのだ。私は最近、朝目覚めて、夜寝る前、ものすごく幸せを感じていた。

 


「至福感」というのはこういうことだろう、と気が付いた。太陽と共に静かに目覚めて眠りにつく。

 


ミャンマーで10日間の瞑想がしたくてしたくてたまらない私に、瞑想仲間が教えてくれた。瞑想道場に行けなくても家で瞑想をしたら良いよと。

 


それ以来、シンガポールの家にいる時には常に瞑想をしているかのような心持ちで過ごす事にした。結果、良い心の状態を保つことができるようになったのだ。

 


でも人間、そう簡単にはできていない。心の平安が訪れたのも束の間、次に私に押し寄せたのは、またもや厄介な心の持ちようだった。

 


それこそが「飽きる」という気持ちだった。

 


これは本当に達が悪い。私はこれこそが「人生で最も避けなければいけない態度」だと感じる。

 


人間は感じたい感情を得るために生きている。何年もかけて「至福感」を手に入れた私を襲ったのは、その平穏な日々に「飽きる」というオチ。文字通り「なんでやねん」である。関西人にだけ起きる現象なのか。

 


人は生きている実感を味わいたくて「快楽」を追求し、心に刺激を求めるのだそうだ。

 


ただそちら方面も、例えばスキューバダイビング、バンジージャンプ、スカイダイビングなどなどもう十分すぎるほどやってきた。

 


他にも相当数の行動量でありとあらゆることに取り組んできたし、もっというと、私は完全成果報酬で生きているので、日々がチャレンジングそのものである。

 


「飽きる」ことは「怠惰」つまり「死」を意味する。私は途端に降ってわいた焦りの中「飽きる」ことに対する対処法を見出さなければとの思いで必死だった。

 


諸々考えた結果、ふと「飽きない=商い」からの斎藤一人さんを思い出した。

 


かなり久しぶりに斎藤一人さんの音声をひたすら聴く。以前はよくわからなかったことでも腑に落ちることが増えてきて驚いた。

 


特に商人として学ばせて頂けるとところはたくさんあった。中でも「愛、光、忍耐」という言葉には目からウロコだった。

 


「飽きる」の逆は「忍耐」ではないか。「自由」を生き過ぎていた私は「忍耐」について瞑想を始めた。

 


「忍耐」かなり嫌いな言葉だった。「忍耐」という盾を借りて、行動を起こす代わりに自分が向き合いたく無い「恐れ」から逃げているだけなのでは無いか。

 


マーライオンになりそうな胸○○悪い感じを思いっきり味わった結果、物の見事に病気になった。わかりやす過ぎて笑えてしまった。

 


ただ、このタイミングでこれに気が付けたことは良かったことだ。これからますます思い通りに動かなくなるこの体に付き合いながらなんとか生きながらえるには相当な「忍耐」が必要だ。

 


お陰で体重は3キロ落ち「忍耐」という言葉を見ても吐き気もしなくなってきた。少しは「忍耐」を克服できた気がする。

 


それからふと気が付くとこれまで許しがたく感じていた人達のことを思い起こしてみたら、いつのまにか「許せる」に変わっていることに気が付いた。

 


「忍耐」というチャンネルには、思いの外、暖かい「慈愛」に包まれた光景が広がっていた。これからもどんどんチャンネルを増やし、許容範囲を広げていきたい。

「なぜ人は結婚をするのか」という問いについて

ここ最近、私は「婚活」そのものより「結婚とは」という問いかけに対する答えを哲学的に追い求めることにすっかりハマっている。

 


実はリアルに周りでは既に結婚からエグジットあるいはエグジットしかけの方がかなり多いのである。

 


そのため私は結婚をかなり冷静な目で見ている上、正直かなりの恐怖心も抱いている。

 


それでもなぜ人は結婚するのか。知恵の限りを尽くして客観的に想像してみた。

 


仮に今「アラフォーの女性が結婚した」というニュースが飛び込んできたらどんな気持ちになるだろうか。

 


例えば中谷美紀氏が結婚したら。他人事とは思えずさぞかし嬉しいに違いない。

 


とつい先日思っていた矢先、なんと本当にご結婚されたというニュースが飛び込んできた。

 


いつも恋バナで盛り上がるコーチ仲間が教えてくれたというのもあって余計に盛り上がった。

 


なんというかホッとした。本当に良かったなぁと安堵の気持ちに包まれた。

 


そう、やっぱりこれ。結婚は周りの人をこういう気持ちにさせるためにするのではないか、と思った。

 


中谷美紀氏のお相手はウィーンのビオラ奏者。絵に描いたような美男美女が並ぶ。

 


おかげでビオラの認知度があがり「大きなバイオリン」と言われなくなる、というネット民の反応にもウケた。

 


私も学生時代から渡部篤郎氏と共に彼女のファンだったので、二人のドラマの結末がわかったような嬉しさもある。

 


こんなに嬉しいと思えるという事は、私のどこかでまだ結婚したいという願望があるのだろうか。

 


世界共通して言えることだが、どこにいても初対面の方には家族がいるかどうか聞かれる。

 


正直に「独身です」と答えるとものすごく驚かれる。そして理由もきかれるのだが、都度リアクションを変えてきた。

 


最近は「私は自分と結婚したから」と答えるようにしている。

 


すると結構な割合でウケてもらえる。相手に余計な気を遣わせずに済むのでしばらくはこれでいこうと思う。

 


そんな中、友人が私に紹介したい人がいるという。その方はイベント会社を営んでいるそうだ。

 


酔いながらも長い英語の長文を読む。そのイベントはなんとウィーンに関するものだと言うではないか。

 


(おぉぉ~!私にもチャンス到来?!)

 


と心を躍らせたのもつかの間、翌朝、よくよく読んでみると、「ウィーン少年合唱団」だった。

 


写真を見ると、なんとまあかわいらしい、ピュアな笑顔にすっかり心が浄化された。

 


そこにはニッポン男児も参加される予定らしい。

 


引き寄せた事柄を見れば自分が潜在意識下で何を考えているのかすぐにわかる。

 


私のモードは「恋愛」から「人類愛」へと着々とシフトしているらしい。

 


それも世のため人のためになっているのなら良いのかなぁと鷹揚に構えられるようになった。

 


来年こそは久々にウィーン少年合唱団のコンサートに行って清らかな歌声でさらなる浄化を目指したい。

続・セクシャルハラスメントへの見解

東幹久氏のセクハラ防止啓発ポスターが思わぬ反響を呼んでいるのだという。

 


困り顔の彼の写真を見て懐かしい気持ちになった。学生時代、私の大学祭にお越し下さったからだ。

 


当時抱いていた羨望の眼差しも重なって、どちらかというと同情の面持ちで記事を読んだ。

 


このポスターの説明は会話調になっている。

 


「今日の服かわいいね。俺、好みだな。」「痩せてきれいになったんじゃない?」

 


という東氏演じる「上司(?!)」の発言に対して受け手の女性はこう答える。

 


「関係ないでしょ!」「そういうことだけ見てるんですね…」

 


そこに「これもセクハラ?」の文字とともに、困った表情のアップ。

 


そしてメッセージはこちら。

「セクハラを決めるのは、あなたではない!」「相手や周囲に配慮した言動を!」

 


(おぉぉぉ!!!!!なんということか。)

 


私は目を向いて驚いた。私がいつも言っている発言そのままではないか。

 


この文脈に従うと、私は前述の「セクハラの加害者」のような発言を日々繰り返している。

 


なんと偶然にも、私は自己に対する「セクハラの加害者疑惑」についてブログを書いたところであった。

 


(やっぱり、私はセクハラの加害者だったのね。。。)とはからずしもコンファームされたことに気が付いた。

 


「セクハラ発言」というのはお国柄によって異なる。

 


先日、世界中で大活躍するスタンドアップコメディアンであるぜんじろうさんのステージを観た。

 


文字通りの抱腹絶倒を体験、何度でも行きたくなった。

 


ぜんじろうさんいわく、海外のジョークの基本は「皮肉」

 


確かに私は数年ぶりにテレビ制作現場で再会した仕事仲間に開口一番こう言われた。

 


「めっちゃ痩せたね!」

 


彼は、前回より7キロくらい太った私に敢えて真逆のことを言って笑いを取ったのだ。

 


もう皮肉過ぎる。さらに万が一でもここで目くじらを立てたら私の器の小ささが露呈する。

 


「一緒に笑う」という選択肢しかない、のである。

 


そういう観点も含めて(そういえばセクハラ被害にあったっけ?)と振り返ると、あった、思い出した。

 


これはもう、今世紀最大、いや人生最大、もっと言うと前前前前世最大のメガトラウマ級のセクハラ体験を思い出した。

 


それはある時、シンガポールの地下鉄に乗っていた時に不意に起きた。

 


何気なく優先座席の前に立つと、若い男性は私のお腹を見るや否や、迅速に席を譲るために立ち上がったのだ。

 


生まれて初めての出来事だった。状況を把握するのに時間がかかった。

 


わけのわからないままボーッとして反射的にオファーをお断りした。

 


その後、鈍い私はやっとハッと気が付いた。

 


(ガーン、妊婦さんに間違われた!!!)

 


とにかくショックだった。そのショックはじわじわとボディーブローのように効いてくる。

 


「異性によって心的トラウマを受けた」という事実だけを取り上げると立派にこれも立派なセクハラとして認定されるのではないか?!

 


でも、こんな時に大切なのは、その行為が行われた背景にある「可能な限り最高な意図が何なのか」に想いを馳せることである。

 


私にとっさに席を譲ろうとした若い男性の心は、天使のそれそのもの。

 


(次回から優先座席に座りたくなったら、お腹の脂肪をアピールするときっと座れるに違いない)ということも彼から学んだ。

 


それは詐欺行為に該当しそうなので実際にはしないけれど、お陰でそれ以来「胸」ではなく「下っ腹」に手を当てて考えるのが習慣となった。

 


インスタ映えするスイーツばかり毎日食べ続け、気が付けば体重が7キロ増。

 


久し振りに受けた健康診断ではしっかりと「若干の肥満」と診断されるに至った。

 


体脂肪が3割を占めると言われても(ヒトって8ー9割水でできていなかったっけ?)と即座には納得がいかなかった。

 


あれほど好きだったスイーツは今では毒物に見える。お陰で口に入れるものには細心の注意を払うようになった。

 


(セクハラってもしかして人生を変えるほどの大いなる警告なのでは)、そんな気さえしてくる。

 


どんな言葉も自分の解釈次第でいろんな意味を持つに違いない。

セクシャルハラスメントへの見解

シンガポールで日本人駐在員が痴漢をして捕まったらしい。馴染みのある場所で事件は起きた。

 


夜中だったので恐らく酔っていたのではないか。当然、酔っていたからといって許されるものではない。

 


反面、酔って衝動をコントロールできなかったに違いないと同情したい気持ちも湧いてくる。

 


こちらのメディアらしく実名、肩書き、顔写真がしっかり掲載されていた。

 


まだお若く見える彼を見て(なんてもったいないことをしたのだろう)と残念で仕方がない。

 


セクシャルハラスメントを受けた被害者が訴える#MeToo運動を受けて多くの女性が立ち上がった。

 


一言でセクシャルハラスメントと言っても程度には差がある。ハリウッドで叫ばれている内容を知るにつれて事の深刻さに触れて言葉を失う。

 


では自分に置き換えて考えるとどうだろう。私にとってセクハラとは何か。

 


私は出張がある時、なるべくお客様が宿泊するホテルとは別の場所に泊まる。

 


夜、お食事に行ってお酒に酔ってしまう可能性があるからだ。

 


では、そんな風に酔ってしまった後、どうなるのか。

 


正直なところ、私はまつげの長い男性に弱い。斜め横から見る感じが好き。

 


二重まぶたの根元でまつげが「バサッ、バサッ」と音がなりそうな感じにうっとりする。

 


他にはシュッとしたお鼻も好き。つい横からジッと眺めてしまう。

 


あと厚めのくちびるがぷるっとなっているのも好き。なんで乾燥しないのかなっと思って観察する。

 


さらに(意外と肩がしっかりしている!)というのを発見するのが好き。

 


それから筋肉質の腕も、引き締まったお腹も。。。という感じで続いていく。

 


ある時、ハッと気が付いてしまった。私はいつのまにかセクハラの被害者というより自分が加害者なのではないかと。

 


特に酔っ払うとあからさまに、近づいたり触れてしまう危険性が高まる。

 


よって、別のホテルに泊まり予め予防線を張ることでセクハラの加害者にならないように心がけているのである。

 


何をカミングアウトしているのか、という気もするが、こういうことは予め語りあってスッキリする方が健康的ではないか。

 


#MeTooという被害者が出る前に#AmI?と自問自答して自己完結をすることでセクハラ防止に努めたい。

来年こそは海外で活躍したいあなたに伝えたい緊急メッセージ

今年も余すところ後2ヶ月。1年があっという間に過ぎようとしている。

 


おかげさまで日々通訳をさせて頂いており感謝の気持ちが絶えない。

 


シンガポールというお国柄だろうか。ありとあらゆる分野、業界、職種のクライアントとご一緒させて下さい頂いている。

 


最近では各界の要人である政治家、上場企業の社長、取締役、幹部社員、起業家、医師、弁護士、公認会計士、コンサルタント、教授、作家、アーティスト、芸人の方々などどんどん幅が広がっていく。

 


国籍も日本人に限っておらず、人種も性別も年齢も様々で、世界中から集まられた方々に囲まれた環境に身を置いている。

 


通訳をさせて頂くことで学ばせて頂いていることは計り知れない。ご依頼頂いてから当日までは、さながらクラッシュコースのように資料を頭に叩き込む。

 


緊張しながら当日を迎え、通訳をする瞬間は、彼らの想いに心を寄せて呼吸を合わせる。

 


それと同時に「人としてのあり方」といった「エッセンス」をたくさん吸収させて頂く機会に恵まれた。

 


多くの学びを自分一人で留めるのはもったいない。第一線で活躍する方々の背中から学ばせて頂いたことを次世代になんとかお伝えできないかとずっと考えてきた。

 


当然ながら彼らが話す「コンテンツ」は守秘義務があるので共有することはできない。

 


では私が培った経験を通して次世代にできることは何か。それはこれから海外で活躍したい人達に向けてトレーニングを行うことだ。

 


海外に出た途端、周りの人の目には日本人代表として映る。その時に英語で何を伝えたいのか。目の前の人達とどう関わりたいのか。

 


正直、そのための英語学習メソッドは山というほどある。にも関わらずなかなか英語が身に付かない。それは結局そのメソッドが自分にしっくりきていないからである。

 


私自身、NLPやコーチングを学びわかったことがある。それは「もっとも重要なのは、自分にあったやり方で自分のコンテンツを伝えることにフォーカスする」ということだった。

 


とはいえ、NLPのモデリングやコーチングだけでは、まだ未経験のことに取り組むのにあたって充分ではない。「答えは自分の中にある」と質問責めにあっても、引き出しが無いから余計に辛くなるだけだ。

 


そこで私自身、海外生活でぶち当たる数多くの難関を乗り越えサバイバルしてきた経験に裏打ちされたノウハウを惜しみなくシェアすることで全力でサポートしたいと思う。

 


少子高齢化の日本。インバウンドを待っているだけでは足りないが、ビジネス公用語である英語を身に付けた瞬間、自ら世界中で商談ができるようになり、可能性が一気に広がる。

 


行動に移せば移すほど目標に近付ける。新しい年がさらに大きな飛躍の年になるよう応援したい。